民主主義の退廃@プラトンの批判

プラトンは弟子のアリストテレスに著書で語らせた。

民主制は節制をめめしいものとして退けた。(中略)
彼らは傲慢を育ちの良さ、無政府状態を自由、浪費を度量の広さと呼ぶ。
息子は父親と対等の立場に立ち、両親に対する羞恥心や恐れを失う。
教師は生徒を恐れて彼らに媚び、生徒は教師を見下す。
老人は気難しいとか尊大だとか思われるのを嫌い、若者の真似をする。
言い忘れてならないのは男女が互いに自由で平等の立場にあることだ。
市民は少しても権威を感じると苛立ち、しまいには不文法であれ成文法であれ法律を求めなくなる。
そしてこれが独裁政治の耀しい始まりとなるのだ。何度も度を過ぎると、今度は反対方向へ動き出す。独裁政治は民主政治から生まれる。
専制と奴隷の極みが、自由の極みから生まれるのだ。

アリストテレス/国家

プラトンは民主制を嫌っていた。
彼は賢者による独裁がベストな統治法と言った。

弟子のアリストテレスは貴族制がベストと言った。

プラトンは人生の最後に国家にてこう書いている。

アテネは2つの町に分かれた。1つは貧者の町、もう一つは富者の町で両者は対立した。

プラトン/「国家」

この頃のアテネの貧困層は立法、課税、革命によって富裕層から財産を奪おうとした。
富裕層は団結して身を守ろうとした。

そしてその頃、マケドニアのフィリポス2世(アレクサンドロスの父)がアテネに攻めてくるのである。

富裕なギリシャ人は貧者の狙う革命よりはましだと考えてフィリポス2世を歓迎した。
そしてフィリポス2世の独裁により、アテネの民主制は滅びた。

結果プラトンの予想した通りとなった。
(民主制が独裁を産んだ、この場合は他国に攻め込まれた場合だが)

プラトンは君主制⇨貴族制⇨民主制⇨独裁制の順で移り変わると考えた。
そして古代ローマやフランスのナポレオンの台頭は同じような道順を辿った。

民主制は最も難しい政体である。民主制をするには誰もが知性を持っている必要がある。

そして歴史上50年以上民主制が機能した例は私は知らない。

いいなと思ったら応援しよう!