神の声を聞く〜瞑想〜
「超越するもの」とのつながり
先日、「超越するもの」とのつながり方を紹介しました。
西洋・中東は一神教であり「神」から預言者がお告げを受けるというパターンでした。
それに対して中華の場合は殷では「帝」、周では「空」という超越したものに対して「捧げ物」や「祝詞」を上げることで「超越したもの」を呼びだすという方法でした。
詳しくは下記を↓
特にBC500年以降儒教が定着をしてからは、儒教が中国の社会に影響力をもたらします。なぜなら儒教は「六教」として「礼」「楽」「射」「御」「数」「書」が重要とされました。
その中でも最も比重が高く、帝王学として必須とされたのが「礼」です。
こちらは今日の「礼儀作法」のようなものではなく、「超越するもの」(先祖・死者・鬼)とつながるためのものでした。
現代人と「神」の声
今日の儒教は「超越するもの」と繋がれているのでしょうか。
逆に西洋・中東ではムハンマドが最後の預言者となっています。
ムハンマド以降は神の声は聞かれていないのでしょうか。
しかし、「ファティマの奇跡」というものがありましたね。
こちらは預言者以外が神の声を聞くという珍しいパターンです。
ファティマ第3の予言に関しては色んな説がありますね。
第3次世界大戦だという声が多いですが。
明るみにしてくれるローマ教皇は出てくるのでしょうか。
中村天風の悟り
天風と「超越するもの」
中村天風は当時の不治の病である結核にかかりました。
そんな中でカリアッパ師と出会います。そして師に「天の声」を聞けと言われます。
天風は3ヶ月もの間「天の声」について考え続けます。
そしてその3ヶ月で天楓は「天の声」に辿り着きました。
「天の声を聞く」とは「静寂を聞く」ことだったのでした。
心を天の声と同化させると未然の力が湧く。
その力を与えてくれるのが「宇宙霊」である。と中村天楓は言います。
そう、中村天風にとっての「超越したもの」とは「宇宙霊」でした。
他力と自力
中村天風は「宇宙霊」という大いなるものに「生かされている」という感覚を掴みました。
これは「他力」です。
さらに天楓は「他力」により生かされているということを自覚した上で、自らが一歩踏み出して生きること(自力)を哲学としました。
悟りの開き方・神の声の聞き方
西洋・中東では「神」をお告げを「聞く」
儒教や中華では「超越するもの」を呼び出して「聞く」
中村天風も「静寂を聞く」ことで「宇宙霊」という「超越したもの」と出会いました。
ここでの共通点は「聞く」という行為です。
文字を目で見ると、理性が働き、「理解」で終わってしまうようです。
それは脳の働きによるようです。文字などを処理するのは言語野のある左脳です。以下、言語野について
それに比べ、昔の人々は現代人と比べ、文字と接することが極端に少なかったようです。
それ故、現在の我らより言語野のある左脳の動きが活発では無かったと思われます。
中村天風は「静寂」を聞いて「悟り」を開きました。
一種の瞑想に近い感覚だと思います。
音を聞くと言語野に刺激や伝達が走らずに大脳皮質のある右脳が働く。
更に瞑想状態により左脳の活動が抑えられ、更に右脳が働いた。
「超越したもの」の声を聞くというのは『右脳』がキーワードだと私は考えます。
ですので、現代人が「神」や「超越するもの」とつながりたい場合は右脳が働くようにしなければいけません。
つまり、理性が働かない状態を作る。思考を止める必要があります。(左脳が働かない状態を作る⇨右脳が活性化する状態を作る)
現代人に瞑想が進められる理由はこちらではないでしょうか。
私も先祖と繋がりたいので毎日瞑想するようにします。
この内容は私の妄想です。
あくまで参考に。
今日はこちらを参考にしました。