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食スタシー 刺身盛り合わせ丼/番屋

お椀のフタを開けると、中には真っ黒い悪夢のような液体。これは「マダ汁」というイカ墨の汁だ。
星の無い夜を映し出す凪いだ海面のように、ただただ静かに不透明。

しかし、しかしだ。見た目のインパクトもさることながら、この汁の本質はその黒さにあるわけではない。

盛り合わせ定食のお盆の上で、あえて脇役をこなす北大路欣也――それがマダ汁だった。

存在感がハンパなく、クセも強い。

「あれ、この汁のために注文したんだっけ?」と思わせるほどの押しの強さを見せながら、決して主役の邪魔をするわけではない微妙なさじ加減。飲むほどにコクが広がり、海そのものを連想させる。

「私は箸休めですから」という脇役としての役目を立派に果たそうとする懐の深さと器のデカさに、ただただ脱帽するしかない。やはり大物は格が違うのだ。

最初に思わず汁を啜ってしまったのは、もしかして失敗だったのだろうか。
ここまで完璧な汁物を出されてしまっては、後の料理が霞んでしまうのではなかろうか。

そんな不安は、愚かすぎる杞憂であった。

盛り合わせ丼にはシビ・赤みの刺身(魚は不明)・イカ・夜光貝・イギスが一堂に会している。南日本特有のとろりと甘い醤油にわさびを溶き、丼全体に回しかける。

準備は整った。

まずは一番手前、イギスを一枚。

イギスというのは、イギスという海藻をこんにゃくのように固めたもの。透き通った緑色で見た目も涼やかで美しく、口に含めばクセもなく、ほのかに潮の風味が漂う品だ。

飲み会で大いに盛り上がり酔いが回ってあぁだこうだ言っている最中、ふと冷静になって周りを見ると、ニコニコしながら「うん、うん」と肯いてくれるアイツ。邪気がなく心からイイ奴で、底抜けに優しい(でもあまり異性にはモテない)アイツにそっくりの立ち回り。

イギス、今日も微笑んでくれてありがとう!



その横に、てらっと光るイカの刺身。大して期待もせず口に運んでみると、一発でノックアウト。

こいつは近づいてはならない魔性系の女だった。

むっちり白く、ねっとりとした食感。甘く濃厚で止められない。一度手を出したらイクところまでイクしかない、そんなめくるめく甘美な世界の第一歩。

そう、決して飛びぬけた美人ではない。むしろ親しみやすく「こいつなら落とせるんじゃねーか?」的なハードルの低さをチラ見せしながら、決して腹黒さを前面にださない女。

その物腰と期待感から、気づけば男は彼女に群がる――天然系モテ娘。まさにこのイカ刺しは、そんな女を体現している。


イカの色香にあてられた私は多少の休息を図るべく、連れの注文した魚のアラ煮に手を伸ばす。

飴色に輝き骨を露わにしたアラ煮。甘じょっぱくあたたかい香りは、先ほどから私の鼻を刺激しっぱなしだった。日本人のだれもが、この“甘じょっぱい”に弱いのではないだろうか。

アラ煮というと、食べるところも少なかろうに……なんて心配をしてしまうのだが、この店の代物は想像以上に身が付いている。メニューに書かれた「ボリューム満点のアラ煮です」の文字に嘘偽りはなかったようだ。

カマの下、身が締まって油の少ない部分を少しいただく。ギュギュっとした噛み応えを愉しむ。

固めの身に甘じょっぱい煮汁を浸し口に入れれば、日本人でよかったと、素直になれる気がした。

ほんのりした甘さと生姜のキリッとしたコントラストの余韻に浸りつつ、お茶を一口。

さぁ、盛り合わせ丼の続きである。

丼の主役ともいえるシビ、そして何の魚か不明だが赤みの刺身は、ぶりっと厚切りで豪快な大きさだ。

食べるまでもなく旨い。それを悟っているかのような堂々とした輝きを放つ切り身。角度によって魚の脂がギラリとする。「わわわ、眩しい」と思った次の瞬間には済ました顔で丼に乗っているのだ。少しすじの多い中トロのような一切れが、舌の上でゆっくりと味を染み渡らせるようだ。

と、刺身の下にはつまがあるのに気付く。

海鮮系の丼でつまを入れているものを食べた記憶がなかったので、これは新鮮だった。

刺身とつまはさすがの相性。ねっちりした弾力の刺身に、シャキシャキっとしたつまの感触が心地よい。刺身にはつま、それが一般的に定着しているのはその組み合わせがベストカップルだからに違いない。チャーミーグリーン、そんな感じなんだな。いや、ちょっと違うか。


大ぶりの刺身をたて続けに食べると、隠れるようにしてあったタコが数切れお目見えした。こちらも歯ごたえがよく噛みしめる愉しみがあるが、イカほどの衝撃はなかった。


気を取り直して、夜光貝に箸をつける。貝好きの私には一瞬緊張が走る。

夜光貝というのはサザエがお化けみたいにでっかくなったもので、噛むほどに味わい深く、歯ごたえのある食感も堪らない高級食材だ。

箸でつまんで口へ運ぶ。コリコリとした食感、ひと噛みで広がる磯の風味。舌触りのよい感触。どれをとってもパーフェクト。

このまま飲み込んでしまうのがもったいない――。と、できる限り噛み続ける意地汚なさを思わず発揮してしまうほどに罪なヤツだ。「あなたのためならなんだってするわ!」そんな婦女子が跡を絶たない超絶イケメン。魅入られた女は、その男の視線だけで昇天してしまうというザ・骨抜き男。丼の面積からすれば、ほんの1割にも満たない夜光貝だが、その存在感は群を抜いているのだった。

コリっと口の中でちぎれるたびに「美味しい、幸せ」が交互に弾けるような陶酔感が押し寄せてくる。


ありがとうありがとう。

丼の上の海鮮たちに、マダ汁に、付け合せのパパイヤ漬けとイユ味噌に。
感謝の念で目を閉じる。

今度は必ず海ぶどう丼を食すと心に誓いながら、この日の昼食は終わりを迎えた。

【漁師料理 番屋】(奄美大島)
鹿児島県大島郡龍郷町龍郷8-2
0997-62-2125
昼 11:30~14:30夜 17:00~20:00
(※宴会の場合22:00まで)
水曜定休日

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