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赤い空が希望に見える人と絶望に見える人
どうも、どろんこです。
北海道では極寒の中、外でBBQをするというエンタメもありますが、何でも楽しんだもん勝ちだなとつくづく思っております。
本題
グラウンドで夕陽を見ることがありました。
赤く染まる日々の中で、やけに赤いなという日もあります。赤いなーとか思いながら見ていたら、後ろから声が聞こえてきます。
「この世の終わりのような色をしている」
私はその言葉を聞いて、初めてこの世の終わりの空間のイメージをしました。なぜなら私が見えていた世界は「明日への希望」だったからです。今日もやりきったか?明日はどんなことに命を燃やす?そんなことを夕陽が問いかけてくれているように感じていたからです。
同じ現象でも見え方、捉え方が違うというよくある体験でした。ここからは、もう一歩先へ。
過去の自分が好きにも嫌いにもなる
それから数年が経って。また夕陽を眺めるどろんこがいました。私はその時
「怖い色だな」と思っていました。火事が起きて焼け野原になっているイメージをしたのでしょう。希望というより、破壊のイメージが湧きました。どちらかというと、マイナスなイメージを持っていました。
しかし、ふと思い出したのです。
過去の自分は同じ夕陽を見ていても希望に満ち溢れていたと。何が見え方を変えてしまったのかと。何となく、過去の自分が美化され、今の自分はあの時より成長していない、みたいなことを考えていた時期でもあったかもしれません。その年、私は転勤することになります。
もしかすると、やるだけやって次の地へ行くかもしれない(転勤はギリギリまで分からなかったので)と思っていただけかもしれません。
数年後。どろんこは夕陽を見ていました。
その時も「怖さ」というか、圧倒的な叶わぬ何かを感じていました。自然への畏敬の念かもしれません。この時は、自分を攻めるよりも、自分にしかできないことに目を向け、他のことは他人に任せようと思っていた時期でした。その年に、私は退職をします。
同じ夕陽でも見え方は違う。
見え方が一緒でも考え方が違う。
そこにあったのはただ圧倒的な赤い夕陽。
どんな意味づけをしてもいいが、ブレーキにも後押しにもなることを自覚して適切に自分のことを見られるようにしていきたい。夕陽はただの基準でしかないことを自覚したい。
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