【妄想旅行記①】最果て島

ふと、この世の果てが見たいと思った。きっかけはそれだけで、ある日唐突に鞄に数日分の着替えとカメラだけ持って飛行機に飛び乗った。向かった先は”最果て島”と呼ばれる島だ。島民は100人に満たず、緯度が高いため気候も厳しい。それでも短すぎる夏にはそれこそこの世のものとは思えないとても美しい景色が見られるのだとか。最も、わたしが向かったこの季節は日が短くなって常に薄曇りの空らしいのだが。

羽田から飛行機を乗り継いで数時間後。わたしは果ての港にいた。島に空港はないので、ここからは船で向かわねばならない。あまりに小さな島であるため定期便は週に二回の食料や物資を運ぶもの以外となると自分で捕まえねばならない。港にしばらく滞在してもよかったのだが(ここもなかなか綺麗ないい街だったが今回は趣旨とずれるので省く)、この時のわたしはとにかく果てに辿り着きたかった。人の気配のある街の中は、わたしの気持ちをざらつかせるだけだった。話では港から小さな船でも30分程度らしいので漁船なんかに乗せてもらえれば僥倖だとあたりにいた漁師などに声をかけてみたが、なんでもこの時期の最果て島周辺は潮の流れが早く、小さな船では流されてしまう危険があるのだとか。どうしたものかと思案していると、わたしの話を聞いていたのか一人の漁師が声をかけてくれた。その人はこの港でも指折りの名操舵手で、あのあたりの海域にも詳しいのだという。わたしは送ってくれるという彼の話をまさしく渡りに船だと思った。別に信心深いわけでもないが、この幸運には神に感謝しさえした。それほどまでにこの時のわたしには最果て島が必要だったのだ。しかし神というのは幸運をもたらすと同時に、厄災を振りまくこともあるものだ。この出会いはいまでも間違いなく幸運だったと思うが、同時に不運でもあったのだ。

彼の船に乗り港を出て30分、話ではそろそろ着く頃合いだというのに島影は一向に見えてこなかった。さすがにおかしいと思い出しもしたが、ここで彼を問いただしては乗せてもらったのに恩知らずなやつだと思われかねない。わたしは不安になる自分を押し込めつつ、平静を装って彼に「あとどのくらいですか」と訪ねた。すると彼は「あとちょっとで着くはずなんだよ、なんだけどなぁ」とさらに不安を煽るような言葉を返してくるではないか。ますますわたしは不安になるが、ここまできて引き返すのも嫌だった。せっかくここまで来たのだからと意固地になっていたのだ。そうやって不安を押しとどめて船内の固い椅子に腰かけていると、不意に船が大きく揺れた。完全な不意打ちだったので、わたしは思い切り転がり壁に叩きつけられてしまった。かろうじて意識は失わずに済んだものの、あの時の痛みは忘れられない。わたしが痛みにもがき苦しんでいると、船長の「こらいかん」という焦った声が耳に飛び込んできた。しかしわたしには船のことは分からない。いったい何がいけないのだと口を開こうとしたその瞬間、私は世界が反転するのを感じた。人間、命の危機に瀕すると走馬灯を見る、なんて言うがわたしの見た走馬灯は過去のものではなく未来のものだ。果ての港沖で海難事故、二名死亡。そんな記事が新聞の片隅に載る想像をする。さらにはそれを見た親や友人たちの顔も浮かんでくる。そこまできてようやくそれが走馬灯なんだろうと自覚したその時から、わたしの記憶はない。

次に目を覚ました時、わたしは砂浜に横たわっていた。体は潮のかおりは強く漂う水でぐっしょり濡れていて、海に落ちたのだと分かった。いままで旅は数多くしてきたけれどこんな災難は初めてだった。とにかく状況を確認しないと、あとあの船長の安否も心配だ。わたしはあたりを見渡した。そこは崖がえぐれて出来た入り江の小さな砂浜らしかった。見れば崖の上へ続く階段が作りつけられており、人の手が入っていることが分かる。地図で確認した限りだと、果ての港沖から小型の漁船で向かえる範囲内にある島は最果て島だけだ。ということはここが最果て島なのか?あたりを見渡してみても船の残骸も船長の姿も見当たらなかったので、わたしはとりあえずその階段を上ってみることにした。最果て島でなくとも、人の手が入っているということはここは有人島、もしくは人が頻繁に訪れる無人島のはずだ。その証拠に階段は綻びはあるものの定期的に手入れはされている様子だった。誰かに会えればと濡れた体のまま階段を上っていたわたしだったが、階段を上り切ってその景色を見た途端、全てが吹き飛んでしまった。

目の前に、大瀑布が姿を現したのだ。これがここが最果て島と呼ばれる所以、文字通りの世界の果てだ。

島から大瀑布までは距離があるためか音はそれほど聞こえない。しかし確かに海が世界の穴に吸い込まれていく様を、わたしはこの目でしかと見た。それは想像以上に凄まじい光景だった。わたしはこれを見るために最果て島に来た。世界の果てが見たかった。全てを飲み込む命の終着点を見れば、きっとわたしの孤独に対する飢餓も癒えるだろうとそう思っていた。しかし、この瀑布はそんなわたしの期待をやすやすと裏切ったのだ。全ての終わりが、こんなにも力強いなんて思いもしなかった。これでは孤独を求めるこころなんてちっぽけなもの、簡単に吹き飛ばされてしまうではないか。求めていたものと違う光景に、しかしわたしのこころは落胆などしていなかった。確かにわたしは孤独を求めていた。人のいない場所、寂しくなれる場所に行きたかった。世界の果てを見ればそんな気持ちを埋められるだろうと。しかし目の前の光景はそんなわたしの感情を全て吹き飛ばしてしまった。ここには人間の感情なんてしょうもないもの、入り込む余地はなかったのだ。

どのくらい、わたしはそれを眺めていただろう。気付けばあたりは薄闇に包まれ、隣には一人の老人が立っていた。彼は私の方を見て「最果ての旅はどうですか?」と尋ねてきた。とっさに答えが出てこずわたしが黙っていると、彼は「そうですか、それはよかった」と笑った。彼はきっと、わたしのような旅人を何人も見てきたのだろう。わたしにはそれが、何故だか酷く悲しかった。

その後わたしは彼に連れられ集落へ向かった。集落は小ぢんまりとしたもので、宿泊施設すらなかったため彼の家に泊めてもらった。奥さんを亡くされてもう20年も一人で暮らしているのだという。彼が振るまってくれた郷土料理はどれも絶品で、特にセキトウウオという頭が燃えるように赤い魚の煮付けは箸を軽く差し込むだけで身がほろほろほぐれて、醤油ベースの甘辛い味付けがまた食欲を誘った。なんでもこの魚は果ての大瀑布から上ってくるそうで、昔は神様の使いなんて言われていたのだとか。わたしに幸運と厄災をもたらした神様を最後は胃に収めることになるなんて、こういう妙も旅の醍醐味だと思う。

結局わたしは彼の家に二日ほどお世話になり、少しのお金をもらって港へ戻った。この間、わたしは集落にはほとんどおらず、日がな一日あの崖の上で大瀑布を見つめていた。相変わらず力強く全てを終わらせるそれは、わたしを寂しい感傷に浸らせてなどくれなかった。それでもよかったのだ。終わりは必ずしも寂しくないと分かったのだから。港に戻ったわたしは、まず警察に赴いた。事情を説明すると、なんと幸運なことにわたしの荷物はこの港に戻ってきていたのだ。カメラはさすがに壊れてしまっていたものの、着替えや財布は塩水に浸っただけでまるっと残っていた。ぱりぱりになったそれらを手にわたしは街の観光案内所へと向かった。本当は胸の孤独が消えないうちに早く家に戻ろうと思っていたのだが、そんな目論見も外れてしまったわけだし、もうしばらく滞在してもいいだろう。わたしはそんなことを考えながら、人の行きかう街を歩くのだった。

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