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「ハウリングレインリフレイン」#シロクマ文芸部

 雨を聴く細胞が全身にあった頃を思い出す。人になる前は蛙であった。蛙になる前はオタマジャクシであった。オタマジャクシになる前は卵であった。卵の前は赤い傘であった。赤い傘になる前は赤い服を着た人であった。人がよく落ちてくる街に住んでいた。私はそこで何者かになれるかと思っていたが何者にもなれないまま、他の人たちに盗まれて食われてすり減らされていくばかりであった。


 あまりにも人が建物から落ちるので、政府は羽根を支給して人が落ちないようにした。空を飛べるようになった人たちは空を飛びながら命を落とす方法を様々に考えて実行した。私は高く高く飛び続けようとした。昔の歌にある少年のように、太陽へ向かって燃え尽きようとした。私はどこかの時点で意識を失ってそのまま命も失った。

 次は羽根を支給されないでいる、街の昔からの住人が持つ赤い傘になっていた。空を飛びながら血をまき散らして死んだ別の誰かの血を浴びて、私はゴミ捨て場に捨てられた。それから蛙の卵になって、オタマジャクシになって、蛙になって、雨音を全身で聴く細胞を手に入れた。たくさんの雨の中には人のまき散らした血も混ざっていた。私の全身の細胞は乱雑に人の血を取り込んでしまい、取り込み過ぎてしまい、人としての成分と過剰に混ざりあってしまい、人となってしまった。

 そうして現在に戻って私は雨音が路面を叩く激しい音を聴いている。私のお腹には鋭い刃物が刺さっている。激しい雨音に紛れて、刃物を持って近づいてくる者の気配に気付くのが遅れた。刺したのは見知らぬ女性であった。「間違えた」と言い捨てて彼女は去っていった。人違いで刺された私の命はもう長くは持たない。雨と血が混ざりあっていく。私と雨が一つになっていく。旧知の者たちらしい、街に住み着いた蛙が私の近くに寄ってくる。血の混ざった雨を舐めている。そのようなことをしていると、私みたいに人になってしまうよ、と声をかけたいがうまく言葉にならないでいる。声帯が蛙に戻ってきている。少しだけ蛙の声を発すると、周囲の蛙が歌うように一斉に鳴き始めた。

 私によく似た男が現れ、路上に横たわる死体になりかけている私を見て軽く悲鳴をあげた。その後ろから私を刺した女性が現れ、「こっちが正解」と言いながら男の背中に刃物を突き立てた。二本用意したのか、近所の店で新しいのを買ったのか。私に似た男は驚きながら振りむき「誰だお前?」と口走る。これが彼の最後の言葉だった。彼女は「私は!」と何やら自分の名前を叫んでいるが、それを聞く者に命はもうなかった。

 私の身体から血が流れ過ぎて、雨音を聴く細胞も雨に溶けていった。やがて雨がやみ、路面が乾燥すれば消えてなくなる細胞を大量に残して私は次は何になるのかと考える。そろそろこの街から出たい。雨水として流れて海にまでたどり着きたいと考える。しかし下水まで循環してまた街の中に戻る仕組みとなっている。私はひとまず雨になる。蛙の歌はもう聞こえてこない。雨は空から地面へと落ちていく。空を飛ぶ羽根を持った死体たちとすれ違う。低い耳鳴りのような羽音が空をうるさくしていた。

(了)

今週のシロクマ文芸部「雨を聴く」に参加しました。
前回の人が落ちすぎるので政府から羽根を支給された街と同じ舞台にしました。

「ハウリングレイン」はラウドネスのアルバム「ヘビーメタル・ヒッピーズ」の一曲目のタイトル。曲と話は関係なし。


雨を聴くといって真っ先に思いついたのは稲垣潤一「バチェラー・ガール」

雨が舗道を叩く音を、壊れたピアノに喩えている。



入院費用にあてさせていただきます。