「珈琲と毒殺と殺し屋とハイレモンの思い出」#シロクマ文芸部
「珈琲と紅茶か、それとも緑茶にしますか? ちなみにどれを選んでも毒を入れます」と女は言った。これからあなたを毒殺します、と言いながら、手には小型の拳銃を握って私に銃口を向けている。また私は殺し屋に狙われてしまっている。
参考:前回の殺し屋
↑をいぬいゆうたさんに朗読していただきました!
「最近は水ばかり飲んでいる。身体にいいし、実は飲み物の味にあまり興味がないって気がついたんだ。さらに言うと食べ物についてもそうなんだ。たとえば高級アイスと安いアイスを食べ比べてみるとしよう。値段が5倍違っても、美味しさが5倍違うわけじゃないだろ? せいぜい1.2倍とか1.5倍とかその程度だ。それならば味気なくても全部安物でいいんじゃないかって思ってしまう。食パンと水とサプリメントだけで生きていけるんじゃないかなって」
女は呆れた顔で私を見ている。
「今から殺されようって時に何の話をしているんですか」
殺し屋って素顔を隠すためにサングラスとか濃いメイクとか深い帽子を被ったりするんじゃないかと思っていたが、「彼女はほぼすっぴんで素朴な顔立ちをしていた。珈琲や紅茶を勧めてくるが、実際田舎の喫茶店で働いて、旅先でふらりと立ち寄った私に店のお勧めの飲み物を紹介しているようでもあった。なんならそんな彼女を私は素直に可愛いとすら思えた」銃口を向けられているのに考えるようなことではないが。
「途中から思っていることが声に出てましたよ! なんなんですかあなたは」
「ごめん、以前にも殺し屋に狙われたことがあって、なんか変な癖がついちゃって」
「読書家」という殺し屋に狙われた経緯を私は話した。私は人に恨みを買うような人間ではないが、世の中には勘違いや逆恨みで殺し屋を雇う人たちもいるようで、何かの間違いで私は狙われることになったのだ。
「いや、あなたはかなりの人数から恨みを買ってますよ。私は十二名の合同依頼を受けて今回の仕事に来ました。結婚詐欺、横領、浮気、約束不履行、『小説未完結』なんてものまであります」
そうそう、殺し屋「読書家」に狙われたのをきっかけに、様々な殺し屋と戦う名探偵の登場するパルプ小説の連載をネットで始めてみたのだ。意外と人気が出てこちらもびっくりしたのだけれど、引っ越しを繰り返しているうちにネット環境や携帯も変わって投稿サイトにログインできなくなってしまい、そのままにしてしまっている。
「そうだ、君のことも小説に書いていいかな」
「今からあなたは殺されるんですってば!」
しかし私は既に今回の解決策をいくつか思いついている。
・虚を突く
・仲良くなる
・逃げる
三段構えの完璧な布陣である。大抵のことはこれで解決してきた。立つ鳥跡を濁さず。「読書家」という殺し屋に狙われた際にも、突如乱入してきた女友達が殺し屋を撃ち殺してくれて助かった。その後その女友達の持つマシンガンで私は殺されそうになったが、私が巧みな話術で彼女の気を逸らしていると、彼女が天井に銃を撃ち続けていたせいで天井の一部が落下して、彼女に直撃し、昏倒させた。その隙に私は逃げおおせることが出来たのだ。
「ちなみに」と紅茶と珈琲と緑茶と水をそれぞれマグカップに注いでいた殺し屋の彼女は言った。「あなたの前の恋人の、資産家の娘さんからの依頼も含まれています。『あんたに逃げられた後、手当てをしてくれた医者と仲良くやってるよ。早く死んで』とのことです」
「良かった。生きてたんだ。幸せになれたんだね」名前なんていったっけ。
「とにかく私は彼女の用意する毒を飲むつもりはなかった。大体用意された毒を飲めと言われて飲むやつがいるだろうか。彼女の狙いは毒殺の他にあることを私は悟っていた。人は分かりやすく目に見える物に注意が向いてしまう。実は既に身体を痺れさせる無臭のガスのようなものを撒かれてしまっていて、私の身体は動けなくなっているとか、そういう展開ではないだろうか。そういえば何だかフラフラしてきた」
「思ってること言っちゃってますよ! あなたがフラフラしているのは食パンと水とサプリメントしか飲んでないからじゃないですか?」
「食パンが切れたからハイレモンしか食べてない」
「ハイレモンはお菓子であってサプリメントじゃありません」
本格的に憐れみの目を殺し屋に向けられてしまった。ヨーグレットよりもハイレモンの方がビタミンCが豊富で身体によさそうじゃないか。そこで私は毒入りの飲み物を飲むまでもなく意識を失った。
気がつくと殺し屋の彼女はエプロンを巻いて料理を始めていた。近所のスーパーで買った食材と、ホームセンターで揃えたらしき料理道具を使って。味噌汁の匂いを嗅いだのはいつ以来だろう。遠い日、母親代わりの女性に育てられていた幼い頃の記憶が蘇ってくる。「お野菜は入れないで、ハイレモン入れて!」などといって彼女を困らせていた。ハイレモンは味噌汁の中に溶けて消えた。
「何かの妄想に浸っているようだけど」と殺し屋の女の声が聞こえた。
「珈琲か紅茶か緑茶か水か早く選んで死んでください」
「味噌汁で」
「ふざけるな!」
激高した彼女の手元めがけて、私はポケットに忍ばせていたハイレモンの最後の一粒を投げつけた。彼女の指はへし折れ、小型拳銃を落としてしまう。私はすかさずそれを拾い上げ、引き金を引いた。彼女に向けてではない。毒薬入りの飲み物を注いだマグカップに向けてだ。
「君は撃てないよ。なぜならこれから味噌汁を作ってもらうからだ」
もちろん妄想だ。そもそもポケットに残っていたハイレモンは昨晩食べてしまっていた。
万策尽きた。ハイレモンも尽きた。餓死か毒殺か射殺か。どれもろくなものではない。
「一応聞いておきますが、今回の依頼料を上回る金額をあなたが用意できるのなら、見逃してあげることもできます。『私が乗り込んだ時には既にもぬけの殻だった』と説明しておきます」
うわあ、悪徳業者だ。私は押入れを開けて無造作に積み上げてあった札束を見せた。
「これで足りるかな?」殺し屋は「はあ?」という顔をしている。
「あなたなんでこんな大金を持ってるんですか」
「資産家の彼女が昏倒した時に、カードとかいろいろくすねて」
「じゃあもっといい物食べれるでしょうに」
「言っただろ。あんまり食べることに興味がないんだ」いや、言ったのは味に興味がないってことだけだったか。
引越し費用を除く有り金を全部殺し屋に渡して、見逃してもらった。しかしまた住居を変えないといけない。最後に一つ質問してみた。
「何故毒入りの飲み物を選ばせるなんて殺し方を始めたんだい?」
「自分の手で殺したくないからに決まってるでしょ」
彼女の優しさを垣間見た気がした私は、お別れのハグをしようと手を広げたが、汚物を見る眼差しを向けられた。
「私はヨーグレット派だから」そう言って彼女は出ていった。
記憶の中にある味噌汁の味は酸っぱすぎた。ハイレモン一箱全部を味噌汁の鍋に入れて味を台無しにした私は、罰として全部飲むことになった。私が食べ物の味に興味を持てなくなったきっかけの出来事だったかもしれない。しかし家族と呼べる人と囲んだ食卓の記憶は色褪せずに残っている。
家を出た私はコンビニに行き、食パンと水とヨーグレットを買い求めた。
(了)
シロクマ文芸部「珈琲と」に参加しました。
殺し屋に狙われるような生き方を無自覚でしている男の話第二弾。
会話中心の話も書いていて楽しいなと思えてきた今日このごろ。
前回が伊坂幸太郎を読んだ直後にもろに影響を受けた話でしたが、今回「殺し屋」「毒殺」「駄菓子」というキーワードは、漫画「マリッジトキシン」からの影響です。