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異想随筆集7「外見論」
子どもたちと同じ時間に眠っている。同じ和室に娘、息子、私の順に布団を並べて寝ている。寝相の悪い息子はあちこち転がっていく。
寝る前に何かトークタイムが始まる時がある。この時は娘の「男は顔で選ばない論」であった。娘がこれまで好きになった男子、付き合った彼氏たちは顔で選んだわけではないという。「面白い」が娘流の最大級の賛辞なのだとか。小学六年生のそんな話を聞きながら、私も「外見で選んだ相手の見かけが変わってしまったら」ということを考えた。
外見は加齢や病気、食べ過ぎや食べなさ過ぎでも変貌してしまうものだ。外見に惹かれて付き合った相手の見かけが変わってしまったなら、その他の部分に惹かれていなかった場合、関係はどうなってしまうのか。同じ関係でいられるのだろうか。
私自身、加齢で髪の毛は半分白髪になり、運動不足でお腹も出て、娘が言うには髪の毛も薄くなってしまっているらしい。そちらは自分の目で確認したわけではないので信じてはいない。
美形というのも大変だと思う。幼い頃からその美しさに惹かれて、呼んでもない人が寄ってきたり、興味のない人からの告白を受け続けたり、と。
外見の良いことだけが取柄だった人が、前述のような外見変貌要因で見かけが変わってしまった場合、アイデンティティはどうなってしまうのか。そもそも人の細胞は日々移り変わっていく。ゆく川の流れは絶えずして、というように、人の見かけも同じようでいて日々移ろっている。美形だった人が永遠に美形であるはずもない。保たれ続ける美しさは不自然なもので、何かしらの手が入っていると考えてよい。
一足先に息子は寝入っている。娘も「おやすみ」と言って特に議論が長引くこともなかった。私は日々移り変わっていく外見について思索を伸ばそうとしたがいつの間にか眠っていた。
年を取ると時間の経過をあっという間に感じてくる。初詣は人が多いので、近所をぶらぶらと散歩していると、人々の顔が一秒ごとに移り変わっていくのが見えた。幼児が少年に、少年が青年に、青年が壮年に、壮年が老人に、という具合に変遷していき、また幼児へと戻る。誰もかれもの顔が目まぐるしく変遷していく。
「パパは変わらないね」と娘が言う。もちろん娘もあっという間に大人びて、老いて、幼い頃に変わっていく。
「いつまでもこんなことは続かないだろう」正月の一時の神様のお遊びみたいなものだろう、と私は片付けておく。私の顔が変わらないのは、老人にはなれないからだろう、と薄々誰もが感付いている。そのような人をたまに見かけた。
家に帰る頃には外見の移り変わりは皆おさまっていた。
娘が私の頭頂部を改めて確認してくる。
「ちょっと薄くなってるよ」
「パパは自分の目で見えるものしか信じない」
スマホのカメラで撮影しようとするのは、止めてもらった。
(了)
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