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「ヨルノガ・オーバードーズ」#シロクマ文芸部

 食べる夜と食べない夜があったが、どちらかというと食べない夜の方が多かった。しかし近頃では毎日食べるようになってしまった。他に食べられるものもなくなってしまったので。数がずっと増えて、あまりに簡単に捕まえることができるので。

 ヨルノガの話である。ヨルノガは人の指ほどの胴体に虹色の羽根を持つ蛾の一種で、食べると美味である。胴体を唐揚げにしたり、乾燥させた羽根をふりかけにしたりして食べる。生でも食すことが出来るが、その場合腹と頭を壊す。

 大規模な歓楽街が行政により強制閉鎖された後、行き場をなくした夜の住人たちの成れの果てがヨルノガである。大量の行方不明者と関連付けられたデマに過ぎない、と主張するものもいるが、それでは大量の行方不明者たちはどこへ消えたのか、という答えはない。外国に活躍の場を求めたとか、各地に散って表には出てこない形で活躍しているとか、そもそも彼ら彼女らはいなかったとか、否定派の声はどんどん荒唐無稽となっていった。
 
 閉鎖前の数年ほどの間に、歓楽街の中で爆発的に流行した薬物が、虹色の粉、通称「鱗粉」であった。全身しびれながら夢遊病のような心地となり、空を飛ぶ幻覚を見ることができたという。鱗粉をオーバードーズした人間が本当に空を飛べる気になり、ビルから落下し、直下にいた人々を巻き添えにする事件が後を絶たなかった。「人の降る街」は閉鎖するべきだと、世論は歓楽街の閉鎖を後押しした。思えば鱗粉の流行自体が、政府の仕掛けたものだとすら思えてくる。

 歓楽街の閉鎖は、その街にぶら下がって暮らしていた人々をも破滅に追い込んでいった。私もその一人だ。老舗のゲームセンターに見せかけて、薬物取引、各種交渉の場、改造ゲームを利用した裏カジノとして細々と営業していたが、夜の店の消滅と共に客足は途絶えた。末期の客は鱗粉を吸い込んで、よだれを垂らしながら両手を広げてフラフラと地上を飛ぶように歩いていた連中ばかりだった。

 鱗粉のオーバードーズは変態を引き起こすという噂が流れ始めたのと、ヨルノガの発生時期は一致している。ビルから飛び降りずに地面にぶっ倒れた末期の中毒者は、一本ずつ指がもげていき、それが蛾の姿に変わり、飛び立っていくのを見た、という目撃談が相次いだ。蛾が指以外の身体の栄養分を吸い取っていったかのように、残りの身体はすぐに干からびて風化して散っていくのだとか。
 
 私の店でもヨルノガの発生現場らしき瞬間に立ち会ったことがある。かつての常連が久しぶりに来店したと思ったら、トイレの中から入って出てこなくなり、店の中をヨルノガが飛び始めた。個室の中には客の衣服だけが残されていた。それをきっかけに店を閉めた。

 鱗粉には手を出さず、かといってまともな人間でもいられなくなった夜の街の生き残りたちが、ヨルノガを食用とし始めたのは、飢えのためであった。かつての同胞を自分の中に取り込んで共に生き直してみたくもあった。全てが手遅れだなんてことにはとっくに気がついていた。

 薬物に手を出した者の末路はよく知っている。幼い頃から周囲で多くの者が狂っていった。死んでいった。だから手を出さなかった。だがそれが鱗粉を大量摂取した人間の成れの果ての姿と分かっていようと、食わなければ死んでしまう状況では、手を出さざるを得なかった。もうまともな食料を売る店もなくなってしまった。廃墟化していくこの街から出ていく金もなくなってしまった。そもそも他の土地で生きる術など持っていなかった。死んでしまったかヨルノガとなってしまったか、かつての友人や恋人や客たちの顔が次々と浮かぶ。彼らを腹の中に入れてしまっているのかもしれなかった。調理に使う油も切れて、私はヨルノガを生のまま丸呑みするようになっていた。ヨルノガはどうしてこうも簡単に捕まえることが出来るのか、手を伸ばせば掴むことが出来るのか。彼らの方で捕まるのを待ち受けているようにも見えた。彼らは道連れを作ろうとしているように見えた。

 私以外の住人の姿を見かけなくなると、ゲームセンター裏の陽の差さないアパートの私の部屋の前に、大量のヨルノガが集まってくるようになった。残された唯一の人間の腹の中に収まりたくて、彼らはやってくるようだった。おかげで私は飢えることなく生き延びることが出来た。ヨルノガを生で食べ続けるのが身体に良くないことは分かっていた。腹と頭を壊してしまうことは分かっていた。本当は、この土地以外で生きることが出来たなんてことも分かっていた。ただ億劫なだけ、生まれ育った街で緩慢な死を待ちたかっただけ、ということにも気がついていた。本当は最初から壊れてしまっていたのだ。この街に捨てられた日から壊れ続けていたのだ。狂って死んで壊れて変態していく仲間たちを見ても平気だった自分こそが重症だったのだ。

 違法改造された建築物の取り壊しが始まっている。どうやってそのビルを支えていたのか、というくらいに脆い、かつて夜の住人たちが活躍していた場所が壊されていく。やがて重機たちは私の住む部屋にたどり着くだろう。まだ人が住んでいることなど知らず、アパートごと私を壊してしまうのだろう。私はそれでいい。

 ふと、身体が浮かんでいることに気がついた。無数のヨルノガが私を乗せて飛んでいた。眼下では予想通りに、重機たちが私の部屋を打ち壊していた。
 なぜ助ける、とヨルノガに聞いたが、発声器官を持たない彼らが応えるはずもなかった。私にこの街を出ていけと言いたいのか。自分たちが生きていたこと、死んでいったことを誰かに伝えてほしいとでもいうのか。私は嫌だった。誰にも伝えることなく、私もこの街で朽ち果てていきたかった。私はヨルノガの絨毯の上でもがき、暴れ回り、地面へと羽ばたいた。

 しかしまた無数のヨルノガに私は受け止められてしまう。私の声を無視して、ヨルノガは私を街の外へと運び出していく。

(了)

シロクマ文芸部参加作

娘に教えてもらった曲 なとり「Overdose」

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泥辺五郎
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