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「フライングフライパン」#シロクマ文芸部

 夏は夜になるのが遅いので、黒いフライパンが空を飛ぶ様子がよく見える。早めに夕飯の支度を終えた家から飛び立ったフライパンは互いに惹かれ合って群れを作り、一斉にねぐらへと帰っていく。

 フライパンの渡りの季節になると、料理の際に代用されるのが中華鍋である。中華鍋は夕飯を鍋に入れたまま飛び立つ習性がある。この習性を利用して中華料理は世界中に広まったことはよく知られている。中華鍋のねぐらには猫が寄り付く。

 群れからはぐれた小型のフライパンを拾いあげると、身を捩って私の手から逃れようとした。取って食べるわけではないよ、とフライパンの縁を優しく撫でて落ち着かせる。よく底面を撫でるフライパン素人がいるが、炎で焼かれ続けて敏感になっている部分なので止めた方がよい。

 夕方のフライングフライパンを見ると私はいつも創作意欲をかき立てられる。メモ帳と万年筆を持って公園のベンチで執筆を始める。今日は「フライングフライパン」という話を書き始めた。空を飛ぶフライパンたちの歴史と、その群れからこぼれ落ちてしまった小さなフライパンの物語を書こうとした。私の横では小さなフライパンが寝息を立て始めていた。

 しかし夜の帳が降り始めると、別の物が飛び立つ時間になってしまった。私の手から万年筆が飛び立ち、「フライングフライパン」を完成させることができなくなってしまった。私の万年筆を含めた「フライングフライペン」たちが夜空を舞うのが、月明かりで一瞬見えた。

 万年筆が飛んでいってしまっては仕方ない。私は泣く泣く執筆を中断して、小さなフライパンを連れて家に帰った。カタカタとフライパンの足音がうるさいので、抱きかかえてやると、少しうれしそうに腕の中で跳ねた。

 その小さなフライパンで焼いた鶏皮をつまみながら、何事もなかった一日をこうしてキーボードで打っている。万年筆がなければキーボードで書けばいいのだ。フライパンがなければ鍋で煮込めばいいのだ。うとうとしていたら私の背中にも羽根が生えてくるのを感じた。しかし節制を怠って腹肉がたっぷりついてしまった私では、羽根が生えても飛ぶことはできない。どこにも渡っていくことはできない。

 翌朝抜けた羽根をゴミ箱に捨てるところから一日が始まる。昨晩拾ったフライパンは洗って乾かしておいたのに、まだうっすらと濡れている。群れからはぐれた悲しさで涙を流したのだろう。ガスをつけて水気を飛ばし、朝食の卵焼きを焼き始めると、フライパンは熱くなり始めた。少し赤みを帯びて見えた。

(了)

シロクマ文芸部「夏は夜」に参加しました。
原案は架空書籍紹介68冊目。



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泥辺五郎
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