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ぬいぐるみ小説集「スーパーの廃墟のレジに立つ犬」#シロクマ文芸部

 懐かしい顔に会う。その犬のぬいぐるみは廃墟となった巨大スーパーのレジに立っていた。食料品を提供するこの手の店は、ぬいぐるみ従業員の導入に最も積極的な業界でもあった。私が廃墟を撮影する旅を始めた頃に出会った彼と、変わらぬ姿であった。あてもなく旅をしているうちに、元の場所に戻ってきてしまったようだ。

「久しぶり」と私は彼に声をかけた。
「いらっしゃいませ」私は商品をカートに入れているわけでもないのに、客として扱われてしまった。
「覚えてないかな。何十年か前に君と会っているんだけど」
「ポイントカードはお持ちですか?」
「買い物をしにきたわけじゃないんだ」

 確か以前の会話では似たようなやり取りの後「冗談ですよ。もうこの店は潰れていますからね」という言葉が続いていた。
「カードをお作りになりますか?」
「ずっとここにいたのかい? 『私もそろそろ旅に出ますよ』と言って別れたじゃないか」
 その時の彼の答えを思い出した。
「旅に出るとしたら、どこか遠くのスーパーに行ってみたいですね」
 とすると、ここは私の旅の始まりの場所ではなく、全然違う遠く離れた別のスーパーであるのかもしれなかった。

「冗談ですよ」と彼は言ってくれた。
「紙のカードは既に廃止されています。あなたのポイント有効期限も既に切れています。ですので、新しく紙のカードをお作りになりますか?」
 言うことがめちゃくちゃになってきた。彼はすっかり壊れてしまっているのか、こういう遊びなのか。

 私は旅の始まりの際に交わした、様々な出来事を予感する対話の数々を思い出した。そこには知的な楽しさが満ち溢れていた。一人でいると気付きにくいだけで、誰もがとっくに手遅れとなっているのかもしれなかった。回復不能なエラーの積み重ねを、修正してくれる人たちはもういなくなってしまった。

 あまり言葉を交わすと彼のエラーがまた増える気がしたので、写真を一枚撮って別れた。私の後ろに誰かいたような様子で、犬のぬいぐるみは「カードをお作りになりますか?」と見えない何かに語りかけていた。


(了)

今週のシロクマ文芸部「懐かしい」と、現在進行形の連作掌編集「ぬいぐるみ小説集」をくっつけました。人類の滅んだ未来、廃墟とぬいぐるみを撮影する「私」の物語です。時々現代に戻ります。


入院費用にあてさせていただきます。