日雇い時代2
初回はこちら。メンバーシップ様向けの記事となります。
引っ越しの現場で二世帯住宅へ荷物を運び入れた。私が担当したのは、二階に寝たきりの老人がいる和室に、衣装箱のようなものを延々と運び入れる作業だった。湿気た床に荷物が沈み込んでいった。
引っ越し作業などの、重い荷物を運ぶことがあらかじめわかっている仕事がA作業、ライン作業などの肉体的にはきつくない作業がC作業、その中間的な業務がB作業、といった振り分けがされており、当時の時給でA:1000円、B:900円、C:800円、といったところだった。前回の記事に出てきた美術品搬送トラックの助手作業はB作業だったと思う。
A作業は時給はいいものの、つらいところに続けて当たると行きたくなくなる。C作業は継続して募集しているところが多く、いろいろな経験を積めることもあり、次第に私はC作業の案件を選ぶことが多くなっていった。これは二十五年前の第一期、十五年前の第二期と同じような流れだった気もする。その十年で時給は大して変わっていなかった。
引っ越し作業といっても、日雇い派遣アルバイト4~5人を雇う大規模な家もあれば、2人で十分な現場もあった。回数を重ねると厄介なこともある。大規模な現場の端っこで補助的な業務しか任されていなくとも、経験回数のせいで派遣会社からはベテラン扱いされ、少人数の現場で責任者的な立場を与えられたこともあった。実際にはただの素人であるから、やるべきことも把握し切れていなくて、引っ越し会社の社員にボコボコに怒鳴りつけられることになる。
現場での作業が夕方に終わって現地解散となった後、まっすぐには帰らず、派遣先の町をぶらぶら歩き、古本屋を巡っていた。時には日雇い仕事の後で何駅分もの見知らぬ土地の散策を楽しんだ。
第一期の頃だったと思うが、二日続けて入る予定だった現場を、一日で断ったことがある。マネキンなどを保管している倉庫での作業だった。特に説明もなく、高所に資材を運び入れる仕事も任された。マネキンを傷つけないように運ぶのは骨が折れるが、それでもスピードを求められた。木村拓哉が同じような仕事をしているCMを見たことがあるが、CMのように優雅なものではなく、身動きしない中身が空っぽの人間を運んでいるような錯覚にも陥った。終わる直前までは次の日も入るつもりではあったが、突然鼻血が出始め、体調不良を理由に、派遣会社に翌日の断りの電話を入れた。
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