「街クジラ・オフィスカラス・人混みネズミ・家イモムシ」#シロクマ文芸部
街クジラ化した青年は、人間であった時の意識のままで、恋人の住むアパートへと向かい、築八十年の木造建築を大破させた。幸い住人たちは、遠くから吠えながら進んでくる街クジラに気付き避難を済ませていたので、怪我人はない。
変わり果てた姿になろうと、街クジラに青年の面影を見出した恋人は、手の代わりに巨大なヒレに身体を寄せ、なるべく人の少ない道を通って、遠い遠い海へと向かう旅を始めようとした。旅の途中で捕獲された街クジラの顛末についてここでは省略する。
オフィスカラスは高層ビルの窓ガラスを巨大なクチバシで突き続けてついに割り、大空へ羽ばたこうとした。仕事が嫌になって空へ飛び出したいと願った中年管理職の一人が、人であることを止め、艶のない黒い羽根を生やしてカラスへと変貌した。確かに風に煽られて少し浮かびはしたが、いかんせん体重が重すぎた。彼は着地時に足を折り、人混みネズミたちにかじられることとなった。
先祖帰りだとか突然変異だとか遺伝子操作だとか宇宙人侵略だとか、理由や経緯はともかくとして、ある日突然異形化する人は後を絶たなかった。人々は狂ったり自殺したり病気になる代わりに、他の生き物へと変わっていった。派手に変貌した者が現れると、引きずられるようにして同型の変異が起こった。「街クジラ」はその巨大さと、海の巨大生物が陸に出現するダイナミックなミスマッチ具合から、一種のトレンドにもなった。
海まで辿り着けなかった街クジラたちの腐臭に対する行政の対応は素早かった。彼らは資源として街クジラを活用し、街クジラの破壊した街は、街クジラの骨を再利用したコンクリートで固められていった。
世界の人口はあまり変わりない。人が何に変わってしまおうと、これまでと同じように、日々は少しずつ終わりの方へと転がり落ちながら進んでいる。
街クジラによって破壊された古いアパートには、イモムシ化した老人が住んでいた。家イモムシとして、指ではなく身体全体を使い、キーボードに向かってタイピングを続けていたその老人は、陽射しを避けて木陰でサナギとなり、夜明けにチョウとなって飛び立った。元々干からびかけていた老人の身体であったから重みもなく、難なく飛行をこなした。新たに街クジラに変化した誰かを見下ろしながら、海へと向かい始めた。羽ばたくごとに落ちていく鱗粉には、全て微細な文字が記されていた。
(了)
こちらの企画に参加。これまで眺めているだけだったのが、「街クジラ」というフレーズにつられてしまいました。