前回記事を挙げて、はや1年も経ってしまったのか…。 この1年間、ちょっと無理してある仕事をしていて、それが本当にやりたい事なのか、そうではなく自分で思い込んでるだけの義務感に縛られてやってる仕事なのか、よくわからないまま、中途半端にやっている。 やりたい事って、普通は自然と湧いてくるんだろうけど、私は場面緘黙+HSPの性質を持つため、自己アピールが苦手で、子供の頃から親や人の言うことを素直に聞き続けてきて、そうしているうち「こうしなければ」という強迫観念じみた考え方に偏ってし
最近よく言われる繊細さん(HSP)は、神経が過敏に反応しやすいので、私の場合、普通に嫌だなと思うことが、何倍にも強く感じてしまう。 先日、懐かしのギルバート オサリバンのコンサートに行ってきた。 Alone Again とかClairとか、その他色んな楽曲を、オサリバンの独特のピアノの弾き語りとギターの演奏で、とても感激した。 でも、隣に座っている人が、頭触ったり、カバンの中からメガネ?を取り出したりしまったりを何度も繰り返したり、そのうちウトウトと寝てしまったり、そうい
場面緘黙+HSPのためか、小さなことがすごく気になる性格で、 色んな所でストレスを受けます。 先日もある店員さんに、紅茶の取り寄せをお願いしたら、 この間はできたのに、もうできないと言われ、 ちょっと頑張って、この間はできたのになぜ?と尋ねてみたら、 もう今はやってないんだ、と強い口調で言われたことが、 その後ずーーーーっと頭に残ってなかなか離れず、 もやもやが数日続いていました。 切り替えが下手なのもありますが、 そうなると、その日のそのあとは気分が乗らなくて、 そした
前の記事で書きましたが、自分は『場面緘黙』と思っています。 思っている、というのは、どこかで診断された訳ではないので、時々、「自分の思い込みじゃないのか?」と言われる事がありますが、そういう時は、じゃあこれまでの経験をどう解釈したらいいのか、どれだけ悩んで苦労してきたか、本当に分かってもらえないと思い、悲しくなります。 子供の頃、親戚が集まった中で、ここに居たくないとは言えず、他の子がみんなどこかに遊びに行ったのに、だまってずっと何時間もただ座っていたことや、親戚の伯母か
前回、自己紹介として記事を書いたのですが、HSPというのは最近意識したものですが、その前に、『場面緘黙』というものにバッチリ当てはまる事を知った衝撃があります。 ・・・あ、自己紹介の続きをやってます。 子供の頃は、(いや、今でもですが)人と話すのが苦手というか、人と話そうとすると緊張しすぎて言葉が出ませんでした。 親戚の集まりが嫌で嫌で仕方がないとか、新学期は知らない子ばかりだと、固まりすぎて話せない。 それ、みんな同じでしょうと思われますが、場面緘黙の子は、1年経っても
…というタイトルのとおり、色々複雑ではありますが、日々何とか過ごしています。 はじめまして。 現在54歳。女性鍼灸師。 治療師として疲れない程度に仕事をしていますが、 これまで、そして今でも様々な体調不良と向き合っています。 そんな調子で治療師としてどうなの?という意見もあると思いますが、 患者側の悩みや嫌な思いも色々経験しているので、他の治療師とは違い、患者目線にもなれると思っています。 東洋医学の考え方については、ただ陰陽五行に当てはめるだけのありきたりな見方はし