少年が道の真ん中を歩いていた。その発見から車の大渋滞、たくさんの人を巻き込む事態になった話
その少年は道の真ん中を歩いていた。
いつものように子ども達を車で学校へ迎えに行き、家路を急ぐ途中だった。
この少年発見から車の大渋滞、たくさんの人を巻き込むことになるとは。
人々の思いを感じたエピソードです。
いつもの帰り道で
いつもの道を、いつものように右折しようとした時、その少年を発見した。もうすぐ子どもの習い事の時間で、早く家に帰りたかった。しかし道の真ん中にいるので曲がれない。とりあえず止まって待った。
少年は手さげ袋をもっていた。どこかにお出かけなのか?
うちの息子と同じ小学校高学年ぐらい。隣の家に行くぐらいなら考えられるが、息子ひとりで外を歩かせたことはない。ここオーストラリアではこの年でひとり歩きはさせないだろう。迷子か?
少年、どこへ行く?
ん? なんだか様子がおかしい。
真っすぐ歩いていない。少年は上を向きながらフラフラしている。そのうちパタパタと歩き始めた。その先は片道2車線の幹線道路。車がひっきりなしに通る、交通量の多い道路だ。
「まずい、 止めないと!」
車を道の端に駐めて、子ども達にロックして待つように伝えた。わたしは車から降りて少年を追いかけた。
少年の手と体を支え、「大丈夫よ。そっちは車いっぱいだから、こっちに行こうね」と声かけし、なんとか幹線道路の反対の方へ導こうとした。
しかし、少年はわたしの手をはらい自分の行きたい方向へ行く。
当たり前だ、知らないおばさんにいきなり止められたら逃げたくなるだろう。目も合わない、言葉も発しない、しかし、嫌なのは態度でわかる。
それにしてもこのままでは少年が道路に出てしまう。下手したら車にひかれてしまう。力尽くでもなんとか引っ張ることができたかもしれない。でも、よそのお子さんを強制的に引っ張る、それはできなかった。
「こっちに行こう」と声かけし、体を反対向きにしようと試みたが、まるで効果がなかった。体力的にも負けていた。ちょっとずつ、ちょっとずつ、幹線道路に近づいて行く。
ついに入口まできてしまった。これ以上、絶対行かせられないので洋服をつかんだ。すぐ隣は車がビュンビュン走っている。どうしたらいいのだろう。
何か手段はないか考えつつ、洋服をつかんだ手は力ずくで引っ張っていた。
大渋滞発生!
突然、1台の車が道路斜めに止まった。その時点で片方2車線がブロックされた。すぐさま、渋滞が起きる。斜めに止まった車が事故車と思われたのか、反対車線の徐行運転がはじまり、また1台の車が止まった。夕方の幹線道路、完璧にブロック状態。
停車した人からわたしに声がかかった。
「あなたお母さん?」「ちがう」
「その子どうしたの?」「ひとりで歩いていた。たぶん、、、、」
「警察に電話した?」「携帯が車に」
その後すぐに、斜めに止まった車から女性がひとり出てきた。
「わたし市役所の職員なの、まずわたしの車にその子を乗せて」と。
びっくりなのが、その少年、問題なく車に入って座ってくれた。まずは安全確保。
そしてその女性が警察へ電話。
「どこで見つけたのか」「ストリート、場所はどこか」「子どもの様子」など、わたしから女性へそして女性から警察へと情報が伝わった。
そうこうしているうち、幹線道路の反対側から、ちがう女性が走ってきた。走り方、表情から少年のお母さんとみえる。わたしは警察と電話をしている女性に「もしかしたらお母さんかも?」と伝えた。
お母さんは少年の名前をさけんでいる。
「大丈夫よ。息子さんはここにいる」とわたし。
「台所のガスをチェックしに戻ったらいなかった」とお母さん。
お母さん、胸を撫でおろしつつもきっと動揺していたのだろう。「ありがとう、ありがとう」と言いつつ息子さんの手をぐいぐい引き、もと来た道を戻って行った。
わたしも女性も「車で送っていけますよ」とお声をかけたのだが、お母さんは「すぐそこだから」と言った。
みんなの思い
たしかにすぐそこだった。うちのご近所さま。
今回、起きてしまったが、起きないようにと、お母さん、毎日気を張っているのだろう。ほーっとひと息つける時はあるのだろうか?
地域の人間としてお子さんをいっしょに見守ってあげたいと思った。
わたしは、少年を保護しようと必死になっていたが、ひとりではどうにもならなかった。きっと毎日、少年をみているお母さんも、ひとりではどうにもならない時もあるのだろう。
よかったのは大渋滞になっても、誰ひとり文句を言う人はいなかったことだ。みんながことの成り行きを静かに待った。あるいは声をかけ合った。
みんなの思いはただひとつ 「少年が無事に家に帰れること」
この日はみんなの助け合いの力を感じ、心が温かくなった。
わたしもその一員になれてうれしく思えた。
地域で守る安全な町、どの国も、どの地域もそうなることを願いたい。