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努力について考える

『努力は必ず報われる』とか『報われない努力はない』という言葉が苦手だ。

『必ず報われるわけではないけど、報われるのは努力をした人だけ』
こちらの方が受け入れられるし、意味はわかる。


そもそも、努力ってなんだろうか。。
目に見えないものだから、とても難しいなと思う。

結果に結びついた=努力した
結果に結びつかなかった=努力が足りない

わけではない…と個人的に思っている。

どんなに自分なりに努力をしても、目指していた結果に繋がらなかった、、、ただそれだけのことだ。


そもそも、物事なんて思うような結果に結びつかないことの方が多いと思う。

でも、人によるのだろうな…とも思う。


夫は、努力は結果を出してこそだと言う。
もちろん結果に繋がるなら、それに越したことはないけれど、皆が皆望むような結果に繋がるわけではない。

頭の良い(勉強ができるという意味で)人だ。
高校受験も、大学受験も、大学院進学も、就職も、思うところに進めた人の言葉だ。
もちろん、その結果に至るまでの努力はしたのだろう。だからこその結果なのだろうから、素直にすごいとは思う。

逆に私は、高校も、専門学校も、第一希望の学校には進めなかった。
思い通りの結果になったのは、看護師国家試験と就職だけだ。
就職後は様々な原因から、人生初のうつ病になったのだけど…

じゃあ過去の私は努力しなかったのか…?

新人の頃、出来の悪い私は、先輩から「もっと努力しないと」と言われ、心の中で「努力してるつもりです」と言い返したのを覚えている(面と向かっては当然言えなかったけど)。

母親には、「お姉ちゃんお兄ちゃんは勉強できるのに、あなたは苦労ばかりね」と言われ、心の中で「努力してるつもりです」と言い返したのを覚えている(こちらも面と向かっては言えなかった)。


先程も書いたが、夫は自分の経験からも、努力すれば結果に繋がると思っている。
だから、我が子達に対しても、無意識にそれを求めるのだろう。。

親だから、大なり小なり我が子に求めることはあるかもしれない。
でも、夫は我が子達の成績面でかなりその傾向がある。


2年前、上の子が中学受験をした。
結果、第一志望校に合格したが、それまでの道のりは上の子本人はもちろん、サポートする私も本当に大変だった。
うつ病が再発した原因のひとつと言っても過言ではないくらいだ。

数ヶ月前、もともと塾には通っていた下の子も、「◯◯(上の子)と同じ学校を受験したい」と言い出してから、我が家は再び中学受験へ向けて進んでいるが、上の子よりも下の子は勉強が苦手だ。

上の子の勉強方法は完全にコツコツタイプ。
下の子は短期集中タイプ。

でも、中学受験となれば自然とコツコツを求められるため、なかなか難しい。

日々の勉強も、塾のテストも、下の子なりに努力はしているのだろう。それは見ていてわかる。
ただ、なかなか思うような結果に繋がらないのだ。

じゃあそれは、努力が足りないのか?

…わからない。

そうなかもしれないし、努力の仕方(本人に合った勉強の仕方)を模索中なのかもしれないし、これが本人の精一杯なのかもしれない。

もし今が本人の精一杯だとしたら、親としては目標を見直す声がけや対応をする必要があるだろう。
もしまだ努力できる余力があるとしたら、親としては精一杯サポートする必要があるだろう。

まだ受験をしたいと話した本人はのほほんとしている部分があるが、私はまたあの苦労の日々が始まるのかと思うと少し憂鬱になってきている。
これからが本番だから、大変になる一方なのをわかっているし、やはり本人の努力が結果に繋がってほしいと誰よりも思うからだ。


じゃあ、思うような結果に繋がらなかったら、努力が足りなかったのか?

そうではないと思う。   

オリンピック選手だって、努力の塊みたいな人達だが、皆が皆思うような結果を残すわけではなく、大半は悔しい思いをしている。

じゃあ彼らは努力が足りなかったのか?
決してそうではない。これだけは確かだ。

ただ、結果に繋がらなかっただけで、その努力の過程は決して無駄にはならない。


私は、『努力は必ず報われる』とは思っていない。
でも、努力をするということは大切だと思う。

その努力をしようと決めた気持ち、努力をしている過程…
うまくいかないことの方が多いだろうし、逃げ出したくなることもあるだろう。
でも、それらと向き合ってきた、そしてこれからも向き合っていかないといけないということ。

そういったものを認め、時に叱咤激励をしながら、努力の大切さを我が子達には伝えていきたい。


私自身は努力が苦手な人間である。
だから偉そうなことは言えないのだが、こんな母親だからこそ伝えられる言葉や思いがあるはずだから。