光晴・賢治・信夫・周一
午後はなにをしていたのかわからないうちに真っ暗になる。雪の心配で外を見ながら珈琲だの紅茶だのを飲んだりうたた寝したり(今朝は四時半の早起きだった)していたらしい。金子光晴が1953年頃の『群像』に書いた詩論(エッセイ)途中まで。一見とりとめのない「論文」的な意識の対極で書かれた文章なのだが、やはり表現の発想に底知れぬものが感じられてある意味おそろしい。こういう読書にもどったのは久しぶり。ここしばらくはシュタイナーばかり読んでいて、それが独逸語の解釈の勉強のようで捗らない。今読んでいるのが以前英訳で読んだことのある講演録で、当時意味の取れなかったことが現在はわかるようになった。独逸語の力はついてきたが、集中力を取り戻す必要を感じる。『中級ドイツ文法』が勉強になる。ぼくの場合、まだまだ「読解=文法解釈」の段階なので。そういうことで勉強したかったが、空腹になってきた。食事しながらトルコ・ドラマ『ラストプロテクター』見て寝てしまうと思う。なかなか殺伐とした展開で、イスタンブールが主役のお話。
中村稔「宮沢賢治における家の問題」(「近代文学」昭和29年2月号初出)。賢治の人生をここで論じられているような挫折の歴史として考えたことがなかった。昔読んだマロリ・フロム『宮沢賢治の理想』のタイトルのような捉え方だった。とりあえず後者を読み返してみたい気がする。『・・・理想』は家中探し回って見つけることができた。年末・年始の整理のおかげ。
鮎川信夫「現代詩とは何か」(「人間」昭和24年7月号初出)。「・・・戦後の破滅的要素に満ちた社会をめぐって、現代の知性と感受性と行動性の限界は、ニヒリズム、カトリシズム、コミュニズムの図式の上に描くのが常識であるが、現代を全く荒地化せしめた終末的近代の自覚という歴史的意識が根本にあるわけである。」
鮎川の文章は観念的で読み飛ばして忘れてしまう態のものだけど、こうして書き出してみるとようやく意味が伝わってくる。「荒地派」は戦後の経済復興とともにその「終末意識」を忘れた頃に衰滅した、という仮説が成り立つか。
加藤周一「「現代詩」第二芸術論」。昼飯の前に。加藤に拠れば、詩は言葉の美しさが大前提で、その美しさというものは、音韻性にあるらしい。それはアメリカ英語やフランス語の発語にあるし、京言葉にもあるが、東京の標準語にはないと言う(「文藝」昭和24年9月号初出)。ここで、芥川龍之介による四行詩(旋頭歌?、今様?)が引用されていて、「わたくしは、例えば萩原朔太郎全集の一切よりも、この四行を愛する。・・・古今東西詩といはれてゐるものはこれ程美しいものであった。さうでないものは、詩でも藝術でもない。」と断言してしまう。またこの長くもない文章の冒頭で安西冬衛の詩(同年「文芸」七月号・現代詩特集)の非論理性を激しく非難している。ぼくなどとはあまりにもかけ離れた感じ方だったので、ある意味新鮮で、こういう「現代詩嫌悪」もある(あった)ことを知って、勉強になったかも知れない。しかし、この文章に限ってだとは思うが、理論派・加藤の主張に論理とか解析とかが皆無であったこと(感情的過ぎる!)が妙に気になっている。。。加藤の「詩人觀」が率直に述べられている箇所があった。あとで書写しないといけないと思うので、メモだけ。
本日の勉強納めに「校本宮澤賢治全集第13巻(書簡)」本棚の高い処から取りだして読んでみる。大正八(1919)年八月二十日前後・保阪嘉内あて(封書・封筒ナシ)。賢治二十三歳か。おもしろい。背筋がゾクゾクする。中村稔のエッセイによると賢治は(東京に出て)語学と数学の勉強がしたかったらしい。その気持ちはすごくよくわかる。今年は数学の勉強の再開もできると思う。賢治の”書簡文學”は知らなかった。これはほんとうにおもしろい。生きる楽しみをひとつ発見した思い。
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初夢が茶色っぽい、つまりセピア色のサスペンス映画の主人公のような話だった。なにかの人工的な崖っぷちに手をかけて辛うじて落ちない。手探りでもっと確かな手掛かりを探すと溝のような手応えがある。手をかけた拍子にヒンジで回転する装置のようなものが回ってきて助けられた。