錆シイ方舟#3
0
秋になった。「自己」の網の目がつながってきて面白く感じる。夏は生きているだけでたいへんだった。この不可視の網になにかが捕まるかどうかわからないが、脳漿の水面下にこの網を入れて動かしてみる。すると奇怪な形而上的魚類を捕獲することになる。そいつを「キリスト」と名付けよう。
1
すでに数日経ってしまったし、自分の夢としてはフロイト理論の射程内に収まるもので特に面白くもないが、新カテゴリーとして書いておく。
原宿あたりのカリスマ美容師の店で髪を四つ編み(まさしく四本)にされて店を出る。自分でも悪くはないと思う。最近一新した年齢不詳の服装趣味に合うと思う。左右に分かれて二本ずつ組になった髪の束が後頭部にぶらさがっている。おおいに気に入って街をあるきながら現実の自分はスキンヘッドだったことに気づき始めたところで眼が醒めた。
2
物理学教室の年老いた助手が正弦波の捕獲に成功したというので見に行った。正弦波の節(せつ)に捕まえ方のコツがあるらしい。虫かごに五つ入っているものを見せてもらう。譲り受けて正弦波の調理では右に出るものがいないというキダミノル先生のところに持っていくことにした。
老後の先生は光のなかでルソーを読むことを日課にしているそうだ。頻尿のわたしが”はばかり”をお借りしているあいだに調理が進んでいた。小さなアルミ鍋のなかで正弦波のコロッケがひしめいている。まだうわっつらは白っぽい。これから反転させて仕上がるのだろう。
*
正弦波のコロッケが人類の卵だったとは知らなかった。五人も生まれてしまったエヴァはおおいに問題だと思った。後悔に苛まれながら新世紀のアダムの眼が醒めた。
3
下界の気配さえ覚束ない高所で起き上がった。細長い三角形の狭所に赤いシングルスカル(競技用一人乗りボート)が置いてあってその脇の僅かな空間に添い寝するような形だった。柵も何もない。墜落の恐怖感。何かのモニュメントの先端に放置されたモズの”はやにえ”のようでもあった。悪い天使の嘴。大洪水が起きてここまで水が満ちてくればじぶんは救われるというパラドクス。与えられたものは見たこともない繊細な素材で編まれた半透明の手袋でこれも真っ赤だ。この手袋をはめて両掌を見えない血で染めながらともかく下降を試みるべきか。判断に迷っているうちにノアの眼が醒めた。
4
壁面・天井・床が均質に照明されたように仄明るい立方体内部に閉じ込められている。幾何学の獄舎。気がつくと隣に見知らぬ男がいる。その顔が映画的にリアルだった。限られた体積の空間で他人の息を呼吸しなければならない。狭所恐怖に緊縛されたカインにはアベルという名が思い出せない。