【短編小説】コタツロボ25年史
昔とあるところにたいそう怠け者の男がいた。彼は寒くなると、コタツへと潜り込みロクに外に出ない。大学に行くのも億劫になり、これは本当の話だが、寒いからという理由で休学したこともあった。当然、両親からは激しく怒られたものの、彼は親の温かさよりもコタツの暖かさを優先してしまった。
彼はいつもコタツの中で夢想した。コタツが自律して動いてくれればどんなによいだろうかと。
コタツの暖かさに包まれている際に、1番辛いのは、コタツから出る時である。トイレに行く際も、料理を作る際も、風呂に入る際も、外出する際も、バイトの際も、講義の際も、彼はコタツとの別離には涙を流す思いだった。コタツの暖かさの分だけ、社会の冷たさを思い知った。
もし、コタツが自動で動いてくれればどれだけありがたいだろうと考えた。コタツに入ったまま、コタツが移動すれば、社会の冷たさなど味わわなくてもいい。コタツのまま大学に行き、講義を受け、コタツのまま食堂に行き学食を食べ、そのままバイトにまで行くことができれば素晴らしい。寒空の下、コタツで移動しながら食べるミカンは格別だろう。コンビニでアイスを買って、そのままコタツの中で食べるのもいいかもしれない。
男の夢想は、妄想となり、しかしそれが一種の現実味を帯びて頭の中を占有し始めた。つまりあり得ない妄想を、どうにか現実にしてしまおう、と思ったのである。
「よし、俺が作るか!」
男はついにそう決意した。無い物ねだりをしても仕方ない。ないのであれば、作ればいいではないか。かくして男の愛すべき無謀な挑戦が始まったのである。
まずコタツが自走するには何が必要であろうかと考えた。最も簡単な方法は、台車か何かの上にコタツを載せてしまうことである。コタツをいじらなくていいので、手軽である。ただしこの方法の欠点は、動力を誰かに託さなければならないということである。台車に乗せるならば押す人が必要だった。
彼は友人にラインをした。「ねぇ、台車押してくんない?」。友人から返事が返ってくる。「引越しか何か?」
「いや、俺とコタツを乗せて、台車押してもらいたい」
「ふざけんな」
と、言うことで台車案は却下された。そもそも電源がないので、コタツはただの布団付き机にしかならない。コタツを移動中に稼働させるにはバッテリーを積まなければならない。しかも消費電力の問題がある。生半可なバッテリーではたちまち切れてしまう。
「これは弱ったことになったぞ」
男は自分がしていることが途方もなく大変なことであることに薄々気づき始めた。コタツを移動させることができる動力と、コタツ自体を発熱させる動力。どちらも搭載しなければならない。もしかしたらイノベーションを起きなければ、実現不可能なのではないか。
ならば俺がイノベーションを起こせばいい。単純な話だ、と男は思った。彼は飛び抜けて能天気であったのだ。
そこから彼の苦闘は始まった。彼は工学部だったので、勉強するにはちょうどよい環境だった。彼は今まで後ろの席しか座っていなかった講義も、最前列で受けるようになった。講義後には積極的に質問し、時には研究室を訪問して議論をした。教授たちは、まさか彼が全自動移動式コタツを作ろうとしているとは思わず、快く自らの英知を彼に分け与えた。
彼の成績はみるみるうちに良くなっていった。今まで使用する機会がなかった図書館に通い詰め、夜遅くまで勉強した。図書館にいる間、コタツに入れないので本末転倒ではあった。それでも彼は、「俺が全自動移動式コタツを作成すれば、図書館でもコタツが使える」と考え、むしろモチベーションは向上した。
課題は山積であった。まずはコタツの知識を持たなければならない。家電製品の知識がいる。効率的でコタツに搭載しても邪魔にならない軽量・小型のバッテリーについても勉強が必要だ。更にコタツを公道で走らせるとなると各種法律のことも学ばなければならない。コタツロボを作るには、人類の叡智を結集しなければならなかったのだ。男はそれを成し遂げようとした。それは無謀ではあったが、彼は使命感に燃えていた。そんな彼の思いを、笑うことができるだろうか。いや、できない。
男は大学院に進学し、そこでも研究を続けた。研究室は、ロボット工学を専攻しているところに入った。男はコタツをロボにしようとしていたのである。この頃、男は後のコタツロボに繋がる初号機とでもいうべきものを作成した。正方形の巨大な板の下にタイヤがついている。その上にコタツを載せて動かすというものだった。動力は試作途中のバッテリーを使い、車輪を動かすことも、コタツを発熱させることも可能という優れものだった。しかし乗り心地は最悪で、地面の衝撃がそのまま尻にフィードバックしてしまう。軽減するにはサスペッションをつける必要があり、男は更なる改良に力を入れた。
やがて男は院を卒業して、就職をした。大手家電メーカーに研究職として入った。もちろんコタツの開発を希望したが、新入社員の希望がそう易々と通るわけもない。彼はしばらく別の部署で働かざるをえなかったが、それはそれで彼の研究にはいい方向に進んだ。そこの上司が彼と同じコタラー(コタツ愛好家。男が勝手に呼んでいる)だったのだ。上司は彼の構想を聞き、大きく頷いた。
「面白い!」
それは男の今までの研究を端的に表していた。男の研究は「面白い!」に尽きるのである。人類の進歩とか、科学力の向上とか、未来への投資だとか、そういう目的は全くなく、ただただ「いつでもどこでもコタツに入り続けていたい」という情熱だけで動いている。これは「面白い!」としか形容できないであろう。
上司の協力を得た彼は活躍の場を広げていった。上司に連れられて行った会合には全国津々浦々のコタラー集っていた。会場にはとんでもなく巨大なコタツが鎮座しており、その中に入って肩を寄せ合いながら、話し合いを行った。これこそが後世に残したい文化だと彼は思った。コタツの暖かさで、みんな表情も柔らかい。話し合いの最中、場は和やかだった。
彼は言った。
「コタツロボを作りたい」と。
会場に拍手の音が轟いた。その拍手は会場を覆い、発言した当の本人を圧倒した。あとは案が噴出した。
「タイヤではなくキャタピラで動くようにしたらどうだろう。走破性が違うはずだ」
「そもそもコタツをリュックのように背負える形にしたら?人力で移動できる」
「荒唐無稽だが、足をつけるのはどうだ。階段でも軽々上り下りできる」
「飛行技術欲しい」
「規制の件なら、任せておけ。政治家とパイプがある」
世界が広がるようだった。次々と湧いて出てくる案。それはどれも、男1人だけでは思いつかないことだ。
議論は、コタツによってみんなが寝落ちしてしまうまで続いた。
男は、更に奮闘した。この時期に完成したコタツロボ2号機は、車輪が360度回る仕様を搭載。小回りが効き、走れる幅が広がった。しかし公道を走るには中々許可がおりない。コタラーの集い(通称コタツ会)にて議題にあげると、政界とのパイプを持っているコタラーが早速働きかけてくれた。政界にもコタラーはいて、話は早かった。
彼のコタツロボは、ついに制限付きではあるが、公道での試験運転を認められることができた。コタツを外に持ち出し、電源を入れる。コタツの内部が温まると同時に、コタツの下の車輪が動き出す。なめらかな滑り出しを見せたコタツロボ2号機はそこそこの成績を収めた。
しかし男はこんなものでは満足しない。確かに動きはしたが、操作性には疑問があった。コタツの天板の上に機器が取り付けられていて、レバーを引いたり、ボタンを押したりと、中々面倒な作業がいる。これではリラックスするためのコタツにしては、煩雑すぎる。コタツに入るのがストレスになってはいけないのだ。全自動運転技術を取り付けなければならなかった。
やがて男は結婚し、子どもも出来た。結婚し、子どもを授かれば、現実を見るようになり「コタツロボ」などと無謀な試みをやめるであろう、と思う方もいるかもしれない。しかしここまで読んでくれた読者諸氏ならばわかってくれるであろう。彼がコタツロボを諦めるわけないことを。
逆に子どもと妻の存在は、彼を奮い立たせた。自分の子どもの世代に何としてもコタツロボを残してあげたい。男の決意は更に硬くなった。
男はコタツを改造した。改良した。新造した。創造した。製作した。
いつしかコタツロボ22号機が出来た時、ようやく男が望んでいたものが出来上がった。自動で動き、入ったままどこまでも遠出でき、しかもコタツの温かさを維持したまま長距離を走破できる。夢のようなコタツロボである。
大学生の冬にコタツロボの構想を練ってから、25年が経過していた。
こうして男のコタツロボは、今では日々の生活になくてはならないものとなっている。冬のあちらこちらでコタツロボを見かけるようになった。やがて街中でコタツに入っていても恥ずかしくない文化も醸成されていた。
男が今、自分とコタツ開発について振り返りながらこの原稿を書いているのも、コタツロボに入りながらのことである。