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”役“が身に纏うもの~豊かさを考えてみる~

着物整理はじめました。

着物の写真を、その着物のもらい先とお手入れ履歴をメモした付箋を貼ってアルバムに入れてあるんです。着物着る日はそのアルバムを捲りながらどれ着ようかな〜♪と考える(^○^)
着物がたくさんある方に「うんうん」って頷いてもらえる管理方法です。

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袷の着物/単衣&夏物の着物/羽織&コート類
って感じでアルバムを作っていたのだけど、だいぶいろいろ増えていたので、袷の着物アルバムを一冊追加して、小物のアルバムも作りました。

そしてこちらが、先日いただいた着物たちの写真。

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もうずっと悶えてる美しすぎるなんなんもうずっと唸ってる。


#stayhome一人芝居 の衣装にも大活躍していただきました。

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物語ではこのお着物。
一覧写真の上段左から2番目のお着物です♪
ちなみに帯揚げ帯締めも、同じ方から頂戴したもの。

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こちらはエンディング中に着用していたお着物。
一覧写真の上段左端のお着物ですね。

『役の女性は“私自身”じゃない』。

これは撮影中にさとるさんとも話していたことなのですが、これが役作りの面白いところ。

実は今は、演技において「パーソナライズ」という自分自身とリンクさせていく、という演技手法が広く取られています。私もその稽古過程は踏んでいるのですが、かといって”私自身”に完全には重ならない。

衣装選びはそういう意味で、その人物の”物語に描かれない部分の人生”を濃厚に反映したものになると、私は考えています。
(※樹木希林さんの『遊びをせんとや、生まれけむ』展での、樹木希林さんの言葉にも「役作りは扮装が7,8割」は幾度か登場していました。マニアックなマガジンにまとめてあるのでよかったらどうぞ♪亡くなる直前の樹木希林さんを追ったドキュメンタリー映画でも、ヘアメイクさんとのやりとりにそのこだわりが覗えます。)

こんなに着物がたくさんあるというのに、私が好きで集めた着物たちだとどうもハマらない。稽古の最中、正直言うとかなり終盤まで、小物との組み合わせを「あーでもないこーでもない」ととにかく色々試行錯誤していました。

「どーもしっくりこないんだよなぁ」と腕組みしていたとき、そのひと月ほど前に我が家に届いた箱のまま、押入れに仕舞ってあったこの子たちをはっと思い出しました。

箱から広げてみた瞬間に、役の女性に“かちかちかちかち”ってハマっていく、実感。

「あ。うん、これだね。この子たちだ。」

このお着物の元のご主人様は和裁士をされていた方。
触れた瞬間から手が悦んでいるのがわかる、素材や縫製の質の高さ。
そして柄合わせや裏地の選び方の洗練された感性。
着物を日常としていた方の気負いなさを纏っているのです。

着物がとてつもなく特別・非日常だったところから、「好き〜っ💖」っていうハイテンションで突入してきた“私自身”とは、そう、纏っている空気が(まだ、としておきましょう)根本的に違う。

その上質さと、豊かな水を湛えた湖面のような静かな瑞々しさが、
この役の彼女の為人と、
彼女にこの着物を遺していった彼女のお義母さん、
そのお義母さんを妻にしたお義父さん、そして
その2人の息子である彼女の夫へとリンクしていく。

お芝居の神様のいたずら、みたいな。

まるで私がこの作品を作ることがわかってたみたいに。
そのためにこの子たちが私の元に来てくれたかのような。
そんなタイミングで今、この着物たちが私の目の前にいる。

お芝居をしているとこういうことがよくあるのです。
本当によくある。


更に嬉しかったのは、
この着物を繋いでくれた着物好きの友人が
『この窓から見下ろす、真実』を観てくれて、
この子たちと気づいていなかったこと。

私たちほんとに着物マニアなのでそのへん目敏いのに🤣
作品を観てたらそこに目がいかないくらい
彼女のストーリーに見入ってくれたそうで((o(*>ω<*)o))

彼女の日常へこの着物たちが融け込んでくれたんだなぁって、
そして多分、この着物たちが
私と彼女の境界を融け込ませてくれたんだなぁ、とも思う。

『本当にありがとう』
そんな風に呟きつつ、
「くぅ〜っっっめちゃくちゃ素敵すぎるんですけどっっ」
と身悶えしつつ🤣

単衣と夏物を取り分けて、
袷の着物は秋を待ち望みながら畳紙に仕舞う。

さぁ。これからはあなたたちとも、
たくさん楽しい思い出を重ねていきますよぅ❣️


豊かさってなんだろう。

そんな投稿をFacebookでしたら、このお着物との縁をつないでくださった和裁士さんの息子さん(この方と友人がお友達だったのです)が、コメントを寄せてくださいました。

「断捨離モードの母を抑えて流れに任せましたが、気に入っていただけたようで幸いです。下請法を行使すべきといったケースが多発し、でも田舎なので如何ともし難く、廃業を決断しています。なのでメンテナンスはできませんがすみません。」

詳しくはもちろん存じ上げないのですが、おそらくその投稿の前にシェアしていたある和裁士さんの「仕立て代が安すぎて…」というブログ記事のようなことなのだろうと思います(承諾いただけましたらこの記事にも引用させていただけたらと思っています)。

この話は取りも直さず、この #stayhome一人芝居 の公開前に書いた記事『価値の理解を広げたい~値段を決めるということ~』とまったく同じなのです。

今私たちの社会には、「目に見えないものにお金を払いたがらない」風潮が少なからず存在しています。語弊を恐れずに敢えて言い切るならば「お金になるかならないかがすべての基準である」社会です。

それが経済なのでしょう。当然だ、という方も多いだろうと思います。
でも、本当に”それだけ”でいいのでしょうか。

おそらく、コロナ禍と呼ばれるこの混乱の中にそんな疑問を持った方も、決して少なくはないと思うのです。
だって私たちの社会の根幹であると信じていた<経済>とは、現に、こんなにも脆いものだったのですから。

かといって、消費者として”価値”に捻出できる”お金”には限度があるのも事実なのです。当然です。切実です。逼迫すらしているのが現状です。

だからこそ、【消費者と提供者】や【需要と供給】という二元性ではなく、もっともっと広い視野で考えていかなくてはならない。
根っこは、すべて同じなのです、多分。

今、ある面からはもう崩壊すらしているように思われる実働と、技術と、報酬のバランス。
その是正は、社会全体が敬意と誠意が対等に存在し、
社会が、つまり一人ひとりの”私たち”が想像力を持つことから生まれていくのではないかと、私は思うのです。

想像力は、無知からは広がらない。
”知る”ことをどう広げていけるか、どう提示していくか。

だから私は、私にできることを思い、関わった作品の外からも自分の言葉を重ねることにしました。

<目に見えないものを”見える化“していく>。
いまnoteは、そんな役目を担い始めているように思います。
私も、自分の無名を恥じることなく、自分の言葉を紡いでいきます。
それが、“いま私にできること”なのではないかと、思うのです。


『この窓から見下ろす、真実』

この作品も、そんな思いを胸に取り組みました。
誰の目の前にも存在している真実。同じと思い込んでいるだけで、それは本当はそれぞれに違うのかもしれない。
ともに生きるためにもがく一人の女性の物語です。
よかったらぜひ観てください✨

脚本:今井夢子
出演:奥村そら
視聴料:1500円

予告編がこちら





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