#149 明治神宮参拝〜充電させてもらえませんか〜
正月に明治神宮に参拝に行った。私のパワースポットである。アンダーカバーやエイプが流行した高校時代、山手線の原宿駅で降りた私は、裏原宿ではなく、なぜか吸い寄せられるように、明治神宮に歩を進めていた。中に入ると、都心とは思えない静けさ。見様見真似で参拝を終えた私は、底知れないパワーを宿していた(当社比)。明治神宮とはその頃からの付き合いである。
今年は家族旅行中に、他の方の同意を得ず、無理やり参拝をねじ込んだ。この辺りが自己中とディスられる所以である。理由は一つ、いろいろなゴタゴタが重なってゼロになったパワーを回復させるため。出川氏ではないが、充電させてもらえませんか、である。私はスピ系ではないが、明治神宮だけは別。心理的安全性が担保されており、安心して自分を全開放できるのだ。
参拝を終えた私には、やはり底知れないパワーが宿っていた。隣にいる息子に目をやると、歩き疲れた彼のパワーはゼロになっていた。どうやらパワースポットは人によって違うらしい。その後、家族全員でおみくじを引いた。おみくじには大吉や吉の表記はなく、以下の言葉が添えられていた。「とき遅き たがひはあれど つらぬかぬ ことなきものは 誠なりけり」。
明治天皇は私の心を見透かしていたのか!昨年は功を焦っていた。能力を発揮でいなければ居場所がないという、強迫観念に苛まれ、仕事の本質を見失っていたのだ。正しい心のもとに努力を重ねていれば、結果はついてくる。天啓である。「ああ、ああ。」と感慨にふけっている私を見て、息子は「吉も何もないおみくじはおみくじと言えない」と罰当たりなことを言っていた。
そして、「高いところに行きたい」と抽象的な娘の要求を叶えるために、東京タワーや六本木ヒルズ展望台を回った。ここにも気付きがあった。月並みな表現になるが、「自分の悩みはなんてちっぽけなものなのだろう!」と思えたのである。物事を俯瞰的に捉えるのは難しいが、物理的に俯瞰的に見ることができる場所に行くことは可能だ。娘が意図して場所の選択をしたと信じたい。
東京から戻り、新年の業務が始まった。パワーを宿している私は、明らかに昨年とは違う。そういえば、今年は巳年。蛇は脱皮を繰り返すが、私も脱皮を繰り返しながら、人生という旅の答えを求めていきたいと思う。まずは、正月にまとった腹回りの脂肪からの脱皮を始めたら、という家族の無言の圧力は無視することに決めた。