遺族感情のための死刑廃止を考える


死刑制度賛成、反対のそれぞれの主張

賛成派は、
・殺人の罪は自らの命で償うべき
・死刑による犯罪抑止
・遺族感情に配慮して必要だ

反対派は、
・国家による殺人行為は許されない
・冤罪可能性があるため
・世界的な風潮として死刑が廃止されている

などの主張をよく耳にするが、どれもしっくりこないでいた。
無知のベール的に、最初から死刑がない社会と最初から死刑がある社会のどちらで暮らしたいかと考えると個人的には前者である。
思い返すと小学生時代に死刑という言葉が流行り言葉として飛び交っていた記憶があり、もし自分に娘が生まれて育っていくことを考えると、死刑という言葉が身近にある社会では育ってほしくないなという思いもある。

ただ死刑廃止の立場を主張しようにも肝心な根拠が乏しく考えていたところ、遺族感情を鑑みて死刑廃止を主張することもできるのではないかと思いついたのでメモがてらに書いてみることにする。

遺族感情のための死刑廃止

そもそも遺族感情に配慮した死刑賛成の主張は、かけがえのない家族の命を奪われた悲しみに少しでも報いえるのは死刑しかないということであると思うが、実際に殺人を犯したものが死刑になる割合は1%程度でしかない。
言い換えると自分が仮に遺族になった場合、99%の確率で身内を殺した者は死刑にはならないということである。
自分はこれでは今の死刑制度では全くといっていいほど遺族感情に寄り添えていないと思う。
たしかに本当に残虐な殺され方をした場合のために死刑が必要というのはわかるが、客観的にこれは死刑が妥当だろうと思う事例でも無期懲役の判決が出ているなんて事例もいくつもある。
そう考えると死刑制度がある分、死刑判決にならなかった場合の法にまで見放された無力感を想像すると、初めから死刑がない方がいいのではないかとも思う。
よく死刑反対の立場に対して自分が遺族になった場合でも死刑に反対できるのか、という脅し文句?(笑)があるが、自分が遺族になった場合を考えれば考えるほど最初から死刑がなく、一縷の望みをかけさせないでくれた方がいいと思う。その上で現在の死刑制度での死刑相当の犯罪者には、なぜその犯罪者がそのような犯罪を行うに至ったのかの社会的原因を追求してさらなる被害者を出さないようにしてくれて方が、自分が遺族になる確率が減るからありがたいように思う。


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