チームでチーム・ジャーニーを読む
「チームとは何かをだいぶ知ったようだな」
本当は、チームでの読書会を完走してから、その過程をnoteに記そうと思っていたのだ。
しかし、冒頭で紹介したセリフが発せられる12話の読書会を終えたとき、どうしてもその体験を記しておきたくなった。
チームとは何なのか
週に一回、一話ずつ進める読書会。
やりかたは以前のnoteに書いた。
今、12話ということは12週に渡って継続しているということだ。
登場人物に共感したり、憤ったり。
それぞれの話で向き合った課題を自分ごととして捉え、対話してみたり。
「読んだ話で、みんなで話し合いたいトピックスについて話し合う」というスタイルの読書会。
第12話では「専門チーム」、そして「チームとは何なのか」がトピックスになった。この記事は後者について扱う。
チームは、降ってくる仕事をこなすだけの存在ではない
チームとは何か?
第1話、2話ではチームとグループは違うという話がある。
紆余曲折を経て「チーム」になる、そんな感慨深いシーンが12話で訪れる。
ひとつは、自分たちでビジョンを見据え動けること。待ちの姿勢ではなく積極的にミッションを遂行していくことがあるだろう、という話が出た。
チームは、変化に応じて体制を変えていける
固定された役割ではなく、いまここでの在り方を模索しメタモルフォーゼしてゆく。HowではなくWhyでつながったチームだからこそできることだろう。
チームとは、チームの内と外を見ながら全体最適化するものである
チームがチーム足り得るには、チームの内側をみて局所最適化しているだけではなく外側とつながる必要がある。
そして、その全体最適化の中ではなにかが犠牲になる。
その犠牲を貧乏クジではなく、当人たちが納得する形で全体最適を実現することがチームの上位層の役目であるー。
チームで読み、違いを知り、わかりあう
ここまで紹介したものは、読書会で参加メンバーから出た発言をもとにしてまとめたものだ。
相克するわけではないが、「チーム」に対しての期待や心構えにギャップがあることがみてとれる。
そう、この「違っている」ということを知る、というのがとてもよいのだ。
これまでの、11話までの読書会もそうだった。異なる視点で、自分ひとりでは得られなかった視点を得る。
では、なぜ12話の読書会は特に心に刺さったのか。
読了してからまとめよう、と思っていたものを前倒ししたのか。
それは読書会のさなか、まさに自分たち自身が「チームとは何かをだいぶ知った」ことに気づいたからだ。
多様性を受け入れ、持ち味を知り、活かしあいながら前に進む。
チームでチーム・ジャーニーを読みすすめるうちに(もちろん、本だけ読んでいたわけではなく日々の開発があったわけだが)、チーム・ジャーニーのチームたちと一緒に自分たちも前進していたようだ。
「蔵屋敷さんのセリフで泣きそうになった」ー。
これはチームで一番若く、一番まっすぐなメンバーの一言だ。
なんて青さだ!と驚きつつ、その青さも吐露することができ、個々の学びをぶつけあえる読書会に、読書会の主体であるチームの変化に感動していた。
チームでチーム・ジャーニーを読もう
チーム・ジャーニーの中で描かれるチームはバーチャルな存在だ。
そのバーチャルな存在と並走しながらdiffをとり、自分たちの現在地を浮き彫りにする。
その過程でメンバーごとの違いが見えてくる。
違いから生まれる学びがピークに達したのが12話、この体験を経るとチームは前進する。
声を大にしていいたい、チームでチーム・ジャーニーを読もう、と。