「私はこう思うんですけど…あってますか?」
答えのない答えを求めて
人様の成長を手助けする、という大役を仰せつかっている。
成長するということは、その人の現時点から一歩以上踏み出し、新しい考え方や新しい動き方で新しい成果を生み出せるようになるということだ。
個々人の成長戦略を描いてもらい、その戦略をレビューさせてもらう機会がある。
このような質問を受けることがある。「この書き方であってますか?」
私は空気が読めないことにかけては定評がある。
最初は純粋にわからなかった、自分自身のゴールを見定めるという行為に対してなぜ第三者である私に「あってるか」「あってないか」を聞くのかと。
もちろん、少ない人生経験の中からなにかしらアドバイスのようなものを投げかけることはできる。
しかし、自分自身の成長戦略というのは、あってるあっていないではなく、自分がどうなりたいかに焦点があてられ、議論としては「その方法でその目標が達成せしめるか」という点に集約されるべきではないのか。
正解を求める教育
小学校、中学校。義務教育の期間を通して「正しさ」を求める教育がなされる。高校、大学でもそれは大きく変わらない。
(大学院までいくと未知の領域を探求するフェーズに入るため「正しい=良い」「正しくない=良くない」の二元論ではなくなる。正しくないと知ること自体が学びだからだ。)
加点法ではなく減点法での教育を永らく受けてきた人々は、「間違っていないか」をひどく気にするようになる。
学ぶことはプラスだと植え付ける
そのようにして「間違う」ことを恐れる人々は、間違わない行動をとるようになる。
間違わない行動とは、実績のある、自信を持てる行動だ。
つまり、新しいことへ手を伸ばさなくなってゆく。
新しいことへ挑戦しないのはやる気がないからではない。
成長戦略を立てられないのは何も考えていないからではない。
では、新しいことを始めるということに心理的障壁を感じている人々をどう動かすか。
失敗しても過度な非難に晒されない環境、そして少しの成功でもその価値を見出してくれる環境が、行動する勇気を与えてくれる。
最近の若者は優秀だけれども、新しいことに挑戦しないよね。
そんなことをしたり顔でいう老人になる前に、その若者の行動をまなざし、よいところを見出してあげることを試してみようではないか。
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