「やりたくない」には、理由がある。
ふりかえりアレルギー
会社の中で、アジャイル/スクラムの導入支援をやっている。
ありがたいことに様々な相談をいただくが、中でも多いのがふりかえりのファシリテーション依頼だ。
新しいことを始める場合、期待する効果というものがあり
その効果が達成できたか測定したい。
そしてその期待値との差分をフィードバックし、カイゼンしていく。
そのための仕組みが「ふりかえり」なのだから、まずはふりかえりから導入するというのは理にかなっている。取り組みやすいしね。
しかし、である。
「ふりかえりはやりたくない!!」「時間の無駄だ!!」
そのように反発する人も少なからずいる。
今日は、こういった「ふりかえりアレルギー」がなぜ発生しているのか。また、どのように対処していったのか話して行きたい。
嫌われKPTの一生
KPTというフレームワークがある。
Keep(続けたいこと)、Problem(課題)、そしてTry(試すこと)を洗い出す、ふりかえりの基本形ともいうべきフレームワークだ。
どうも、私の会社ではこのKPTを通してふりかえりアレルギーを発症した人が多いようだ。
・個人攻撃、解決不可能な課題への執着
・抽象的で実行不可能な「Try」
・マンネリ化しただ時間だけが過ぎてゆく
こういった現象に直面し、「効果がない」と感じたり「精神的に追い詰められる場だ」と認識してしまったりしたことがアレルギーにつながっている。
KPTが悪いわけではない
この状況だけ見るとKPTが悪いようにもみえるが、さにあらず。
個人攻撃にならないよう誘導するファシリテーターを配置したり、
期間を短くしたり(数カ月単位のふりかえりになってしまうと、悲しい思い出しか覚えていなかったりする)、
Tryを実現可能で具体的なところまでブレイクダウンするなどやりようによっては上記事態はいくらでも回避できる。
しかし、KPTというフレームワークは「便利すぎる」のだ。
効果的な使い方など知らずとも、もっというと何も考えずとも「ふりかえりらしきもの」ができてしまう便利で怖いものなのだ。
うちの社内では、まさにこのフレームワークの独り歩きが起こっていた。
効果的な使い方を知らず型だけが流通した結果、
アンチパターン化し組織的負債となるケースが数多くあったのだ。
(KPTは好きではない、という意見は社外でも聞くので、ところによらず起こりやすい現象なのかもしれない)
ではどうしたらいいのだろうか。
今回は2種類の処方箋を紹介したい。
処方箋1:「おきもち」から「事実」へ着地させる
KPTというフレームワークは、「続けたいこと」「課題」という形で最初から「肯定か、否定か」を明確に判断することが求められる。
この主観を排し、まずは事実だけを収集するアクティビティにしてみよう。
たとえば、タイムライン。ふりかえり期間中にあったことを事実として書き出す。
まずはそうやって事実をメンバー間で共有してみると、フラットな状態で次にむかうべきところへの議論ができる。
処方箋2:マイナスの気持ちを封殺する
フラットどころか、マイナスを封じポジティブしか出辛いようなフレームワークをつかう。
たとえばFun Done Learn。
たのしかったこと、やったこと、まなんだこと。
くるしいことも、つらいことも、にくたらしいこともそこにはない。
最悪、Funがなくても「いやーうちはFunが少ないね」なんて笑い話に転嫁できる。
「ふりかえりは、こわくない」
実は、まさに今日おこなったふりかえりファシリテーションでこの「ふりかえりアレルギー」の方がいた。
話を聞くと、「過去参加したふりかえりは責められてる感じがして辛かった」とのこと。
しかし、最初にDPAで「否定しない」とチームで約束したこと、そしてその約束が守られたこと、
Fun Done Learnで「楽しさ」の方向にむいた意識付けができたことなどが功を奏したのか
「ふりかえり楽しいですね」というコメントをいただけた。
ハピネスドア。おおむね好評。
普段、アジャイルに漬かった生活をして勉強会では意識高い仲間たちに触れ…という環境にいると、
「ふりかえりなんか意味あるの?」といわれたときに「お前わかってねーのかよ」と反発する気持ちが生まれてしまう。
しかし、その反発、「やりたくない」には理由がある。
その理由を一緒にみつけ、克服し、アジャイルの大事な動力源である「ふりかえり」の楽しさ、意義を知ってもらう。
それをやってのけられるようになれば、いっぱしのふりかえりファシリテーターといえるのではなかろうか。
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