「左利きの歴史」が教える、気づいていない身近なマイノリティへの偏見
左利きの人間が「左利きの歴史」を読む
SNSで見かけた「左利きの歴史」という書籍を読みました。自分自身が左利きだということもあり、当事者として「偏見はいかにして生まれ、解消されたか」を知りたかったからです。
もしかしたら、右利きの方(本稿をお読みになる多くの方はそうでしょう)は「左利きへの偏見?そんなものあるの?」と思われるかもしれません。蔑称で呼ばれたり、あからさまに忌避されたりといったことは、確かに近年はありません。けれども、社会のそこかしこに偏見の残滓が横たわり、ちょっとずつ左利きを生きづらくしているのです。
そんな社会が形作られた歴史を知りたく、手にとってみました。
信仰や文化に根ざし、左利きは異端視されていった
本書によると、左利きへの偏見は相当に根深く、ルネサンス期の絵画、さらに遡って旧約聖書にまでその痕跡があります。聖なる行いは右手で行なわれ、左手はそうではないもの。
それがエスカレートしていき、左利きを矯正することが当然になっていく。ある時代においては、左利きの人間の割合は自然に発生するそれと比べてずっと低かったようです。これは矯正のたまものです。
なぜそうまでして矯正したかというと、左利きは邪悪なもの、正しくないものだからです。あってはならない存在。だから矯正することが、左利きの人間のためでもあると
誰もが信じて疑わなかった時代があったのです。
左利きは「正しくない」もの。
左利きは「直すべき」もの。
当事者というよりも、親が「恥ずかしいもの」として矯正にやっきになるもの。(当事者は文字通り「右も左もわからない」年齢のときに矯正されるので、自分から積極的に矯正することは稀でしょう)
ここは、左利き当事者として実感があります。後述しますが、私が子供の頃は左利きを「矯正する」のことが当然の時代でした。そういった過去の体験がよみがえり、正直「読むのやめようかな」と思うくらい気分が悪くなるパートでした。
そのあと、人権意識の高まりだったり、様々な事情で左手を使わざるを得ない人が問題なく左手を使えることがわかっていったりなどの環境の変化を受けて、左利きは受容されていきます。
これは本当に興味深い変遷です。
信仰というある種「当然のもの」として受け止めるところから偏見が生まれ、偏見に基づいた価値観による行動から偏見が強化され、かと思えば社会の考え方の変化だったりそれ以外の外部要因で偏見が減退していく。
自分も子供の頃、左利きを「矯正」された
私が小学校に入ったばかりの頃、30年前ほど前には、左利きは矯正するものという考え方がありました。
学期が変わるごとに減っていく、左利きの同級生。みんな右利きに矯正されていきました。
私も例外ではなく矯正されました。なかなか右手を使えるようにならない私に、親がひどく苛立っていたし、悲しんでいたのを今でも覚えています。
ある程度右手を使えるようにはなったのですが、左手のほうが明らかに器用なので、結局すぐ左利きに戻りましたが…
本書では、そのようにして矯正された人々の話も描かれています。偏見に基づき「矯正」することが、結果として何をもたらすのか。残念ながら、良い結果はもたらしません。それはそうですよね、右利きの人に「左手で文字を書け!食事をしろ!」と強制し続けたら、いい結果にならないのは想像つくでしょう。
ともあれ、30年前には偏見が強烈に存在し、左利きは「矯正されるもの」だったのです。今はどうなんだろう?
身近なマイノリティから学ぶ
偏見が減退した現代に生きる「右利き」の人は、左利きの人にかつて向けられた眼差しなど知らないし、偏見も持っていません。(左利きなんですね!と驚かれることはあっても、蔑まれることは少なくともこの20年くらいはありませんでした)
そして同時に、左利きがちょっとずつ不便に暮らしていることも知らないかもしれません。駅の改札、飲食店で置かれる箸の向き、トイレットペーパーの位置。ちょっとしたことが、右利き優位の価値観で作られている。興味深いことに、左利きの当事者自身も自分たちが置かれた「不便さ」「特殊さ」に気づいていなかったりします。私自身も、子供の頃から「そういうもの」だと思っていたから、いろいろなものが右利き用に設えてあることは当たり前だと思っていました。また、鏡文字を書けるのは左利きの特性だというのも、本書で初めて知りました。
マイノリティが被るちょっとした不便を、マジョリティは気づきもしないという点からはいろいろ学べることがあります。たとえば、自分がマジョリティである領域で、マイノリティがどんな不便、不快を感じているか想像してみる、など。そういう一歩が社会をインクルーシブにしていくので、身近なマイノリティである「左利き」の歴史を知る本書で、その一端を垣間見るのはいい手段なんじゃないかなーと思っています。
おまけ: AIは左利きを知らない
本稿のトップ絵をAIに描いてもらったところ、衝撃的なことがありました。「左手で文字を書く絵を描くね」といっておきながら、出てきた画像がこちらです。
うーんこれは仕方ないかな。じゃあもう一回いってみようか。
…おや?
頼み方が悪かったのかな。もう一度…
なんと、ついに左手で文字を書く画像を生成することを諦めてしまいました…
もしや、と思い別のAIを使って生成してみると…
なんということでしょう。右利きしかいません。
私のプロンプト力不足が原因の可能性もありますが、いまのところAIの世界に左利きという概念はないようです…
思わぬところで、左利きのマイノリティさに気付かされる出来事がありましたとさ。
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