『モモ』
ミヒャエル・エンデ 作 大島かおり 訳
不思議な力を持つ少女、モモの物語。モモのもとを訪れて話を聞いてもらうと、何を言われるわけでもないのにその人は元気を取り戻し、喧嘩していた人同士も仲直りしてしまう。しかし、灰色の男たちが現れてから人々は時間を奪われ、街の様子は一変する。モモは人々の時間を解放する望みを託される。
モモは貧しく身寄りがないので、お金も物もあまり持っていない。でも、時間はたくさん持っている。ひとの話を聴く耳と、芯のある眼差しも持っている。そして持っているものを、友達のため、人のために使っている。
灰色の男たちの影は、モモの所にも忍び寄る。友達を奪われたモモは寂しさを募らせる。モモの持っていたものは、友達の存在があってこそ活きるものだったからだ。あり余る時間はモモを苦しめることになるが、マイスター・ホラという時間を司る人物とカメのカシオペイアに支えられ、立ち向かう。
物語の序盤で、モモの親友、道路掃除夫ベッポが紹介されている。ベッポは何かを聞かれても、ただニコニコしている。そして答える必要のないときは黙り、答える時にはじっくりと考えて何時間も経ってから返事をするので、相手は何のことだか分からず、ベッポは頭がおかしいんじゃないか、と考える人もいるという。でも、私はこのベッポじいさんが大好きだ。じっくりと考えられたベッポの言葉は、それだけの手応えとともに届いてくる。
カシオペイアは、甲羅に文字を浮かび上がらせてモモと会話をする。その言葉は明快なものばかりではないけれど、今回読み終えて、ひとつ実感を持てた言葉がある。
「オソイホド ハヤイ」
一見すると、全く逆のことを並べているようで、意味が分からない。でも、私にとっては腑に落ちる言葉だった。そう感じられたのは、この数年間、飽きもせず散歩をして歩き回ったおかげだという気がする。
もうひとつ、もう少しで形を掴めそうな言葉がある。
「ミチハ ワタシノナカニアリマス」
この言葉は、実感を持てるようになるのが楽しみだ。その時、自分がどこにいて何をしているのか、今は全く予想がつかない。思い返してみると、予想していなかった出来事の繋がりによって、今の自分があるからだ。だから、現時点で見える範囲での予想をしてみても、多分こうはならないのだろうな、とさえ思ってしまう。
そう思うようになってから、先のことはあまり考えられなくなった。不便なこともあるけれど、見えないものは仕方がない。
カシオペイアは
「サキノコトハ ワカリマス
アトノコトハ カンガエマセン!」
と言っていたけれど、私は、サキノコトモ カンガエラレマセン。
でも、ベッポじいさんは言う。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
読み終えて外に出ると、視野に薄い膜を1枚被せたような、少し引いて遠目から見ているような、そんな感覚があった。本だったり言葉だったり、引き込まれる世界に出会う度に、こうなるのだ。最近この感覚になる出会いが多くて、とても嬉しいのと同時に、クリアな世界を見たいなぁ、というのも正直なところだ。今はぼんやりと、ワタシノナカニアルという道が見えたら世界もクリアに見えるかな、と思っている。