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終わりのない話 #1

謙虚さと誠実さ、そして自分の言葉を失わずにありたいと思う。言葉は、文字にできるものや声に出せるものに限らない。それぞれの中にあるものを、大きくも小さくもせず、生きたまま表すもの。

見えたものは、自分にだけそう見えている。自分の目は、見たいものを見たいように見ている。誰もが、見たいものを見たいように見て、それぞれに見えている世界にいる。
目は外を向いている。だから外のものほどよく見える。自分の顔を、自分が立ち、歩いている姿を、何にも映さず見たことがあるだろうか。見えたものが、自分の姿を教えてくれる。顧みることを忘れさえしなければ。

見えたものの形や印象を、それぞれが、自分の言葉で表してみる。こちらではこう見えている、こちらではそうではない、そうやってそのものを突き合うようにして、見えたものが層をなしてゆく。それぞれがそれぞれの言葉を持っているほど、豊かな層をなす。

謙虚さと誠実さを失えば、言葉を聴くことができなくなる。言葉を聴くことができなければ、自分に見えている世界は、自分にしか見えない形で固まっていく。
謙遜も自惚れも、言葉を遠ざけ、人を遠ざけていく。こねくり回さず、握りしめず、両手をお椀のようにして、受け取り、応じる。

自分の言葉が無く、言葉を聴くこともできなければ、世界は一層のまま、自分にしか見えない自分の世界を絶対だと信じ、ひとりで守ってゆくしか無い。その世界は脆く、守ろうとするほど虚勢を張って、固くなってゆく。動けなくなる。
そして、その世界を見ているのは自分の目であり、目は外を向いている。では、その目を持っている自分の中には、何があるのか。一層のままの世界では、自分を映してくれるものは無い。自分だけの世界を、一層のままの世界を固めてゆくと、自分の姿が分からなくなる。必死で守っている世界が、何でできているのか、分からなくなる。分からないまま、分からないということをも忘れて、ただただ固く、動けなくなってゆく。

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