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映画 PERFECT DAYS の感想
現在、Amazonプライムで無料公開になっている「PERFECT DAYS」を観ました。素晴らしい映画だったのでネタバレほぼ無しで感想を書く事にしました。
どの様な映画だったか
この映画はそれまでの自分を否定し、生き方を変えた男のお話です。社会的立場や物質的な財産を捨て、心の財産を積み上げているような、そんな男の日常を描いた作品です。
主人公の背景に関しては、作中ではほとんど描かれてないのですが、監督が言うにはビジネスで成功している、楽しくないのにお酒を大量に飲む時もあった、気づけばどこかのホテルで目を覚ます時もある、そんな時木々の間からさ差し込む光が彼に刺さった、そんな男だろう、とアバウトに言っていました。
それ以外の詳しい設定は特に決めていないようで、明確な描写は無く、こうではないかと思わせる程度でした。
全体的には過度な演出が無く、地味な映画です。とにかくなんでも過剰な演出が嫌いなので、これくらい地味な方が私は好きです。
そしてこの映画は、今、幸せに生きている人が観ると、もっと幸せになれるような、改めて日常に溢れている幸せに気づかせてくれるような、そんな映画でした。
つまり主人公の様な心の持ち主には素晴らしい映画として反映されるでしょう。反対にそうでない人には特に面白味のない映画になってしまうかもしれません。ちょうど作中に描かれている人物の様な人には。
映画の感想
自らの意思で外界を統括できている
映画の感想としては、素晴らしいの一言です。心が豊かというのはまさにこういう事だと言わんばかりの映画でした。
どういうところでそう感じたかと言えば、外界がしっかりと統括されているところです。
まず、住居に余計なものが無いんです。そして綺麗に整理整頓されている。頭の中が整理されている人はこういう傾向にあります。自らの意思できちんと外界をコントロールできているように思いました。
そして十分な広さがあり、部屋には育ちかけの植物、本、古いラジカセとカセットテープが置いてあり、しっかり趣味を楽しめているような部屋でした。この部屋を見ただけで、良い人生だなぁと感じるほどでした。
また、失礼な人物に対しても一顧だにせず、ちっとも心が乱されていませんでした。私はここに主人公の主体性を観ました。心ができているなぁと、そう感じました。
天職の一例である
そして極めつけは彼の仕事です。彼はトイレの清掃員をやっているのですが、まさに仕事と趣味が一緒になっている様な、そんな仕事を楽しんでいるような、その描写が素晴らしかったです。
彼にとっての天職とはこのような仕事なのかもしれません。どんな仕事をしたいのか、すればいいのかと悩んでる人は彼の生き様が参考になるかもしれない、そう思いました。
そして改めて自分の人生は最高だなと思わせてくれました。それは副業ではありますが、私も主人公の様な仕事の、良いところだけを取り出した様な、そんな仕事をしてたんだなと気づかせてくれたからです。
一人でできる仕事で、自分で好きに工夫できて、極めつけは自分のペースで仕事ができる仕事です。
仕事の合間に自分の好きなタイミングで好きな場所で休憩が取れる、それって素晴らしい仕事だなんだなって気づいて、感謝の気持ちが湧いてきました。おまけに人に感謝までされる仕事ならもう最高です。
(余談ですが、なんの役にも立たず、人に迷惑をかける仕事は最低です。例えば駐禁を切るような仕事。こんな仕事はしてはダメです)
木漏れ日に諸行無常を観てとる心の豊かさ
でもそれって既に心が豊かでない人には解らないのかもしれません。
例えば、彼はいつもの神社でいつも通りの休憩をしていて、いつも通りにカメラで木漏れ日を撮るシーンがあるのですが、描写から察するにこれは毎日やっています。
何故こんな事を毎日するのか?それは同じ木漏れ日は無いという事を言いたかったのではないでしょうか。これはひいては同じ1日なんて1日も無い、という事でもあります。
例えば同じ雲の形は無い様に、同じ空は無いように、同じ水の流れは無いように、同じ1日なんて無いんです。
これは例えではなく、事実を述べているだけなのですが、ボクシングでいうなら同じジャブなんて一生無いんです。
刀法で言えば縦に斬っても横に斬っても同じ軌道なんて無く、切り口をみても同じ切り口なんて存在しません。
ギターで言うなら全て同じ条件で弾いても、同じ音は二度と出せないのです。鳥の鳴き声も同じで、同じ鳴き声はもう二度と聞けないのです。これは誇張でもなんでもなく、そう思いたいという事でもなく、ただの事実で当たり前の事でしかありません。
例えば定規を使ったとしても同じ線は描けない様に、同じ条件で同じ文字を書いても同じものは書けないように(だから偽サインがばれるわけです。諸行無常に気づけない=心が貧しい生きた例です)もっと言えば呼吸すら一生のうちに同じ呼吸なんてありません。
歩行にしてもそうです。同じ歩行なんてありえませんし、心臓の鼓動すらも同じ鼓動なんて一回も無い、同じ1日なんて1日も無いなんて当たり前の事実でしかないのです。
生きるという事はそういう事で、内界にも外界にも同じ瞬間なんて二度と来ないのです。それを主人公は気づいていて、だから木漏れ日を撮っているのです。
この同じものなんて無いこの世界を楽しめる心の余裕が無いと、外で仕事をし、好きな場所で好きなタイミングで好きな事をできる仕事の素晴らしさには気づけないかもしれません。
結局は幸せなんて心の問題、本人の問題でしかないんです。問いかけ次第でなんとでもなるものなんです。お金なんて二の次で良いのです。
人物像に観る中庸の一例
次に彼の人物像についてですが、非常にバランスの良い、アリストテレスの説く中庸の様な人物だと思いました。
社会に対してちょうど良い距離間で生きていて、趣味も多すぎず少なすぎず、それぞれの趣味が良い具合にバランスが取れていて、彼の心を豊かにしてくれているように感じました。
休日の過ごし方も実にちょうどいい塩梅で、無駄なものがなく、ちゃんとやる事もあって正に心が豊かな人の休日の過ごし方でした。
しっかり五感を使って、休日なんてこの程度でいい、贅沢なんてしなくても、人生なんてこんなので十分だと思いました。
この事からも今は余計なものが溢れ返っている事に気付かされますよね。随分前のドラマで電波で繋がっている関係にろくなものは無いという台詞がありましたが、今はネットて繋がっている関係に置き換えられるかもしれません。
対立する二つの生き方
また、彼の対比として描かれているある人物、仮にAさんとしましょう。そしてもう一人の人物をB子さんとしましょう。
Aさんは主人公と違い、財産や社会的立場などを捨てずに生きている人物として描かれています。
そしてB子さんの行動から察するに、B子さんは主人公の様な生き方をしたいのではないかと思いました。なのでおそらくAさんを尊敬できず、むしろ軽蔑しているのかもしれません。つまり、ああいう人間にはなりたくないと。そして自分がどちらの生き方を選べば良いか、決められない状態なのではないでしょうか?(こういう人物は本当に醜くみえるものです)
主人公も同じような想いはあったはずです。しかし、彼は主体性なく流されるままに生きてしまった。そしてある時、本当に必要なものに気付き、今の自分を否定し、これからは本当に欲しいもの、心の財産のために生きようと決めたのだと思います。
その後、主人公は涙を流します。心の豊かさを手に入れた代わりに、失ったものに気付いたのかもしれません。
彼の心には、こうすれば良かったというような後悔があり、それが彼の涙として描写されているのかもなと思いました。
作中では描かれていませんが、彼は既婚者だったのかもしれません。自分の本当に求めているもののために、家族も手放した事による後悔が、あの涙だったのかもしれません。
彼は確かに幸せな日々を送っていますが、全てを手に入れたわけではありません。私の解釈では、彼に足りないものは友人と家族です。
そしてそれは主人公の様に全てを捨てなくても手に入るものです。だから主人公は最初からこの様な暮らしができていれば…という思いからの涙なのではないでしょうか?
彼は決して偏屈でもなく人間嫌いでもない、中庸な人物です。彼は失ってしまったものを取り戻す日々を送っていて、既に心の財産は手に入れています。
これからはまだ手に入れていないもののために、次の段階に、二度目の否定に進むべき時に来ているのではないかと、そう思います。
笑顔は幸せの現象形態である
これまで長々と感想を述べてきましたが、最後に最も大きな学びとなった事があります。
それは笑顔です。主人公が何気無いシーンで見せる笑顔、あの笑顔を手に入れるために彼は余計なものを捨てたのではないかと思えるのです。
作中に笑っていない人物がたくさんでてきました。おそらく、ビジネスの世界に身を置いていた時の主人公は笑えていなかったと思います。
彼は人に向ける笑顔が最も良い笑顔でした。この事からも彼は人間関係を求めているのではないでしょうか?それもビジネスでは得られない、人間にとって自然な形での社会関係=人との繋がりを。
作中で最も良かった笑顔は、ラスト間際の自転車に乗って帰路につくシーンの笑顔でした。
あの笑顔があれば大丈夫かなと、そんな気持ちになりました。笑顔とは、幸せの現象形態の一つであると、大事な事に気づかせてくれた素晴らしい映画でした。
もしかしたらこの映画は、それぞれの登場人物の様々な表情を観る映画なのかもしれません。
本作から受けた影響
最後に私が彼から受けた影響について述べます。それは掃除が楽しくなった事です。普段やらないような場所やもっと埃が溜まってからで良いやと思っていた場所も、積極的に掃除したくなりました。
また、道具を自作する楽しさにも気づかせてくれました。今まではあまり凝ったものを作ったりしなかったのですが、これからは凝った物を制作する過程を楽しめるようになりそうです。
こうして感想を文章にしてみると、本当に良い映画だったんだなぁと、書きながら気づかされました。
世界に対する問いかけ方を変えてしまう、そんな映画となりました。私も何らかの行動を起こそうかなと、そう思わせてくれる映画でした。
現状では間違いなく一番影響を受けた映画です。
以上が映画に対する感想です。次回は幸福論という観点からこの映画を記事にしてみたいと思います。
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