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「真摯に知的ボコボコにしてくれる大人って、どれだけいますか?」-- 瀧本哲史の「遺伝子」を継げ #4

ゼミ生や投資先、講義参加者など、瀧本哲史さんと関わりのあった若者(ゲリラ)たちに話を聞く「瀧本哲史の『遺伝子』を継げ」4回目に登場するのは、GunosyのCTO(最高技術責任者)やLayerXの立ち上げを経て、現在DMMにてCTOとして活躍されている、松本勇気さん(31歳)。松本さんは2012年の東大講義参加者の一人であり、瀧本さんから名指しで「デキるやつ」と講義中に言われた人物だ。あの日から8年。瀧本さんから受け取った宿題の〝今〟を聞いた。

「そんなアイデアは、ゴミです」

僕は、東京大学の2年生の終わり頃からプログラミングを始めて、在学中に3社のスタートアップの立ち上げや支援に関わったあと、創業直後のGunosy(グノシー)に入社しました。ニュースサイト開発もブロックチェーンもアドテクノロジーも、執行役員もCTOも、技術のことならなんでもやって、現在はDMMという会社で、CTOの立場で同社の改革を推し進めています。

『2020年6月30日にまたここで会おう』は……、まさか瀧本先生の新刊が出るとは思っていなかったのですが、あの「東大講義」を本にしたことがわかり、発売後すぐに買って読みました。

講義の質疑応答のところ(第六檄)で、瀧本先生が生徒からの質問を受けて、こんなセリフを言うシーンがありますよね?

今、学生の間でけっこう使ってる人が増えてる、「すごい時間割」ってサービスがあるじゃないですか。それを開発した方が、350番目に申し込んで今日この会場にいるらしいんですけど。いる? あ、いたいたいた。そうなんですよ。彼のことを僕は大昔から知っていて、けっこうデキるやつだと思っていてーー

自分から名乗り出るのも少し恥ずかしいですが、実はその「350番目の申込者」って、僕のことなんです。

瀧本先生と出会ったきっかけは、2010年6月に開かれた、数百人規模の、東大OBと現役生との交流会でした。そのとき僕は精密工学科の3年生。2011年に公開された、Facebookの創業を描いたハリウッド映画『ソーシャル・ネットワーク』なんかに影響を受けた世代で、「近いうちに自分も起業したい」と思っていました。

それで本当に偶然、たまたま瀧本先生とテーブルが一緒になって、「エンジェル投資家」だと名乗っていたので、これはチャンスだと思ったんです。はりきって当時構想していた、教育に関する事業のアイデアをプレゼンしました。そうしたら瞬時に「そんなアイデアは、はっきり言ってゴミですよ」と断言されて、ボッコボコにされてしまい……(笑)。

シニカルな笑いを浮かべながら、早口で完膚なきまでに事業プランを叩きのめす瀧本先生に、「いったいなんなんだよ」と正直ムカつきつつ、「この人はいったい何者なんだ?!」と衝撃を受けましたね。あまりに鮮烈な出会いだったので、昨日のことのように覚えています。

思い返せばそのときプレゼンしたのは、「僕のビジョンで世界を変えたいんです」といった、世間を知らない学生にありがちな、戦略も収益構造もない漠然としたプランでした。ボコボコにされるのも当然です。でも、それまで周囲の大人に起業したいと話すと、みんな「学生なのにがんばってるね。いいね、応援するよ」といった好意的な反応ばかりだったから、自分の勘違いに気づけなかったんです。

ところが瀧本先生だけは、初対面の、まだ何者でもない20歳くらいの学生の僕に真摯に向き合って、社交辞令とか自分がどう思われるかとか一切考えず、本気のアドバイスをしてくれた。他の大人にはない凄みを感じて、「この人に学びたい」と思って、その後こちらから頂いた名刺の連絡先にコンタクトを取りました。

半分は「ボコられっぱなしで悔しい」という気持ちもあったのですが(笑)。

思考と行動をひたすらくり返して、「結果」を出す

瀧本先生はなぜか僕のことを気に入ってくれたようで、それからはTwitterでお互いにリプライを送り合ったり、たまにDMを交わす関係になりました。少し経ってからIoTの会社を起業した大学の友人に、瀧本先生をエンジェル投資家として紹介したこともあります。

そんなに頻繁に会って話をしたわけではありませんが、瀧本先生がその後に著者としてデビューした『僕は君たちに武器を配りたい』『武器としての決断思考』などの著作を読んだり、会合に顔を出したりして、僕はことあるごとに先生の考えを吸収していきました。

東京大学の在学中、並行して始めていたのが、プログラミングです。始めたのは大学3年生、起業を志すようになってからなので、プログラマーとしてスタートは決して早くはないんですが、でも僕は一つのことをやると決めたらとことん考えて動くタイプなので、プログラミングも徹底的に集中して勉強しました。

まったくの初心者レベルから始めて、1日15時間はパソコンに向き合い、寝る、ご飯、トイレ以外の時間はすべてコードを書くという日々。ある程度プログラムのことがわかってきたタイミングで、シェアオフィスの仲間が起業したLabitという大学ベンチャーに加わることになり、同社のサービスである「すごい時間割」のアプリ開発と、サーバーサイドの構築を担当することになったんです。

僕が加わったとき、「すごい時間割」にはすでにiPhone向けのアプリがありましたが、出来がまだまだだったので、僕が仲間と一緒にほとんど一から作り直しました。毎月300〜400時間はコードを書き続け、ひたすら機能を考えては実装することをくり返し、改良を続けていきましたね。その結果「すごい時間割」は、学生向けのスケジュール管理ソフトとしては、それなり以上の大ヒット。

当時、大学生1学年の人数がだいたい54万人と言われていて、「すごい時間割」は主に学部の1、2年生に使われることを想定したアプリなんですが、トータル20万件のダウンロードがあったので、日本の大学生の5人に1人は使ってくれた計算になります。

学生時代にそういうサービスを開発できたのは、非常に大きな自信になりました。瀧本先生が東大の講義で「350番目の申込者」として僕のことを紹介してくれたのは、知り合ってから2年ぐらいが経った、ちょうどそういったタイミングだったんです。

いま思い返しても、瀧本先生がなぜ無名の大学生の僕のことを気にかけてくれたのか、やはりわからないのですが、「ひたすら考えてプロダクトの改良のために動き続けたこと」「動くだけでなく、しっかり結果を出したこと」を評価してくれたのかもしれない、と感じています。

その後、創業2カ月しか経ってなかったGunosyに僕が加わったとき、「これからニュースのパーソナライズの市場は伸びると思うので、松本さん、すごくいい選択だと思いますよ」とDMをいただいて、嬉しかったこともよく覚えています。

CTOとは、何をする仕事か?

自分のこれまでのキャリアを振り返ってみると、瀧本先生の思想や言葉が血肉となり、そのときどきの仕事を進める際に強い影響を与えてくれている、と感じます。

そのなかでも瀧本先生から得た最大の学びは、「戦略が一番大事だ」ということに尽きるでしょう。戦略というとみんな、どう売り出していくかとか、どういう機能を実装するかとか、枝葉末節に行きがちなんですが、僕は「『何に』投資をするか、という観点をもって意思決定していくこと」だと思っていて、DMMでも僕の仕事は「戦略を作ること」だと捉え、現在いろいろと動いています。

試験勉強をするときに「優先リスト」みたいなものを作ったこと、ありますよね? テストまでの限られた時間のなか、今回は配点の高い英語と数学に集中しようとか、考えたことがあるかと思います。経営もまったく同じです。限られたリソースのなか、ゴールにたどりつくため、優先リストの中でも本当の本当に「最上位」に来る優先事項をしっかり決め、それに合致する行動をとることが重要なんです。

いま僕は、社員が3000人もいるDMMという巨大な企業の改革を推し進めています。これまでDMMは、英会話からFX、ソーラーパネル事業からゲーム事業まで、次々に打ち出す多種多様な事業をヒットさせることで成長してきました。それを「テクノロジー」が中心の、真の意味での「テックカンパニー」に変えるのが、僕のミッションです。

テックカンパニーになるために、最優先にすべきことは何か。たとえば2018年10月にDMMのCTOに就任した際、僕が最初にやったのは、この組織で働く人々の行動指針として何を設定すべきか考え抜き、Agility(敏捷性)・Scientific(科学性)・Attractive(魅力)・Motivative(意欲)という4つのキーワードを定めたことです。

そこから始めた改革の詳細については、話せば長くなるので省きますが、当初3年ぐらいはかかるだろうと思っていたのが、社員みんながこれらのキーワードを「仕事をする際のコンパス」のように捉えてくれるようになり、想定よりもかなり早くDMMのテックカンパニー化が進んでます。

「これはアジリティが低いから意思決定として良くないよね」といった会話が生まれ、誰からの指図もなく自然とカイゼンが行われていくような環境が生まれています。

僕は、強い組織とは全員がリーダーになる組織だと思っているのですが、それは瀧本先生が言っていた「小さなリーダー」と同じことです。カリスマひとりが舵取りするのではなく、現場の全員が戦略をもとに有機的に動いた結果、「勝つ会社」になる。それが目指すべき組織のあり方です。

CTO(最高技術責任者)という立場はよく誤解されるのですが、社内のプログラマーを束ねる仕事でもなければ、単に開発の最高責任者なのでもありません。「技術」と「経営」という、両方の視点を併せ持ちながら、会社における「最優先事項(プライオリティ)は何か」を考え抜き、決めるのが、仕事なんです。


僕は「技術×経営」で、この国の仕組みを変えていきたい

東大講義でも、著書の中でも、お会いしたときも、瀧本先生はずっと「日本にはなんだかんだいってチャンスがある」ということを話していましたが、僕もまったく同感です。どんなに少子高齢化が進んだとしても、日本にはこれまで積み上げてきた莫大な「資産」がありますから、衰退したまま2040年になったとしても、まだ先進国のトップ10には残っているはず。バランスシートにおける「資産」というものには、それくらいの力があります。

ではいったい、日本のどこにチャンスがあるのか? 

それは、「技術」です。経営に、技術の力を組み合わせることで、ものすごいチャンスが生まれてくるのだと、いま僕は考えています。

技術の中でも特に重要なのが、ソフトウェア技術。最近よく話題にあがる「DX(デジタル・トランスメーション)」なんかとも近いのですが、ガバナンスやマネジメントといった、これまで「経営学」の文脈だけで捉えられていた分野に、ソフトウェア的思考、計算機的思考を大胆に取り入れることで、組織や事業の生産性を格段に上げたり、眠れる資産・活用しきれていないリソースをフル活用できるようになれば、資産の多い日本は今からでも容易に復活し得ると思うんです。

(この「ソフトウェアと経営」の考え方については、いずれ一冊の本にすることを前提に、いまnoteで書きまくっています。まったく新しい分野なので参考図書もなく、ゼロからひたすら考え抜いてまとめています。有料になりますが、もしよろしければご覧ください)

瀧本先生と出会って、もう10年が経ちます。最初は大学生として、「技術」で起業して成功することを目指し、がむしゃらに思考・行動して、なんとかうまくいくことができました。

いま取り組んでいるのは、その「技術」をもって巨大な組織を変革させるという、さらに大きなチャレンジです。こちらもおかげさまでうまくいきつつあり、なんならもう自分が手を離しても大丈夫なんじゃないか、と思えるくらいにまでなりました。

そしてその次、僕がこれから10年くらいの長い時間をかけて真剣に取り組むべきは、「技術×経営」の力を使って、この国の仕組みそのものを大きく変えていくことです。

いまコロナ禍で、日本のこれまでの不合理や不条理、不効率が、いろいろとあぶり出されてますよね? ある意味これは、日本全体が変わる、大きなチャンスです。

DMMという数千人規模の組織を、ソフトウェアの技術を通じて改革することができたら、今度はその成功事例を、他の組織や会社はもちろん、行政機関や自治体、政府も含めて、大きく横に展開していくことができるんじゃないかーー僕はそう考えているし、なにより僕自身がそれをやらなければならない。

そしてそれこそが、瀧本さんが口酸っぱく言っていた「自分の宿題をやれ」ということなのだと思っています。

(取材・執筆:大越裕 @ookoshiy)

【連載】瀧本哲史の「遺伝子」を継げ
#1「ピア・プレッシャー」の文化こそ、 先生が遺してくれた一番の財産です。 -- 赤宮公平インタビュー 
#2「君たちは、2025年までに政権を取りましょう。」 -- 石橋由基インタビュー
#3 褒められたのは2回だけ。瀧本さんに食らいつくことで、僕は仕事の全てを学んだ。-- 久保田裕也インタビュー
#4「真摯に知的ボコボコにしてくれる大人って、どれだけいますか?」-- 松本勇気インタビュー ← イマココ


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瀧本哲史『2020年6月30日にまたここで会おう』特設note
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