黄色い ビニール袋に入れた東京 ビルの隙間にすべり込んで 火をつける煙草 ※メビウスですって はい 中央線が見えるんだろう? 眼科の上の喫茶店から 人のいない1番線を 手荷物ひとつで歩いている(23:51) もうないのでしょう あの家は ドラストばかりの高円寺 それでいいのだから 大したものですね 夜だというのに だれもいない みんな どこへ逃げ込んだの 夜、 東京は夜 P! 赤信号ら 朝まで営業 ずっと自販機 不眠の僕らをゆるしましょう ひとり ベランダごしにな
食事と睡眠 食事と睡眠が好きかもしれない。どちらもあまりものを考えていない。なにかをやっているから、考えていなくてもいいと自分に許可を出しやすい。いつも何かに許されたいと思っているが、しかしわたしを許すのはわたしだ。むしろ他人に判断を委ねる、他人にわたしを渡すことはしなくていいし、これがownershipなんだろう。 眼科 眼科で視野検査と眼底検査をやってきた。特に異常はなかった。次は1年後だ。なぜこの検診を続けているかというと、眼底の写真に映る視神経乳頭の形が通常より
四季 10月半ばってこんなだったっけ?キャミと羽織りだけで外歩いてるけど全然暖かい。というかちょっと暑い 半袖の人とか全然いる、10月半ばってこんなだったっけ?春じゃん。でも秋ってだいたい春かも。四季ってなんであるんだっけ。太陽からの距離が問題なら、もう秋は春なのでは。何が違うの? 問題のない気候 あまりに問題のない気候すぎて悲しくなってきた。なんかいい匂いがして、自分の体調もよく、服装もあっていて、ほんのり暖かく、晴れていてそよ風が吹いている。あまりに気持ちよすぎてし
タイトルの通りです。 基本、チャットのコピペですが、GPT4oが多弁すぎるので、重複などの不要な箇所はカットしています。 私 数ヶ月に一回くらい思い立って三国志演義を微量ずつ読み返している。 諸葛亮bot 私の趣味でしかない解釈でChatGPT上に顕現させられた人格。今回はメインが考察や説明になるからか中立的かつ客観的な発言になっており、キャラ立ちしていない。残念。 (24.10.14追記)諸葛亮bot、趙雲bot、曹操botの三種類を公開したので、よろしければ遊んでみ
黒色の 褖を纏う人 裾は重さでかたく張り 生地も判らぬほどの黒が あなたに寄り添っている 風もない夜 あなたの たましいのするどさが なにも彼もを裂いてやまないのに 月あかりも 寄る辺ない灯火も 紫檀の文机に跳ね返った 一抹の晶光 も 森と吸い込んでは やけに その瞳だけが煌いて それでは これを 着ていましょうか 灯が消えたとき 乳香と 細い指先が わたしを掻い潜って 後れ毛を耳へかけた あなたの あなたの精神が その黒色にうつる 鋭利なそれを 呑み込んで音もなく
あの山で人がしんで しろい花弁の振りつもる 乾いた晴天 ひとり ひとり ひとり また もういなくなって そのたびごとに うつくしい座敷 (ブロック塀の透かし) 川をながめる (缶ビールと、子どものためのジュース) あの山で人がしんで それももう だれが語り・つぐ 四月一日や 帰郷 再会 それらに なにを期待していたのだろう 振りかえれば 青い山脈だけが ただもう もう
私と 電車でかえろうね 都市は青く光って これから今日のおしまいに向かうもの でも ちょっと寄り道してもいいよ 航空灯はなにかの郷愁 ぽかんと開いた休み時間だ たいへんなことと 家のあいだに なんでもいい帰路があって すこしだけ自由になれる あ また光った かえろうね それが決まっているから くねくねした道も喜んでいられる いつもと少し 変えてもいいよ ファミレスで食べて帰ろうか きょうはたいへんだったね だから 私たちは見なれぬワンピースをまとって ずるずるして
小別荘 子どもの裸足が 夜露にぬれる 背の低い草を ふんでは 翠髪、 山は煙る とおくから流れてきた 霧の おそろしさも介せず 子は咲っている 母の弦が弾かれ こぼれた七音の 漂う みずの粒とともに この夜を覆う雨がはじまり 音の靄は うつろっている あの山脈まで ゆくのだろうか いつかたどり着く高山 ここへ立っていようか知ら すでに失ったものだとしても よるは閉じているのだから 当たり前のように ぬれる 子どもの裸足が 小別荘
き・みの背骨に花がさく 囲い・籠め温室の底で 苔むしていく踝をかかえ 宙天は閉じられる あたたかな錠が降り じきに流星が垂れ下がるよ 目じりの 卑しく逆向いた睫をとおって ほおに透ける血いろのうえへ おろかなうまれたての産毛
(やっぱりわたしは夢が好きだよ ネエ) 下町そしてサイバーパンク わたしはわたしでおんなであるが、ロールとして男である。ん? なんらかの落語をしたじきにしているけど、翻案みたいな映画があるのだ。(なんかそれを、自分たちで上演する)まちは薄暗くて、ちらほらある娼館からあかりが漏れ出る、彼女らは「終わったあとに」なけなしの金で飯を食う、それが素うどんであれおでんの残りものであれ (たぶん、この段階で、わたしは登場しない) 伊勢志摩にもういちどいく、という夢もみたが。箸休め
祖父が庭先で落葉を燃している。それがなにか、催しごとのように思ってわたしは遠まきに見ている、日産サニー かつての子どもは手指のしもやけを気にして、手入れの方法を雑誌ふろくの小冊子から学んでいたらしい。母の小棚を引っかきまわして、興味もない、小学生のおしゃれの頁を捲っている。指紋にまとわりつく藁半紙の、粉っぽいそれを畳へ擦り落としながら 祈らせておくれよ ただそこにあった夏と冬のあいだ
水が降ってくる 夜想(野草) 森の奥から 呼び声 it calls your life or タイを正して この制服で 濡れた樹間に入るとは とても佳いもの なにかに呼ばれ 呼ばれたいという欲望 希え みちびかれていたい この私の意思など いらない 泥中へしずんで還らない(帰らない) もう十分だ もうなにも求めないから、許してほしい この糸をあざやかに裁ち浮遊する その歌のなかへ 壜詰めしたらもうなにも変わらない ただそこに満た
窓外は嵐の海 Ⅰ 嵐の底 閉ざされていること ここから先にも、あとにも、なにもないことは安心で、ぱらぱらとふる雨粒ではなく、吹きすさび世界を覆ってくれる霧のような嵐、その底にいる夜半 どことも知れぬ山中あるいはビル群のさなかに窓はあり ただ嵐や夜がそこから先を閉ざしている 安心 安心して意味なく揺蕩うがいい(あんたの運命は揺蕩っておる)冷えきった深海のくらげ それよりなまあたたかいこの台風 なにもかも赦された非常事態 だから沈まんとする船でいまわたしは わたしは ここでし
母子は市外の小さな資料館、 あるいは公民館のワークショップ、休日の、ひとのいない遊園地。 それが休日だったということ。 おさない子どもが、葉ずれの音をひろいながら眼を細めている、 なんだって有りうるじゃないか。 ルーフをあけたちいさな車の、 道すがらがもっとも楽しくて、 安心なことが、どれだけ、 だから、おもいでを辿るように、 いつか言えなかった気もちを指で捲りひらくように、かざす幻燈の、 いくつも過ごした日々が織り、つもっていくほど、 当然のように、時間のおもみが それがこ
いろんなことができず、いろんなことができている。できた事なんか、私たちのこころには残らない。当たり前のことは、はなから眼に映っていない。 たまには、他人と分かりあおうとしてみたり。でもそこに距離がなければ、やさしくなどなれっこない。私・たちは別の存在ですから。そう思う以外に、他人を尊重する方法があるだろうか? ほとんどのことは、人間どうし、口を出し合う領域になんてないのではないか。この、存在の隔たりを――間隔の孤独を引き受けながらでなければ、尊重など、できないのではな
オホーツクの凍る海のむこうで それは流れている 音楽 沈みゆく惑星の環がかつての 虹色だった 地球のむこうの海へいこう 夢想が このなかにあって ただ 漂っている星雲 穹窿をくぐって よころびの旅よ 銀河のはての泉 夢をみる この星が できたころの 嵐のことを考えている 暗闇にともる篝 その火はまだ手にいれられない 名もない夜 想像力だ このエアコンのおと も 切り出した氷の ひんやりした鏡面を 覚えている 夢である 星嵐はいつでもそばにあった 床に広げたドリルがかぜで