見出し画像

Knock! Knock! Cambodia

「DOOR to ASIA(以下DTA)」は、2015年に東北の三陸地方で始まった、国を超えた相互の信頼関係を大事にするデザイナーズ・イン・レジデンス。アジア各国のデザイナー達が一定期間、一つの地域に滞在し、その地域に眠っている可能性を一緒に見つけ、デザインを通じて事業者/コミュニティとの間に小さくても確かな、未来の「扉」を開くプログラムです。東北から日本各地、そしてアジアの地域での開催により、信頼の輪が少しずつ広がっています。
「コロナ禍におけるデザインの役割」をテーマに、アジア各国のドアをノックするオンラインイベントシリーズ「Knock! Knock! DOOR to ASIA Online」。

DOOR to ASIA

Knock! Knock! Cambodiaはこちらから視聴できます。

私たちの生活を豊かにする、地域に根ざしたスピリット

コロナ禍で自粛が求められ、自宅に籠もりがちな日々の中で、どこか心の中がざわざわしたり、何か新しいものに出会うワクワク感を欲していたりしないでしょうか。

今回、Knock Knock Cambodiaは、Napura-worksの吉川舞さんのお話を伺いました。彼女の醸し出す生命力はもちろんですが、熱い言葉たちと、海外からの参加者の皆さんとの意見交換でのダイジェストをお届けします。
今の生活、生き方が自分にとって本当に幸せなのか、なんてふと考えることがあるかもしれません。県外への移動、まして国外の移動も困難である今だからこそ、人と人とのつながること、交じり合う経験が、今後の私たちの生活にどう影響を与えてくれるのか、今一度考え直す機会になると嬉しいです。

Napura-works 吉川舞

吉川舞 / Napura-works 代表

「大学時代にカンボジアの遺跡と地域の人々に出会い、人々の暮らしをつくる在り方を学ぶためにカンボジアに移住しました。サンボープレイクック遺跡群(と周辺の村に10日間滞在したとき)を最初に訪れた時、『私はここに来るために生まれた』と思った。遺跡の周囲の村の人たちの生き方、在り方に魅了され、人間がこれから先を生きるために何が重要か(そこから醸し出される重要な何か、を探し・・)重要なを探求し続けている。2015年より、その探求を分かち合うための器として、旅の会社を創業。2020年にはコロナウイルスパンデミックの影響で廃業するホテルを引き継ぎ、探求の旅の拠点として育成中。“かつて“の暮らしには自然に存在し、今は身近に感じられなくなってしまったもの、意識を向けられなくなったものを再び見直すことで、人々が穏やかに心から温かく生きるための『もう一つの道』がパンデミックを経て見えてきました。

サンボープレイクック遺跡群

なぜカンボジアに移住し、今何をしているのか。

なんでここに私がいるか、それは、ある”遺跡”(場所)に出会ったからです。

首都のプノンペンでも観光都市のシェムリアップでもない、まだあまり知られていない、「サンボープレイクック」という遺跡です。私は、中学生くらいから、何に人生を捧げて生きていきたいのか、人間はこの命を何に使うのか、とずっと考えていました。そして大学時代にこの遺跡とそれを抱える土地と出会い、なぜかこの場所に”呼ばれた”気がして移住し、今では13年になります。

この場所(カンボジア)は、私にとってスターウォーズのヨーダのような存在。
多くは語らない。しかし、彼の姿勢や生き方は、パダワンにとって目指したいと思える尊敬する存在(背中を見せてくれる)。

ずっとカンボジアに住みたいと思った理由は、その地域に住む人たちの『生きる力』に圧倒され、大学まで行って勉強したけど、それでも足りない力、生きていく上での揺るぎなさを持っていると思ったからです。

圧倒されるばかりの村での初めての経験

それから学生時代の長期休みのたびに、何度も​​カンボジアのサンボープレイクック遺跡と近くの村を訪れました。あるインタービューを実施した時の経験。9歳ほどの女の子が赤ちゃんの世話をしながら、焚き火で火をつけて、大きなフライパンに油をたっぷり入れて料理をしていました。

『9歳ならこれくらいできて当たり前。家のことはほとんどできるわ。あなたもできるでしょ?』

この一言が刺さりました。
もちろん米は炊ける、炊飯器があれば、電気があれば。しかし、薪と鍋ではどうやって?
自分の食べ物を”始めから”準備をする術を知らない。もし炊飯器がなければ、自分の食べるものすら準備できない、自分は最後の”enter”ボタンを押してきただけだったんだ、そう思いました。

19歳の私は、北海道から東京へ上京し、大学生をしながらアルバイトして自立している。
だから少し尖っている部分があったんだろうなと、今思えば感じます。社会的に見れば『大学生としての一般的な自立』ができていたからだ。それでも、村では自分は何もできない。なにか大事なものを、自分はまだ知らないのではないか、そう思いました。

それと同時に、その村で起きるどこか心がじんわり温まるような経験も数多くしました。
私は、ここで村の人たちからどのように生活をしているのか、どんな姿勢で、どんな文脈で、どんなコンセプトで、この生活が継続されているのか。その何か大事なものが何なのか、知りたい、学びたいと強く思いました。

そして、それを遺跡と地域の暮らしのそばで学ばせてもらう中で、この大事なメッセージを、私と同じように現代を生きる他の人たちにも届けることが自分の役割ではないかと感じたのです。

ローカルな旅ってどんな旅?

ローカルな旅、と最近巷では呼ばれがちですが、ローカルって何を表すのでしょうか。
他の誰かが今日生きている『当たり前の1日』から学ぶことではないか。そうすれば、世界のどこでも学びだらけになると思うんです。
その旅には、『なんでこんな忙しい日々を送っているんだろう』、『毎日毎日しんどいな』と思っている都会で住む人たちの悩みの解決策になる可能性があります。

実際に旅ではどんなことをするかというと、

その旅のメインの舞台となるのは、サンボープレイクック遺跡群とそれを取り巻く村。
遺跡は古代のもので、1000年時代を巻き戻してくれます。豊かな緑に囲まれ、放牧された牛たちが鈴を鳴らしながらゆっくりと草を食み、子どもたちが遺跡のそばで声をあげて遊んでいます。

サンボー・プレイ・クック遺跡群とは?

サンボー・プレイ・クック遺跡群には、私は一つの『生態系』があると思っています。周囲の自然環境、地域の人たちにとって生活の一部にもなっている遺跡を包む若い森、この地域に暮らす人たち、この場所を訪れる地域の外から来る人たち、その全てが互いに関係しあい、一つの生態系となっています。

地域の人たちの暮らしにお邪魔する旅は、21世紀の今を生きる私たちに、何か大事なものを教えてくれます。食べるものがどう育ち、どう自分たちに届くのか、自分たちの暮らしはどういう要素が重なりあってできているのか、そんなことを『当たり前に』最初から最後まで見せてくれます。
そして、勉強や教科書を通してではなく、『旅』という経験を通して、やっと知ることができる『生きる上で大事なこと』を教えてくれます。

地域の人たちにとっての当たり前の日常が、訪れる人にとっては特別な非日常。その非日常のなかで、自分の日常にも持って帰りたい発見に出会う。そんな瞬間をつくるために、旅行会社というアイデンティティはあまり持っておらず、素敵な地域の人と、訪れる素敵な人をつなぐ”中間者”、”コネクター”の役として、旅を届けています。

そして、訪れる人は、『旅人』でありながら『ともに学ぶ人』でもあります。本当にその地域の暮らしにあたたかい興味を持っている人、もっと深く触れたい人に来ていただくことが多く、地域の人と学びにくる人、その両者の間で、それぞれの体験を伴走しています。

現代に生きる人、都市に生きる人が感じている「生きづらさ」の向こう側に

今、特に都市に住む現代の人たちが、生きづらいと感じる大きな原因は、『Disconnected』 つまり、つながりを持たないことではないかと思っています。
自分で自分を養い、経済的にも生活的にも他者に頼らずに強く生きることが『自立した社会人』の姿として強調されすぎているのではないかと。

勉強を一生懸命して、給料の良い仕事に就き、そして将来に備えて保険もかけ、貯蓄もできる。そして、将来的には家族を持ち、子育てもできる。そう生きていくことが『良い』とされ、そう生きるように教育されているのがスタンダードの考え方になっているように思います。

しかし、これ以外にも、他にも違う方法で生きることができるのではないか。掃除をする時間がないからお掃除ロボットを買う、という1人でさらに頑張るという道以外にも、誰かに肩を借りて、お互い背中をちょっと支え合うことで生きやすくなる方法があるのではないか、そう思っています。

もしも、今生きている社会から違う場所に行ったことやその状況を知ることがなければ、別の生き方、マインドを得ることはなかなか難しいと思います。
自分は現在首都のプノンペンと、村のサンボーとの行き来をしています。また、日本の東京での生活も経験したことがある。大きく違う二つの社会の架け橋になっているイメージで、そういう中間の立場にいてどちらの生活も知っているからこそ、まず自分自身が村から様々に学び、その学んだものを都市に持って帰る。都市のなかの素敵なものを今度は村に持っていく、素敵な人を連れていく。

特に日本の都会での生活では、なんだかさみしいと思う瞬間や、ストレス、プレッシャーを感じることが多いのかなと、様々な日本からのお客さんと話していて感じています。
今、自分はお金が十分にないから急いで仕事探さないと、とか。私たちには他にも選択肢があるかもよ、そんなメッセージを村で過ごす、つながりに囲まれた暮らしから受け取ってもらえたら嬉しいと思います。

テクノロジーで物事を便利に使いやすく、生きやすくする世界の反対側で、何かを便利にする、手間を省くだけでは、解決できない課題があるのではないかと感じています。
その課題を解決する糸口は、人間が当たり前にかつてやっていた営みの中に隠されているのではないか。

世界のどこかに行って、自分と誰かが触れ合っていく中で生まれるもの全てが『旅』であり、異なる世界で生きている人たちが、そういう出会いをしたときに、交流が生まれます。言語が通じなくとも、お互いに何か感じ取る瞬間があります。

例えば、日本のスーパーでは、魚は切られて売られているのが当たり前です。日本の子どもたちは、魚をイメージすると、切り身しか知らない、なんて子どももいるほどです。
そんな彼らは、魚を”はじめから"命をいただいて、捌くという経験はほとんどしたことがありません。今回は、首都のプノンペンからやって来た小学生の男の子たち。命をいただいてご飯を食べているというプロセスを、改めて経験してみたいと村に来てくれました。

あら、やったことないの?というお母さんの反応を、舞さんが彼に伝える。

これはあくまでのある少年の経験の一例で、
それぞれの旅の中に、地域の当たり前の日常の流れの中でそれぞれの出会いがあります。
その人にしかわからないもの、その人にしか感じられないものです。

国の中でも自分と誰かが近寄ることが嫌厭されるいまのコロナ禍で、『交』の大事なことをキャッチしてほしい。旅という非日常の経験の中で、本人に体験してもらうことは、その人にとって生涯続く『問い』『メッセージ』を感じ取ってほしいと思います。

Sambor Village Hotel

コロナの影響もあり、サンボーの遺跡や村の入り口となる場所にあった友人が経営するビラホテルが、廃業することになりました。そのタイミングで、その場所とそこで働く人たちを引き継ぐことにしました。

このホテルは、写真のように緑に溢れた中に一軒一軒部屋が並んでいる。
木がゴソゴソと夜中に生え回るような生命力の遺跡がある村へいきなり訪れるのは、なかなかハードルが高い。そんな人たちへ間口が広がるだけでなく、カンボジアの都市に住む現代的価値に目が向いている人たちがここを村への入り口として使っていただくと、様々な可能性が広がると思っています。(吉川舞)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?