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他人に明け渡していた「自分の力」を取り戻す

ここ数日間、また大きな氣づき、癒し、変容の中にいました。

わたしは、2年程前に、母からの虐待をリアルに思い出し、それをどう捉えたらいいのかわからず、もがいていました。

無いものにしようとすることで、生きる道を選んだ、だけど、決して無かったことにはならないわたしの感情を出しては癒すという、今思えば、わたしに還るための尊い作業をしてきたこの2年弱。

数日前にある出来事をきっかけに、また大きな癒しと変容のタイミングを迎えました。

「わたしは母のひとりよがりの偽りの愛・エゴを受け容れない」という答えが出ました。

これまでずっと、母のしたことすべてを愛だと捉えて、受け容れてあげなければいけない、と思ってきたことに気づきました。

でも、変化する時が来ました。

おそらく子どもの頃から、母が押し付けてくる、母の言う「愛」を「それは愛じゃない。あんたのエゴだ!わたしはそれは要らない!」って言いたかったけれど、それを突きつけると母が傷つく、傷つけると母は壊れてしまう。わたしは母を助けたいのに。
だからわたしは、わたしの気持ちを押し殺して、母の『愛』を受け容れることを選んだ。

おかしいって気付いた2年前。自分の気持ちを掘り起こそうとすると過呼吸になりました。
じっくりと向き合って、癒していきました。
癒しの特効薬は愛でした。
エゴではない愛に出会うことができ、受け取ることができた。

「ありがたい」と言うのが口癖だったわたしに、数年前、カウンセラーさんが、「あなたはよく『ありがたい』って言葉を使うけれど、心の底からありがとうって思う時以外に「ありがたい」って言わなくていいのよ」って言われたのを思い出します。

相手がわたしに何かを与えた時、それがエゴであったり、わたしが要らないものであったとしても、「感謝しなきゃいけない」「感謝しているふりをしなきゃいけない」と思い込んでいたのでした。

無理に感謝を伝えている時、わたしの本音は置き去りです。
自分の力を明け渡しているような感覚…

先日、どう考えてもおかしいと思うようなことを親戚のオバに言われた。(わたしに気づかせるための演者登場です。)
その人は、自分がしていることを愛情だと言って、正当化して、わたしに押し付けてきました。
その時、わたしは、はっきりと、それはわたしには苦しいです、と主張できたけれど、相手のしたことを「愛情だと思う」「あなたのことを憎んではいません。大好きな家族です」と偽りの言葉を言いました。

電話の最中、お肌が痒かった。
わたしの中で本音を大事にできていない時、葛藤が起こっている時、皮膚が痒みを出します。わかりやすい。

「内側から湧く正直な本音」と「行動」が一致している時、心は楽で、身体は健康に働く。
内側の方向と行動に不一致がある時、葛藤が生じて身体に症状が出ます。

自分の内側を信頼することの大切さ。
そして身体は先生。身体症状はサインです。
シンプルだ。

その後で、母の遺言状を読み返した。
母のことをどう捉えたらいいかわからなくなってから、2年以上手紙を読み返すことが怖くてできなかった。

わたしは母の書いていること、母の愛を、受け取りたい、受け取らなければならいと思っていた。
母の存在を、母の愛を、受け容れられる自分になりたいと思っていた。
わたしの心が成長したら受け容れられると思っていた。
苦しみを癒して、乗り越えたら、すべてを受け容れられるだろう、だからそこにたどり着きたいと思っていた。
それが、理想のわたし、完全なわたしで、そうでないわたしは道半ばの不完全な至らないわたしだと思っていたんだな。

抑圧してきた感情を迎えて、出して、癒しを重ねて、安心を手に入れつつある今のわたしなら、母の手紙を受け容れられるのではないか、そう思った先日、手紙を読み返しました。

そこには、暴力などまるで無かったのように、母は「自分の育児に自信を持っている、自負がある、愛情いっぱいに子育てができたことが自分の人生の誇りだ」と書かれていた。
それを読んで違和感を覚えたけれど、その日はそれ以上に感情は出てこなかった。考えないことにした。
翌日から2,3日かけて、自然と出てくる感情に寄り添っていった。

怒り、悲しみ、諦め、そして虚無感・空虚感。
虚無感と絶望感は、人生でいつも共にしていた感情だ。

この感情はわたしの力を奪う…
相手にわたしの力を明け渡しているこの感覚を久しぶりに体感した。
人生の多くの時間、わたしは自分の力を他人に明け渡していたんだ。

わたしは、いま、わたしの足で立っていいし、わたしの気持ちを尊重していいことを頭ではわかっている。
だけど、土台がぐしゃぐしゃで、立とうとしても膝から腰から砕けて立ち上がれない、力が入らない、そんな感覚で、この2日間、過去のわたしに戻ったように、力が出なかった。

過去のわたしの感情・状況を自己分析したり、ただ今ある感情に寄り添っていて、氣づいた。

わたしは母の信じようとする『愛』を信じてあげたかったんだなぁ。
暴力を含め、母がわたしに向けるエネルギーを受け容れてあげたかったんだなぁ。
お母さんを愛している、助けたかった。
わたしにとっては痛い苦しいことも、それは間違っているって言えなかった。真実を突きつけるのが怖かった。

そしてきっと、わたし自身が、お母さんが間違っていたという事実を受け容れるのが怖かったのかもしれない。

「受け容れてあげなくてもいい」と言ってみたら、
ここをわたし自身が自分に許すことに
大きな葛藤があったようで、泣けた…
こんなにも強く、受け容れてあげたかったのか…
ここが鍵だった…

今回手紙を読んで、「お母さんは欠けている」とわたしは認めた。

「母のわたしに向けた愛は、偽りの愛で、母のひとりよがりのエゴだった」

「わたしはそれを受け容れたくない」

そして「受け容れなくていい」「受け容れない」
というのがわたしの本音であり、わたしの答えだ。

もちろん、すべてが歪な愛だったわけではない。
すべてを否定する気は全くないが、おかしかったことは確か。

わたしは母のしたことを「受け容れません」と言えるわたしが今ここにいます。

この気持ちに、他人の許可は求めません。

この答えに、他人の評価は要りません。

わたしの氣持ちはわたしが決める。

そう胸を張って言えた時、わたしは明け渡していた自分の力を取り戻したように、晴れやかな気持ちになりました。

そして「これでいいのだ~。これでいいのだ~。」と口ずさんでいました。
「ボンボンバカボン、バカボンボン」

わたしの人生の新たなステージに入りました~🎉

いまここの素直な感情に乾杯🥂

昨夜この文章を書きました。
その後、数時間経った今、お肌がさらにすべすべになっています!
アトピーがどんどん治って綺麗になっている!

わたしの本音とわたしの行動が一致して、身体が生まれ変わっているね。

...わたしの魂も、そして母の魂も喜んでいる。そう思いました。
もはや母の評価は要らない。
そこがまた嬉しい。

安心が深まってゆく。

わたしに還っていく歓びを、これからも味わっていく✨

#わたしを生きる
#虐待からの解放
#自分の力を取り戻す
#自分と統合
#マインドの分離

・追記・

さらにここから
ご先祖様の解放が起こり、祝福が降り注ぎました

さらにさらに
魂レベルの愛に気付きました


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