なく。

赤ちゃんは泣く。
猫も泣く。

最近姪っ子が産まれたせいか駅前という土地柄のせいか最近乳幼児とそれを必死にあやすお母さんや保育士さんが目に止まる。

最初は僕も泣いていた。
この世界があまりにも冷たかったから?
一人で生まれ一人で死ぬ運命を告げられたから?
いや不快で泣いていたとは限らない。
泣くと言う手段は赤子が快と不快だけしかなかった感情を世の中に伝える手段なのだ。

もしかしたら出産した母親以上にこの世に生まれた喜びを噛み締めているのかもしれない。

初めて泣いた記憶はいつだろう。
保育園でオモチャの取り合いでケンカした時や
スイミングスクールに入れられて顔が水につけられなくて泣いた時。
今でもハッキリと覚えてるのは幼稚園のお遊戯会の役決めの時だ。
題目はてぶくろ、僕にはネズミの役が割り振られた。
僕は教室の片隅で泣いた。
ネズミの役などやりたくなかった。僕は人間だから人間の役がやりたかったのだ。

最後に泣いたのはいつだろう。
勝てないケンカをしては負けて泣いていたのは数え切れない。
ここだけの話あの頃の私はケンカっ早かった。
今も根本では変わってないが。

あれは小学校高学年の時上履きに、落書きされた時だったと思う。なんで泣いたのかは今はもう説明できない。悔しかったのか、悲しかったのか、親に買ってもらったものを粗末にされたのを憤ったのか。

それからいやなことは、中学や高校でもあったけど、泣いたところで嫌がらせしてきたやつらをよろばせるだけだから泣くことはなかった。

その頃妹が某アニメの影響でハムスターを飼っていた。ハムスターはすぐ死ぬ。滑車に挟まって死んでたこともあった。腫瘍ができて死にそうになった時などは父はそれが寿命だからと獣医に連れていくことを許さなかった。程なくしてハムスターは死に、妹も母も泣いた。
あろう事か僕はそれを責め立てた。
父の反対を押し切って動物病院へ連れて行かなかったことを責め立てた。
しかし本当に責め立てたかったのはそうやって人に当たる事しか出来ない自分自身だった。

いつしか妹はこれ以上ハムスターを飼うのをやめた。
父は兼ねてからの希望通り犬を飼った。

そして僕は犬を公園に散歩に連れて行った帰り道に目も開いてない子猫を拾った。

それは僕なりの贖罪だったのかもしれない。
その頃には僕と妹は話さなくなっていた。
猫は強い。簡単には死なない。
僕とは話さなくとも優しい妹ならば猫の世話もきっとしてくれるだろうと。

実家を出て以来我が猫は僕を威嚇しては噛み付くようになってしまった。まるで妹が取り憑いたようだ。猫は妹に餌の食べ過ぎを叱られるから妹を恐れつつも妹に無理やり抱かれる。
猫は普段は朝一番に起きて母を起こし、餌をねだっては満腹になりおきにいりの隠れ家にこもりに階段をのぼっていく。
お腹が減ると階段の上からドアを自分で開けられる癖にドアを開けてくれと

猫は鳴く。

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