vol.204/小さな、でも大切なフェーズの変わり目
毎日毎日暑い日が続いていますね。この暑さが10月まで続くとかなんとか…。人間も植物も動物も、地球も。本当にしんどい。
さて、今回は自分のまた小さなフェーズが変わった感覚があったのでここに書き記しておこうと思います。
これまでは頭の整理整頓を兼ねてジャーナリングを定期的に行い、思考の整理を進んでやってきた方、だって結構な割合で当てていたもの。きっかけはパンデミック。これを機に自分の“内面ととことん向き合う時間を作りたい”と思い、書くことのジャーナリングやヨガ、瞑想を毎日の習慣としてやってきていたが(もちろんこのnoteも書くことの中の一つでとてもとても救われている)、ここ最近の私はまずヨガが“出来なくなった”。
“出来なくなった”というと大袈裟かも知れないが、昨年坐骨神経痛と腰痛をダブルでやってしまった手前、ヨガがちょびっと“怖くなった”と言った方が正しいかもしれない。実は10年以上続けていたヨガでもあったから、怖くなるなんて感情が沸くとは思ってもおらずこちらが驚いてしまったし、それ以上にウェルネスにおいてもヨガは良いことをしている感覚があったものだから戸惑った。身体を伸ばし呼吸を整える気持ちよさ、そして心と体と向き合う時間、時には難しいポーズが出来るようになった喜びとか、そんな小さな向き合いや気付きそして達成感が私はとても好きで、またヨガの考え方が自分にも合っていると思っていた。それらを一斉に取り上げられた感覚でいたのが昨年の今頃。だから約1年ヨガと離れていて今では不要となってしまったヨガマットは妹に譲った。(妹が使うと思ったが猫がヨガマットの上で伸びたり眠ったり爪を研いだり(!)している模様)(ストレッチは今も継続中)
次にジャーナリングの時間も冒頭で書いた通り、最近では取れていないことが心に引っかかっていた。それならすぐにノートとペンを取り出しやったら良いと思うかもしれない。だがペンを持ったところでさて何から書き出す…?とフリーズしてしまう。初めはヨガ同様戸惑った。そんなにも心は凝り固まってしまっていたのか、と。あれだけ向き合っていた時間がもはや無駄だったんじゃないか、と。ただその2秒後に、いやそうじゃない!と向き合い続けて見えてきた自分自身が叫んだ気がした。自分の内面に向き合い書くことや、見つめる作業は心と身体の健康において重要だ。静の作業(インプット)を侮ってはいけないし、自分の軸となる部分をクリアにしておく必要がこの静の醍醐味であり、且つ重要要素であると思っている。それと同じくらいの情熱でここ最近の私は動の作業(アウトプット)に力を注いできたのだと気付いて、動の作業をやり尽くしてきたタイミングで今また静の作業(インプット)に取り組みたい自分がいるのだ。どちらか一方だけをやり続ければうまく行くわけでもない。要はバランスであり、どちらかが偏り枯渇してきたら自然と補おうともう片方に働きかける。その無意識のバランスをパンデミック下で書き続けたりヨガや瞑想をすることで意識できるようになったのなら、それは絶対無駄なことではないのだ。
何かをやりたくてもどうしてもやれない状況下は誰しも経験したり、なんなら現在進行形で経験しているのではないか。人間にはどうしたって変えられない状況や折り合いが必要な場面が往々にしてある。
“その甲斐あって”私たちは自分の内面と向き合ったり、プライオリティーを見つめ直したり、知恵を振り絞り賢くしなやかに生きられるのではないだろうか。
何か一つに執着し、頑固にがんじがらめに自分自身をしている姿はどうも見ている側も苦しく、窮屈そのもので。(そんな私は以前窮屈そのものだった)何不自由なく、なんでも融通のきく世界線にいられたら、と願う気持ちも悪いわけではないけれど、私はこの不自由な世界線でどれだけ自分を自由にしてあげられるかを常日頃考えている。
だからそれが物理的にできない状況下でも、別の方法でできることは必ずある。ジャーナリングができていなかったとしても、このnoteは欠かさず書き続けられている。
出来ていないことへの注目を、ぜひ出来ている側へ。
止まっているように見える事柄は、実は止まっているのではなく、ゆっくりスローダウンしただけであり進み続けているから安心して。
そんなことをこれまた久しぶりに外を散歩していたら思考の整理ができて、たくさんの気付きがあったからここに書き留めたくなったのだ。これはまた自分の小さな、でも大切なフェーズの変わり目だと思いながら。
また今週もたくさんの気付きが皆様にありますように…♡
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