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【Shake it off. vol.048】 第二言語で紡ぐ愛のカタチ
世間はゴールデンウィーク真っ只中。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
去年から一気に世界の流れが変わりみんな不慣れながらも、戸惑いながらも少しずつ感覚を掴みとって迎えた2021年のゴールデンウィーク。今日は散歩中、新緑が美しすぎて思わず景色に見とれてしまった。私の散歩コースはいつもと変わらないんだけど、(何なら1年弱変わっていない)それが飽きないのは四季のお陰で毎日違った景色に出会えるから。近所の見え方がガラッと変わったのもこの1年を通して得られた素晴らしいことだと思っている。1年前は不安で不安でしょうがなかった仕事に関しても少しずつ希望が見え始めた。今日はその仕事を通して得られたet cetera.
第二言語で話す2人から得られたコト
2人はフランス人と日本人のカップルで、普段は共通語である英語で会話をしているという。要するにお互い第二言語で愛し合うし、ケンカする。これまで私の近くには居なかったカタチだったこともあってそんな2人にとっても興味をそそられた。
話をしていて分かったことがある。
愛に言葉の壁は(やっぱり)ない。
寧ろ第二言語で話しているからこそストレートに愛を表現できるし、逆に言わなくても良い余計な一言もポロッと口から出てくることもないという。とても平和的で調和している2人のrelationshipが微笑ましかった。
第一言語での私たちの会話は実に回りくどく、普段のコミュニケーションでも余計なことを言い過ぎているのが経験としてあるから心底この気付きは響いた。もっとシンプルで良いはずのところを、敢えて遠くから言ってみたりやんわり言ってみたり。オブラートに包みすぎて本質が全く伝わっていなかったりなんてしょっちゅうじゃないだろうか。様々な言い回しが存在し、思いを伝える手段としての言語も日に日に増えていて、言葉が増えるほどに私たちは何故か思いを表現することが難しくなったり伝わらなかったりしていないだろうか。
ふとそんなことを考えた。
Agree to disagree
〜第二言語でケンカはできる?〜
2人からこれまた面白い話を聞いた。
大きいケンカというケンカをしたことがないという。“第一言語で話していたとしたら、もっとお互い言いたいことを言い合ってケンカになっていただろうね”と言って笑い合ってた。
これには言葉だけでなく、もしかしたら根底にカルチャーの違いをお互い意識しているし、違いを尊重しているからこそってのも大きくあると思う。ただ第一言語で余計なことを、必要のないことを言い過ぎてしまったり、或いは言語を知っているが故に押さえて伝わらなかったりするのなら、このくらいがちょうど良くって心地良いのかも、なんて思ったりした。
“Agree to disagree”
これもとってもとってもrelationshipを育む上で、大切なこと。
夏には日本を離れて彼の母国で暮らすという。彼の両親は英語は話せないんだ、とも言っていた。けどそう言う彼女は何だか清々しくって、キラキラしていたのがとっても印象的でそしてとっても幸せそうだった。
愛には言葉の壁は(やっぱり)ないんだなって、国境すら関係ないんだなって、(やっぱり)思うのです。
それでは残りのゴールデンウィークも新しい過ごし方で楽しく、Happyにお過ごしください^^
また来週!