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合理的配慮は難しい しゅこうの教育 8
私立の学校にも「合理的配慮」が適用された。私は、個々にできる限り配慮し対応することだと考えているが、経験や知識がないとできない。私自身も関わった経験が増えるほど、個人にあった配慮が少しできるようになったかも知れないと思えるようになった。まだまだ分からない事が多く、どのように配慮したらいいかが分からないことが多い。
これが、多忙を極める教員はさらに難しいだろう。私立の学校では、学校の方針に近い人が入学することがあり、あまり合理的配慮を考えた事がなかったと思う。個々の特性なのか性格的な問題なのかも判断できないかも知れない。
私が受けた教育は、合理的配慮とは無縁の怒鳴ったり怒ったりする教員が多かった。そのため、特異な行動をする子どもは怒られることが多く、勉強が分からないと厳しいことを言われることがあった。
これは、自分が教員になった頃にも残っていた。最初はそれが教育なのだと思っていた。しかし、違和感を感じ、常にイライラしていた。私の場合、高校・大学と進むにつれて、自由な教育に触れることが増え、自主的に学ぶ楽しさを知った。大学でも、厳しい躾のような授業があったが、小・中学校の時より減り、勉強に興味を持つことも増えた。
そのため、自由な教育を目指して教員になったが、現場は昔のまま。いつしか私も厳しいことを要求する教員になっていた。個々の特性は考える余地がほとんどできなかった。それだけ余裕がなかった。
その後色々な立場を経験することで、少しずつ子どもを見ることができるようになったかも知れない。そして、思い込みや知識不足が大変な問題を引き起こすことも知った。常に学ぶ姿勢を忘れると、自分の勝手な判断をしている事すら気づかない。
私立の学校では、予算の多いところとそうでないところでは合理的配慮も差が出ると思われる。法律の施行でその辺りの補助が公的に私立学校に出ているかは知らないのではっきり言えないが。それでも言えることは、配慮の経験が少なく、十分な対応が分からない学校があるということだ。
私は、誰でも何歳でも学ぶ機会は必要だと考えている。
ある程度長く社会生活をしてきたが、未だに分からないことが多く、学ぶことは必要だと感じている。