降りる勇気
みなさん、カナダの定期にあたるcompass cardさえあれば、BC州内、電車、バス、シーバス全ての交通機関乗り放題なのご存知でしょうか。
だがしかしだ。
ぶっちゃけ
カナダの交通機関は本当にわからない。
勘弁してくれ、と思う。
例えばバス一本乗るにも注意が必要だ。
なぜなら同じバス停に来るくせに目的地が毎回違うから。
そしてよく遅延をするもんだから時刻も流動的に変わる。
ダイヤは存在していないのに等しく、アプリで毎度情報を確認をしながらでないと大変なことになる。
この前も見事に乗るバスを間違えた。
もうええわ。
同じミスを繰り返すおバカな自分に嫌気がさしつつも、なんとか出そうなため息を押し殺して元気な声に転換することに成功。
運転手にThank you!とこれでもかというくらい叫んでから、見知らぬ駅に降りたった。(ほぼやけくそ)
実はバスから降りるときは後ろのドアからでもThank you!と運転手に向かって大声で言ってから降車するのがカナダスタイル。乗客みんながお礼を言ってるもんだから、ひとりむすっと無言で降りるわけにはいかないのである。
その日は藤井風の、もうええわ、を聴きながら、行った道をゆっくり歩いて戻った。
自分、この生産性皆無の時間、案外悪くねえな、と思っている。
そして事実、日本の優秀な電車を差し置いてカナダの交通機関を好きになり始めている。
カナダの電車やバスの不完全さは思いがけず私の心にある一定のスペースを作ってくれるのだ。一度間違えても大丈夫、どの電車も乗り放題だしどこへでもいける!と安心できる。そしてどんなに予定到着時間が遅れて焦ったり気分が落ち込もうとも、最後にはありがとうと叫んで終わるしかない最高な展開が待っている。
それに比べて日本の電車はどうだろう。
出発時間は1分も狂いなく正確だ。
だが、時間を守るという美徳が暗黙の了解になり、いつの間にか私たちは時間に支配された灰色の男たちになっている(モモのキャラね)。
ありがとうという言葉もなく日本の乗客たちは、他の人を押しのけていそいそと降車していく。
目的地も自明で同じ駅から同じ系統のバスが出ていくから頻繁に間違えることはあまりなく、定期の区間まできっちり決められて定期の区間外の経路を使っていくことはないから、偶然が引き寄せる冒険はほぼ皆無。
あらかじめ決められた経路を毎日通って通勤通学をするのが日常になる。
いつもの電車を降りて非日常を体験したいとも考えなくなる。
この日本の電車の完璧すぎるゆえの窮屈さは、日本でレールから外れた人生を歩むことの難しさを象徴しているかのように思えてならない。
カナダに来て痛感したのは自分がいかに狭い選択肢の中で将来を考えてきたということだ。
海外の大学を受験をして4年みっちりカナダで勉強しに日本から来た人。何の躊躇もなく他大学への編入を検討している友達。coopで職務体験をしている子。文系なのに大学院で学びたいと熱く語る子。ギャップイヤーで世界一周してる子。
みんな真の意味で自由に物事を考えられていて、生き生きしている。
海外の大学受験を考えてもよかったのにそれが自分にとって身近な可能性として感じられなかった。ギャップイヤーとか院進学もそうだ。いちいち日本の世間体がついてまわる。一年遅れるだけでギャーギャー言われる日本で、受験勉強をほったらかして海外に旅行にでも行ったら頭おかしいやつ認定決定がいいところだ。文系で院進学は就職に不利らしいという言説に惑わされて、特に学者になりたいわけじゃないからいいや、と諦めていた過去の自分の弱さに呆れる。
私は自分のやりたいことではなく、日本という社会が自分をどう評価するかということにしか目を向けられてなかったし、自分のちっぽけな環境の中でしか物事を考えられていなかった。
環境というのは怖いもので、周囲の人が何を当たり前としているかで自分の当たり前が規定されていって、可能性や選択肢が狭くも広くもなってしまうのだと痛感した。
人生は本当にわからない。
進学、大学生活4年、そして新卒採用での就職。
一ミリの狂いのない、遅れもない、休みもない、思わぬハプングも冒険もない人生ダイヤグラムなんてつまらない。
あらかじめ目的地とルートが決められた定期を握りしめて同じレールの上を走ることの意味を問わなければならない。
降りる、という選択肢もあることに気づかなければならない。
そしてもし降りる覚悟ができた時はそこで出会った人、今ある環境を与えてくれた人にとびきりのThank youを叫んで、思い切ってその電車を降りたいなと思っている。
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