根無草じゃない。歩く花。
千と千尋の神隠しの登場人物。ハク、千尋。
作中で彼らは湯婆婆に己の名を奪われている。
湯屋で働く以上、自己を捨て、神様をもてなす駒としての役割を担わなければならないからだ。
しかし二人は湯婆婆の支配から逃れる。
互いに忘れていた本当の名前を教えあい、見失っていた己を取り戻すのだ。
私も留学という名の湯婆婆に多くのものを奪われた。
自分が自分らしくいるために必要な多くのものを。
日本語。
やはり母国語というのは心の拠り所だ。日本語は英語とは全く性質が違う。日本人にしか分からないディテールの世界を繊細に表現できる。見て聞いて感じたことを日本人の感性で言葉にする喜びは筆舌し難いものがある。
心から笑い合える友達、家族。
英語を話しているとどうしてもアメリカナイズされた第二の自分が表出してきてしまう。笑い方、イントネーション、表情、ジェスチャー、ユーモアセンス。日本語を話しているときの素の自分とは全く違う。要するに演じているのである。疲弊したピエロは寮の部屋に戻ると必ずため息をつく。ドアを閉めた瞬間に本当の自分を閉じ込めていたドアが大きな音を立てて開く。
そしてダンス。
私の留学先にももちろんダンスクラブは存在する。しかし全く盛んじゃないのだ。見せ場もほぼないし、生徒自身が振り付けをして一つの作品を作り上げるというよりかは一ヶ月に2、3回違う先生が毎回きてワークショップ的なものをして終了。つまんな。
しかもダンススタジオもクラブの活動としてアポを取らなければならずノーマルピーポーはお断りだ。
外で練習できる場所もなく、途方に暮れている。
体がむずむずして禁断症状が出そうな私に残された選択はただ一つ。
みんながシャワーをつかわない時間帯に男女共有のシャワールームに閉じこもりイヤホンをつけて練習するしかなくなった。(部屋よりスペースがあるし鏡があるので)
鍵をしっかりかけて一人怪しく密室シャワールームで踊り狂う女。なかなか面白い。(笑い事じゃない)
これ以上自分を奪われてなるものか。
おのれ、留学湯婆婆。名前だけはお前には渡さない。
I am Kaho.
In Japanese, this means walking flower.
これはこの一ヶ月間してきた自己紹介だ。
私はKahoではなく花歩なのだ。歩く花なのだ。
英語が表現しきれない日本語の美しさ。
日本人としての自分を失いたくないと思った。
今までずっと自分は根無草だと思っていた。
日本にいてもカナダにいてもどうせすぐに消え去る身なのだ。
自分の居場所を見つけてもそこのコアに行くことはできない。
何かを成し遂げたいと思っても期間が限られているからチャンスをもらえることは本当に少ない。
でも最近吹っ切れてた気がする。
どうせみんな忘れるんだったら蹴散らせばいいじゃないか。
私は根無草なんかじゃない。根っこが足になってるだけだ。
自分の足で歩くことのできる特別な花だ。
自分が自分でいるための手段の一つ、”ダンス”を取り戻すために私は今、歩き回っている。自分の望む環境がなければ自分で作ればいいじゃないか。ワックに興味のある人を探し出す旅の開始だ。5つのクラブにとりあえずサインアップし、集まりがあれば必ず行く。有言不実行になったら、という不安は捨てて、ワックのサークルを作りたい、という熱い思いを拙い英語で言いまくった。すると私と同じようにダンスをする機会の少ないキャンパスライフに疑問を持った人が興味を持ってくれた。今は違うコミュニティで会った人たちの架け橋となって一つの団体を作ろうとしている段階だ。実現するかは神のみぞ知る、といった感じだが。
一つの場所に根を張らずとも、自分だけの花を咲かせてみたいものである。