【連載版】106つ、または107つ、ないし108つのジョー・レアルの生首 31&32
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チョビ髭はその59秒を言い切ると腕を組んで座り直した。
「さぁっ! やってくれ! 俺は覚悟ができてっからよ!! スパッと一気に……」
「おい」
「うん?」
降りあおいだチョビ髭の鼻先に、男の拳が降り下ろされた。止めるヒマもなかった。
ぐぇ、と間抜けな悲鳴を上げながら後ろに倒れるチョビ髭。死んだかと思ったが、それほどの強さの拳ではなかったように感じた。
「2人ともこれで許す」黒づくめの男の背中は言う。「すっかり冷めちまった、上も下もな。2人で “今日だけ”、仲良くしな」
男は苦笑しながら、最後に付け足した。
「しかしお前は……よく喋る……!」
今度はこっちを向いた。やっぱり苦笑していた。
「あんた、名前は?」
「……セルジオ」
「セルジオか。俺はブロンドと呼ばれている。まあ、なんというか……ああいう場で自分のワガママを言える奴はそういない」
歩いて、俺の脇をすり抜けていきざま、右の拳で俺の右肩を痛いくらい強く叩いた。
「また会ったら、ゆっくり話をしよう──敵同士じゃなければだが」
それから静かに、その場を立ち去った。
平和に終わったのに安堵したのか不満だったのか、観衆たちもぞろぞろと帰っていった。
うぐ、と間抜けな音を立てながら起き上がるチョビ髭。鼻から血が出ているだけだ。やはりただのパンチだったようだ。
相手の後ろ姿を見送ったチョビ髭は「はぁ、痛ぇ」と呟いて鼻をぬぐった。「血が出てら」
それから、おいあんた、と俺に投げかける。「俺の鼻、折れてるか? 曲がってるか?」
「いいや、鼻血だけだ。だが腫れ上がってるようにも見えるな」
「よせやい、鼻がでかいのは生れつきだ」
「そうか」俺はこの時はじめて笑った。「血が出て小さくなればいいな」
「うるせぇや!」チョビ髭も笑った。
「ねェん、あんたァ」
その会話に化粧の崩れた女が割り込んできた。
「あんた男前だったわよォ。ホントにホント。あんたが囁いた『あいつに助けを求めろ』とか『つらそうな顔でにらめ』ってのが効いたのかもね」
「ばかやろう! それはあくまで作戦の一部ってぇやつだ! 主菜は俺様のこの喋り……。はぁ、鼻が痛ぇ……」
俺に話しかけたのも、あの女の顔つきも、こいつの策だったのか。
でかい鼻の下に、チョビ髭を生やしていて、パンツ一丁でおまけに鼻血を出して間抜け極まりない姿だが、こいつはもしかするととんでもない奴なのかもしれない。
● 32
「あんたのお喋りステキだったわァ……『女は助けてやれ』なんて……もうグッときちゃった……ねぇ、今日はお安くしておくから、あたいと一晩……」
「ばかやろう! 鼻は痛ぇし腹は打ったしそんな気分になれっかよ! そもそもおめぇのとこの……待てよ……」
ばかやろうと怒鳴った直後なのに、チョビ髭はいきなり女に、ケガはねぇか? 身体は? もうそんなに痛くねぇか? そうかよかった……と優しくしはじめた。
何か企んでいるな。俺は直感した。
「とりあえずお前、店に戻りな。俺は身体中痛ぇから、このマットはしばらく借りるぜ」
ありがとね、ありがとうねェ……と感謝しながら、女は娼館に戻った。
「おいあんた、セルジオつったな」しばらく鼻をさすっていたチョビ髭は言った。
「さっきの助け船は本当にありがたかったぜ。感謝するよ。それでなぁ……俺とちょいと、一儲けしねぇか」
一儲け? さっき殺されかけたってのに?
「……いつだ?」
「今だ」
「今?」
「ここの娼館から金をもらうんだ」
「どうやって?」
「そもそもが、ここの店がよ、女に予約が入ってんのに、うっかり俺に渡したってのがコトの起こりなワケよ」
あんたが強引に連れ込んだんじゃなかったか? と聞きたくなったが、呑み込んだ。
「そしたらおめぇ、コトに及ぼうとしたら、『殺してやる』つって部屋に乱入してきた乱暴な野郎によ、いきなりマットレスごと持ち上げられて窓からポイよ。そういう時はよ、『お客様ちょっとお待ちを』つって、店のもんがノックしてよ? 『えぇ、お客様、お楽しみのところすいませんが、行き違いがございまして』と申し上げるのがスジじゃねぇか?」
チョビ髭は自分で言っているうちにプンプン怒りはじめた。自分で自分に魔法をかけているみたいだった。