【短編】12月24日・異聞 #パルプアドベントカレンダー2019
「お前、俺が誰なのか知っていてやったのか?」
老人は青年の首をつかんで、古ぼけたアパートの部屋の壁に押しつけながらそう凄んだ。
いつの間にやら祝日でなくなっていた12月23日の翌日、24日の夜。
老人は青年の顔を見て、こいつは今の時期、幸福な時間を過ごすタイプではないな、と考えた。
年の頃は30前後。ひょろりとして細身の体。とりあえず邪魔くさくならぬ程度に短く切られた髪に、野暮ったい眼鏡をかけている。その奥の瞳は泥水みたいに濁っていた。
「当たり前だろ。何も知らないでぶつけるわけない……」
青年が部屋着にしているらしい大きめのトレーナーの首回りはベロベロに伸びきっていて、ズボンも毛玉だらけだった。その足元にはさっき老人が潰した黒いコントローラーが落ちている。
なるほどな、と老人は思った。こういう輩にはお説教が必要だ。
「お前のような奴のことはよく知っている。今日、お前のような気持ちでいる奴は山といる。だがな……」
右手で相手の首を押さえつけながら、左手のドローンを持ち上げた。青年は苦しげにうめいてから、弱々しく老人の真っ赤な服の腕をつかんだ。
「こいつを飛ばしてトナカイにぶつけたって、一晩の気晴らしにはなるだろうが、お前の現状は変わらない」
老人は真っ白な髭を顔の下半分いっぱいに生やしていて、肩も広く、腹も太かった。老いた枯れを感じさせぬ充実した肉体を有していた。
「愉快なのは今夜だけだ。だが明日も明後日も、お前の現状は変わらない。わかるな?」
「わかる……わかる……」青年は身じろぎもせずに返事をする。
話しているうちに高まる怒りによって、老人は自分の右の二の腕の筋肉が少し膨らむのを感じた。
「驚いたか? 俺が大事なトナカイを傷つけられて、ただ通りすぎると思ったか?」
「……いや……思わなかった……」
「そうだろう? 降りてきて、ドローンのリモコンを叩き潰し、ベランダから入ってきて、こうやってお前に凄むとは思わなかっただろう?」
「……いや……それはそうなると……思っていた……」
「……なに?」
老人は眉を寄せた。
「降りてきてもらわなきゃあ……困るもんでなッッ」
老人の右腕を弱々しくつかんでいた手に突如として力がこもり、壁についていた両足が浮かんだ。右足左足が老人の右腕を挟みこむ。
(ちッ)
反射的にドローンを青年の顔面に叩きつけたが、その動きは止まらなかった。
青年の腿の裏が老人の顔に触れ、背中は壁から畳の上にずり落ちる。
腕ひしぎ十字固めが極まりかけていた。
老人はかろうじて右腕を曲げているが、これが伸びきるのは時間の問題と思われた。
老人は重力によってまくれたトレーナーから見える青年の腹を見た。
しなやかなシックスパックであった。無駄な贅肉がなく、見せるための筋肉でもなかった。「実戦」を積んだ肉体だった。
舐めすぎたか。老人の胸にその言葉がよぎった。イブにみじめな気持ちを抱えたモヤシ野郎のイタズラだと思ったが──
「どうだい爺さん、驚いたか? 驚いただろう?」
畳に背中をつけながら青年はにやりと笑う。
「子供のおとぎ話に出てくる存在を見つけて、それに日頃のストレスをぶつけようとしたヘタレのお兄さんだと思ったろうな?
そいつはとんでもない間違いさ。俺はあんたに降りてきてほしかったんだ。降りてきてもらわなきゃ年が越せなかった。
ついでに言っておくが、目的はあんたの『積み荷』だ。最近はネットでああいうオモチャは高く転売できるもんでな。
悪いが存外に力持ちなこの腕、折らせてもらうぜ。その後はフルコースでもてなして失神してもらうから、覚悟を──」
「……おい若いの」
「あん?」
「喋りすぎだ」
老人の腕に先ほどとは比べ物にならぬ力が充満した。袖口に白いフワフワのついた真っ赤な服が、肩のあたりから手首まで、音を立てるように筋肉で膨らむ。
なッ、と青年が思わず声を洩らしたと同時に、その体は持ち上げられた。
畳から中空へ、そして天井へと青年は一瞬で180度動いた。彼は極めていた手を離し老人の顔に拳を叩き込もうとしたが、その判断は遅かった。老人の手は青年の胸ぐらを完全につかんでいた。
ずおっ、と鈍く風を切る音。2メートルの高さ。青年は後頭部から、すぐそばの座卓に叩きつけられた。
「……得意気に喋る前に、腕の一本も折っておくモンだ。それにテーブルも、片付けておくべきだった──絶好の武器になる」
老人は座って、右の腕を曲げたり伸ばしたりした。少し痛むが、今夜の「仕事」には支障はなさそうだった。
「お前みたいなバカは昔からいてな。扱い慣れてる。銃を向ける奴、鷹を使う奴、格闘技各種……いろいろいたな。しかしドローンをぶつけておびき寄せるってのははじめてだったよ。……もう聞こえてないか……」
目を見開いて、耳から血を流して横たわっている青年の体にそう言った。
座卓の真ん中に落ちた頭の後ろから、じくじくと畳に血が広がりはじめる。
今さっきの音で、このアパートの住人か管理人が間もなく乗り込んでくるだろう。いや、昨今はそうでもないか? とにかく、早くここから離れるのが無難だ。
老人は急いで立ちあがり、ベランダの窓を開け、ソリに乗り込んだ。ドローンで脇腹にケガをした方のトナカイがひと声鳴いた。
老人は自分の指先に血がついているのに気づいた。立ちあがった時、流れ出した青年の血がわずかに付着したのだろうと思った。
彼はそれを自分の赤い服でぬぐう。老人のほぼ全身が赤い服はそのようにぬぐった血や誰かの返り血でできた、わずかに赤黒い点に満ちていた。
「さぁて、仕事の続きに行こう」
老人は手綱を握る。
ふと老人は、部屋の中の死体に目をやった。その心に、冬のそれよりもいっそう寒い風が一陣、吹き込んだ。
だが悲しんではいられない。年に一度のこの仕事は、今夜中に済ませなければならないのだ。
彼は首をゆっくり横に振った。それが青年へと弔いであるかのように。
やがてソリは動きだし、空の中へと消えていった。
【完】
(12/24 2412字)
あとがき:本作は #パルプアドベントカレンダー2019 に飛び入り参加するため、2時間ほどで乱暴に書き下ろされた謎の短編です。筆のおもむくまま書きました。本当にすいません。年寄りを舐めるとヤバい。それでは皆様、よい年末を!