【怖い話】 窓の外のお姉さん 【「禍話」リライト97】
「小4の時の体験なんだけどさ、これ……他の人には言わないでくれる?」
Rさんからこの話を聞いたのは、25年ほど前のこと。
当時は中学2年生。夕方、校舎の目立たぬところでひっそりと聞かせてくれた。
以来ずっと、「お蔵入り」になっていた代物なのだが──
最近になって、
「あの女の話さぁ、もうおおっぴらにしちゃっていいよ」
とRさんから連絡があった。
「もう故郷の連中とは、あんまり付き合わないことにしたからさ。理由? まぁ、色々あって……」
その色々も含めて、もう一度、体験を聞くことにした。
ただし、場所は伏せてほしい、と言われた。
Rさんは小さい頃からスポーツ少年で、特にバスケが好きだったそうだ。
部活は当然バスケ部を選び、勉強もそこそこにバスケ三昧の毎日を送っていた。
そんな小4の夏のことである。
上級生やコーチらと共に、合宿に行くことになった。
急に決まったわけではなく、これは部の恒例行事で、4年生になると参加できるようになる。
「山にある、少年自然の家、って言うの? 宿泊施設に体育館がくっついてるようなさ、あるだろ?」
日程は3泊4日。校区からさほど離れた山ではないが、親は不在、小学生としてはかなり大きなイベントだと言えた。
それまで日帰りの遠足しか経験のないRさんも同年のチームメイトも、3泊などまったくはじめての体験だった。
遠足など比較にならないくらいワクワクしながら、その日を迎えた。
大人の運転するバンに乗り、山を登っていく。高い山ではない。が、緑の多い山だった。
森の中、ぽっかりとひらけたところに、少年自然の家はあった。
「ガキの目ってのを差し引いても、結構大きい建物でさぁ。うわぁここでバスケすんのかぁ、ってテンション上がったのを覚えてるよ」
まぁ、楽しかったのは初日だけだったけどな──
Rさんはぼそりと付け加える。
到着したらまず全員で管理人さんへの挨拶、部屋割り、荷物を置いて着替えて、さっそく体育館へと向かった。
いつもとはまるで違う環境での練習は新鮮で、最初の走り込みからもう面白くて仕方なかったとRさんは言う。
あっという間に夕方になり、晩ごはんを食べ、騒ぎながら風呂へ。先生やコーチにうるさいぞ! と苦笑されつつ、自分たちの部屋へと戻った。
同じ4年生、気心が知れたヤツらばかり8人が一緒の大部屋である。当然ながら男子ばかりだ。
早く寝ろよ! とコーチに言われたのを尻目に、
「いや寝ねーし」「何する? 何する?」「電気つけてるとバレるしなぁ」
などと布団の中でふざけ合いつつ計画を練っているうちにひとり、ふたりと寝入っていく。思ったよりも疲れていたらしい。
「何だよ~みんな寝ちゃって……」と思っていたRさんも、いつの間にか眠ってしまっていた。
翌朝のことである。
起きて朝ごはんを食べ、今日も練習がはじまった。
ところがRさんは、変なことに気づいた。
同室で寝ていた奴らの様子がおかしい。
というか、同室で寝ていたKというヤツを、あとの6人が明らかに避けている。当のKはなんということもなくバスケをしている。
練習試合の時などはKだけがやたら快活で、他の面々にいつものキレがない。
残されたRさんは、誰にも嫌がられていない。
どうしたんだろ? とRさんは思った。何かあったとしたら昨晩だが、寝ていたのでよくわからない。
ひとりを捕まえて、尋ねた。
「なー、なんか昨日、Kと何かあったん?」
聞かれた方はちらっ、とKの方を見て、「あの、後で。後でな」と囁いた。
やはりKが何かしでかして、他の連中がそれを見たか巻き込まれたかしたらしい。
おねしょ……? などと考えてみるも、そういう避け方でもない。どことなく、怖がっている感じがある。
しばらく経ってから、うまい具合にKが別のグループに混ざりはじめた。Rさんはすかさず2、3人を呼び止めて、「なんかあったん?」と聞いた。
「……お前、やっぱ寝てたんだ」と言われた。
「起こそうかなと思ったけど、メッチャ寝てたからな……」とも言われる。
考えてみると昨夜のRさんは、入り口に近い布団で寝ていた。件のKくんは、窓に近い布団だった。
そういえば深くグッスリ寝ちゃったなぁと思いつつ、で、どうしたの? と重ねて尋ねた。
3人ともに、暗い顔になる。
Kが遠くにいるのをちら、と確認してから、
「アイツさぁ。Kな。窓に向かって話しかけてたんだわ」
「え」
Rさんは一瞬絶句した。それから、
「それなに? あの、マンガとかに出てくるあれ? 寝てる間に起き上がって動き回る、みたいな」
「いやそんなんじゃなく、すっげぇしっかり喋っててさ……」
3人の話を総合すると、Kはいつの間にか起き上がって、窓に話しかけていたらしい。時間は確かめていないが開いたカーテンの外は真っ暗で、深夜に違いない、と言う。
話し声で、窓に近いヤツや眠りの浅いヤツから目を醒ました。怖いので隣のヤツを揺り動かしたりして、最後はRさんを除く全員が起きた。
「な、なんかゴメン……」Rさんは意味もなく謝ってから、はたと気づく。
「あれっ、でも……俺らの部屋って、2階じゃん?」
「そうだよ」
「ベランダとかないし」
「だからだよ」3人は口を揃えた。「だから怖いんじゃんか」
じゃあ……誰もいない空中に向かって話しかけてた、ってことなの?
Rさんは尋ねようとして、やめた。
尋ねなくても、彼らの怯えている顔つきでわかった。
3人いわく、Kは窓に向かって「フツーの話」をしていたらしい。
学校での生活や友達のこと、イヤな先生やイタズラのこと、がんばっているバスケの話、などなど──
「それがさぁ、なんとなくだけど」と、ひとりが声を落とす。
「なんか、年上のさ、お姉さんに話しかけてるみうな喋り方でさぁ」
「お姉さん……?」
あとのふたりもそうそう、と頷く。
高校生とか大学生とかの女の人相手に。
友達の家のお姉さんみたいな感じのさ、わかる?
なんかちょっと恥ずかしいみたいなさ。
へらへら笑ってさぁ、デレデレしてるみたいな。
Kの話は、5分や10分では終わらなかったという。
「1時間くらいは話してたような……」
「そんなに……?」
いよいよ夢遊病ではない。
窓の外から返事はあったのか、とRさんが聞くと3人は首を振った。
「バッカお前、返事なんかしたら俺ら全員逃げてるよ」
「そっか……じゃあアイツ、ずーっとひとりで喋ってたわけ?」
「そうなんだけど……いやでもさぁ、なぁ?」
ひとりが言うと、残るふたりも顔を曇らせる。
「アイツさ、最後は窓の外に『じゃあお休みなさい』つって、布団に戻ったんだよ」
「うん」
「その時にアイツ、何したと思う?」
Rさんはいや……と首をかしげた。
3人はまた、Kが遠くにいるのに目をやってから、さらに声を低めて言った。
「アイツ、窓にキスしてたんだよ」
「えっ……」
Rさんは言葉を失った。
「……だろ? だからもう今日はアイツのことがさぁ……。そりゃ窓の外も気になるけど、アイツ本人が、怖いっていうか」
だから俺ら、避けてるんだよ……。
Rさんは黙って頷くほかなかった。
そのせいでRさんもKのことが気になり、練習に集中できなくなった。
昼の、休憩時間の時だった。さっきの3人が近づいてきた。
「さっきの話だけどさぁ。ホントに窓の外にベランダとかないか、確かめに行かねぇ?」
え、それは、と口ごもったものの、無理に聞き出したのはRさんの方である。
気乗りしないものの、さっきの3人とつれ立って、Kの目を避けつつ、外に出た。
ぐるりと回って宿舎の裏、窓の並ぶ場所に来た。
1階はともかく、2階にも3階にもベランダはない。スペースどころか、足を置くとっかかりのようなものすらない。
無いな……と4人で歩いて回る。一応、自分たちの寝ている部屋のあたりまで行ってみた。
「ここらへんだよな、俺らの部屋ってだいたい……あっ」ひとりが立ち止まった。
何? とRさんたちは駆け寄る。
たぶん、自分たちが泊まっている2階の部屋の位置だ。窓越しに見える山の風景が似ている。
無論その外壁にも、人が立てるような空間や出っぱりはない。
その代わりに。
窓の真下の草むらに、花が置いてあった。
山の花が綺麗に束ねてあって、白い紙でくるんである。
まだ新しい。昨日あたり置いたもののように見える。
「いやいやいや……」
「えーっ……」
4人は足元の花束を見ながら焦った。
小学生でも、この花束の意味くらいはわかる。
ここで、人、死んでるの……?
「あっ。上見て、上」
別のヤツが見上げるので、Rさんたちも視線を上げる。
他の部屋の窓は砂やホコリで薄汚れているのに、自分たちの部屋の窓だけはピカピカに磨かれている。
「掃除されてる……」
「やっぱなんか、なんかあるんだよ……。うわぁ……」
4人とも落ち込んでいると、休憩の終わる時刻が迫りつつあった。
午後の練習は午前以上に身が入らず、コーチに何度も叱られてしまったという。
Kのことと花束の件、それに綺麗な窓のことを引きずりながら、Rさんは部屋に戻った。他の連中はもう帰ってきている。
「あれっ」
なぜか昨晩と、布団の割り当てが違う。ひとつしか空いていない。
空いていたのは、窓に一番近い布団だった。
おいっ、ちょっ……と声が出かけたものの、当のKもいる。
他の連中に文句を言うと、とてもまずいことになりそうだというのはわかる。
考えてみれば昨日の夜は、自分ひとりだけイヤな目に遭っていない。Kの奇異な様子を目撃していない。
「そうなると、しょうがないのかなぁ……」
子供ながらに事情を呑み込んで、Rさんは窓際の布団に潜り込んだ。
昨日くらい熟睡できますように、と祈ることしかできなかった。
頭をまたがれた気配で、目が覚めた。
えっ、と首をねじる。
Rさんの枕のすぐそばに、素足の足首があった。「あのぅ、こんばんはぁ……」と猫なで声がする。
Kの声だった。
(うわぁ……)
Rさんにこの情景を見る勇気はない。
Kは「あっ、そうなんですよぉ。今日も一日バスケしててぇ」と言っている。返事らしきものは聞こえてこない。
「今日はここの部屋のヤツらみんなして調子悪くってぇ」
「自分ですかぁ? 僕はあの、褒められたんですけど……へへ」
「そうなんですよぉ、自分だけ調子良くて。へへへ」
「あっちで寝てるヤツなんかコーチに呼ばれて、どうした! って大きい声で言われててぇ」
話の通り、Kはひとりで窓に向かって話しかけている。
3人の見立て通り、年上のお姉さんと喋っているような、どこか甘えた話し方だった。
Rさんは目を閉じたまま、ゆっくり、かけ布団を顔の方に上げていく。
額あたりまで覆った直後に、
「そうそう、コイツも午後からヘンで、叱られててぇ」
と声が降ってきた。
頭上でKが、こちらに視線をやっているのがわかった。
もうひとつ、視線があるような気がする。
窓の外からかもしれない、とRさんは思った。
布団越しに、Kが言うことはほぼ全部聞こえた。
Kは部屋にいる面々をひとりずつ紹介していった。
それから今日の合宿のことも、学校のことも、趣味のことや家のことまで延々と語って聞かせている。
窓の外からは返事も、相槌も、ついぞ聞こえてこなかった。
30分は続いただろうか。Kが、
「じゃあボク、明日もバスケあるんで。はい。じゃあ……おやすみなさい……」
と言って、動いた。
Rさんの頭を再びまたぎ、自分の布団に戻っていく気配がする。
……ウソだぁ……マジかよ……。
Rさんは恐怖で身動きできなかった。
やがてすぅすうと、Kの布団の方から寝息が聞こえてくる。寝入ったらしい。
ゆるゆると顔を出す。横目で見る。
カーテンは開けたままらしく、山の月明かりが入ってきている。
Kが静かに床についているのが見えた。
(ジョーダンじゃねぇよぉ……)
額にいやな汗を感じながら考える。
(こんな、立つ場所もない2階の外に、人がいるわけないじゃんか)
Rさんは窓に目をやった。
窓の外に、女が立っていた。
ぱつん、と意識が途切れた。
翌3日目の朝、Rさんは重苦しい感覚と共に目覚めた。
体がだるい。火照っている。友達がどした? と額に手を当てて、「うわ、お前すげー熱あんじゃん!」と言う。
「え……なんでだろ……? 風邪かなぁ……?」
「いまコーチとか呼んでくるから!」
Rさんは再び横になった。風邪にしては咳もノドもおかしくない。とにかく熱があるだけだ。
ぼんやりする頭で昨晩のことを思い出そうとした。
女がいる、となった所までは覚えている。しかしその女の姿形も顔も記憶にない。髪型も服装もわからない。若い女、という印象だけがある。
大人たちがやってきた。
体温計の数字を見て、いくつか質問したあと、「どうする……帰ろうか……?」と聞いてきた。
Rさんのバスケ好きは筋金入りだったので、帰るという判断はなかった。半日か一日寝ていれば治る気がする。
それに、ここで帰るとチームメイトにずっと「アイツ合宿中に風邪引いてな」とイジられるのでは、という恐れもあった。
せっかくの合宿、今日は休むとしても、明日の半日は参加したいです。がんばりたいです。
その旨を大人たちに伝えると「そうかぁ」と言われた。お前、バスケ好きなんだなぁ……と腕を組んで、感じ入ったように言う。
「じゃあ今日一日、ここで休んでなさい」
「えっ」
Rさんは不意を突かれた。だがそれも当然で、ここは学校ではないのだ。保健室などない。休むとなれば、この部屋に決まっている。別室に移される理由もない。
この、窓の外に女が出た部屋に、夕方まで、ひとりきり……?
とは言え、日の出ている朝から沈む夕方までのことだ。昼に出る幽霊など聞いたことがない。
「あ、ハイ。わかりましたぁ……」
Rさんは頷いた。
じゃあ具合悪くなったら呼べよ? と言い残して、水や額に貼るシートなどを置いて、大人たちは部屋を出ていった。
ドアが閉まったのを確かめてから、Rさんはよいしょ……と身を起こして、布団を窓から引き離した。部屋の入口近くまで移動させる。
日中とは言えあの窓からは、できる限り離れていたい。
とにかく、横になっていた。
汗をかきながら何もせず、時折うとうとしながら、漫然と過ごす。時計のコチコチいう音だけが響く。
昼前のことだった。
突然、窓をトン、と叩くものがあった。
うわぁ、と飛び上がると続いてギュ、ギュ、と濡れた音がする。
長いモップが、窓を拭いている。
え……え? と這いずっていき、腹這いのままそっと見下ろした。
管理人のおじさんがモップを上下に動かしている。
おじさんはこの部屋の窓だけを丁寧に拭いて、伸ばした棒を収納する。
そうしてから、足元にある花束を拾ってバケツに入れ、別の花束をそっと置いた。
やっぱりここだけ掃除してるし、花束供えてるんだ──!
Rさんは怖くなって、布団へと帰った。
3時過ぎだった。
汗をたっぷりかいて水を飲んだおかげが、Rさんは熱がだいぶ引いてきたと感じていた。
あ~よかった、となると、考えるのはバスケのことである。
一日寝てたから明日はゆっくりはじめないとな。けど昼までか。じゃあ簡単なアレとかコレからはじめて、無理がなければあっちのを。
布団の中であれをやろう、これは無理かな、と悩んでいた矢先だった。
「あはははははっ」
女の笑い声がした。
窓の外からだった。
Rさんはぞっとすると同時に、悟った。
女は、夜に出るんじゃない。
ずっと窓の外にいるんだ、とわかった。
ただ、昼は見えないだけなんだ──
荷物を抱えて部屋を出て、まだふらつく足取りで下の管理人さんの部屋に行った。
「すいません、ちょっと、心細いので、ここで寝させてください!」
「あ~そうかぁ。やっぱり調子よくならないんだねぇ。待ってなさいね、奥に、余ってる布団敷くから……」
管理人さんは快く招き入れてくれた。学校の人たちには自分から伝えておく、と言う。
わざわざお粥まで作ってもらい、子供用の熱冷ましまでもらって、Rさんは早い時間に床に着いた。
薬のせいかとろとろと眠気に誘われながら、同室の連中のことを考えた。
あいつら大丈夫かな、Kも、他のヤツらも──などと思っているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
夜中だった。
ガラスが割れた。
直後に重たいものが落ちる音。
驚きの声。
建物を駆ける足音。
怒号、悲鳴、ざわつき。
真っ暗な宿舎に騒然とした空気が走る。
管理人さんも飛び起きた。
「君ね、君はそこにいなさいね! 私行ってくるから!」
自分が昼まで寝ていたあの部屋で、何か大変なことが起きたとしか考えられない。
Rさんは布団をかぶって、ずっと震えていた。
──他の友人知人や両親、学内の噂話を聞いて回って、Rさんが知ったその夜の出来事。
夜中の2時過ぎに、割れる音と落ちる音がほぼ同時に、宿舎に響いた。
大人も子供もみんな叩き起こされた。
4年5年6年は窓際へ行き、あるいはドアを開けて廊下に顔を出す。
大人たちは外へと走る。
重いものが落ちた音は、屋外からだった。
今日の昼までRさんが寝ていた大部屋の窓が、大きく割れていた。
真下に、Kくんが落ちていた。
2階という高さと下が草地だったことから死にはしなかった。しかし体を強く打っていて、割れたガラスで切り傷もあった。
いたい、いたいよお、と地面でKくんは泣いている。
大丈夫か、と駆けよった大人たちは、強い視線を感じた。
見上げると、同室の生徒6人が窓際に立っていた。
RさんとKくんを除いた全員だ。
無表情で、こちらを見下ろしている。
引率者のひとりが
「お前ら……お前ら何やったんだ!」
と怒鳴った。
すると、中のひとりがこう言ったという。
「だってえ、ひとりじめするからよくないんですよぉ」
両脇にいる5人も同じようなことを言いはじめた。
「そうだよ、ひとりじめするのがいけないんだからさぁ」
「そういうズルするからだよ」
「だって、ひとりでさぁ。ムカつくもん」
「Kだけでさぁ」
「ほんとによくないよ。なぁ?」
Kくんは救急車で運ばれた。
1ヶ月強の入院となった。
しかし。
上にいた生徒たちの言葉に反して、Kくんは「突き落とされた」とは言わなかった。
「ふざけていて、自分から落ちた」と証言した。
それで、うやむやのまま、「事故」ということになった。
夏休みが終わった。
同室だった6人は普通に登校してきたものの、疎遠になった。近づきたくない。
バスケの部活動中、遠くから眺める6人に、変わったところは見当たらなかった。
そのような状況だったため、RさんはKのお見舞いに行くことになった。コーチに頼まれたのだ。
「ホラ、お前だけ管理人さんの部屋で寝てて、なんていうかさ……『関係なかった』だろ? だからちょっと、顔だけでも……な?」
「女」のことは気になったものの、そう言われると断るわけにもいかない。それに落ちてケガをしたのは事実だ、同情心もあった。
入院していたKは、思ったよりも元気そうだった。包帯やギプスはつけているが小さなものだった。そろそろ退院できる、と言う。
ベッドの脇で子供ながらに世間話をする。話している最中も、妙な態度や素振りはなかった。
Rさんはそろり、と話題を変えた。
「大変だったよなぁ。ほら、あの夜。オレ、いなかったからさ」
「熱すごかったもんね。風邪だったの?」
「いやぁ、なんか熱が出て、だるかっただけ。でもさぁ、なんていうか、あの夜って……」
「あいつらは悪くないんだよ」
先を読まれたような返答に、Rさんは戸惑った。うん……と頷く。
Kはベッドに横たわったまま繰り返す。
「悪いヤツらじゃないんだよ。責めないでくれよな。俺が悪いんだから」
「そう、そうなんだ……ほら、オレ、よくわかんないからさ……」
どうにか答えたRさんの前で、Kは思い出すように、少し遠いところに目をやった。
そして、こう言った。
「やっぱりなぁ、ああいう、いいものをな、ひとりじめするのは、よくないよなぁ」
Kはうっすら笑っていた。
Rさんは挨拶もそこそこに、逃げるように病室を去った、という。
──ここまでが25年前、中学の時にRさんからしてもらった話である。
この「続き」があって、Rさんは故郷とは距離を置くことにしたのだそうだ。
ひとつめの「続き」。
大学生になって夏休みに帰省した折、車で偶然、あの「少年自然の家」のそばを通ることがあったという。
10年も前のことで、恐怖も薄れている。
午前中だし、例の窓に近づかなければ、と好奇心に任せることにした。
車を乗り入れると、あの森、あの建物があった。緑色の鮮やかさ、宿舎の大きさは記憶のままだった。
車を降りて「うわぁ……」と言いつつ見渡していると、掃除用具を持った初老の男性が通りがかった。
ふと目が合い、「何か……?」と聞いてくる。
Rさんは一瞬で、あの時の管理人さんだと思い出した。
髪に白いものが混じりはじめている以外は、容姿に変わりがない。
誤魔化してもよかったのだが、好奇心が大きくなっていく。
あの女。
あの女はこの山のどこで、いつ、どういう風に死んだ人なのだろうか、と思った。
言葉を選びつつ、10年ほど前に、小4の子が窓から落ちたことが──と言うと、「……あぁ、あれね!」と返される。
驚いたことに、管理人さんは覚えていた。
「あぁいう事故ってそうそうないからさぁ、忘れないんだよね。えっと、あのとき落ちた……?」
「いやいや」Rさんは手を振った。「あのとき熱出して、部屋にいなかったヤツです」
「あ~! あの時の! 俺の部屋で寝てた子か! そうかぁ!」
「そうなんですよ……」Rさんはなんだか照れくさくなり、頭を掻く。
あの時はひと騒動だったねぇ。
えぇ学校でも問題になったりして。
そりゃあなぁビックリしたよ。
管理人さんも大変だったでしょう?
などと一通り会話を交わしてから、Rさんは「……あのぅ」と切り出した。
「あの、ヘンな話であれなんですけど……僕らのいた部屋の窓の下に、花束、置いてありましたよね?」
「あ~。あれ自分がね、2日おきくらいに代えてるんだよ」
あっさりと肯定されたので、Rさんは拍子抜けした。
「ずっとやってるの。ほら、今もやってきたところなんだよ」
後ろに置いてあったバケツの中には、まだ萎れていない花束が入っていた。あの時と同じように、山の花が包んである。
「そうなんですか……。いや、あのですね、実は僕、あの合宿の時なんですけど……またヘンな話なんですけど、窓の外に……」
「あ~そうかぁ。ウン。見たんだね」
管理人さんは深く頷いた。何もかもわかっている、という悟った表情をしていた。
Rさんはその様子に心強くして続ける。
「それで、すっごく驚いちゃって。そのせいもあって、管理人さんの部屋に移ったんですよ」
「ははは、そうだったのか。まぁ怖くなる子もいるだろうねぇ……」
「それで、あの騒動じゃないですか。思い返すとやっぱり、あれって亡くなった女性の……」
「ん? なに?」
「いや、このあたりで亡くなった女性の」
「誰も死んでないけど」
え?
Rさんは当惑した。
管理人さんは続けて言う。
「自分も長いけど、ここの山で死んだ人なんていないよ。登山コースもないし。山菜取りで迷うとか滑落とか、そういうのもないしさ」
Rさんは言葉が出てこない。
「事故もないし、自殺なんてのも一件もないよ。行方不明なんて話も聞かないし。低い山だからさ。ちょっとケガした、くらいはあるけど」
「でも、あの」
「いちばんデカい事故って言ったら、それこそ君の友達が落っこちた、ってやつだよ。何事も起きてない、平和な山だよ、ここは」
Rさんはひどく混乱した。
しかし管理人さんが嘘をついているようには見えない。極めて明るく答えてくれている。
「え、じゃあその、」
Rさんは花束を指さした。
「窓の下に供えてある花束って、なんなんですか?」
Rさんが尋ねると、管理人さんはうん? うぅん……と首をかしげた。
「これ? これは……いやぁ、ほらぁ」
かすかに身をよじる。
「女の人ってさぁ……花とか、好きじゃない?」
そう言って、うっすらと笑った。
10年前の病室でKが見せた笑みと、そっくり同じだった。
鳥肌が立ったRさんは話を切り上げた。
どこにも寄らず、すぐに車で帰った。
ふたつめの「続き」。
社会人になってしばらく経ってからのことだそうだ。
小学校の同窓会の誘いが来た。
バスケの合宿の件は引っかかったものの、他の旧友のその後や現在のことも気になる。それに、たまたま人恋しい時期でもあった。
Rさんは出席にマルをつけて返送した。
当日の会場は、旧交を懐かしむ人々でいっぱいだった。Rさんもそのひとりだ。
高校まで一緒だったヤツもいれば、小学校までで離ればなれになった人もいる。
「よう久しぶりぃ」「元気にしてたかよぉ」などと言葉を交わしながら、会場を歩いていた。
一ヶ所、一段と盛り上がっているグループがあった。
7人いた。
顔つきに面影がかすかに残っている。
あの時。バスケ部の、同室に寝ていた7人が寄り集まっている。
「落ちた」Kと、
たぶん「突き落とした」6人。
その7人が、談笑していた。
楽しげな会話が、Rさんの耳に届いてきた。
──いやぁあの時はさぁ、よくなかったよなぁ、お互いに
──そもそもお前がさぁ、自分ひとりのモンにしようとするから
──へへへ。ゴメンなぁ、でも最初が俺だったじゃん?
──まぁそれはそうだけど、でもやっぱりズルいよ、ひとりじめなんて
──でも今から考えると、あれって、いいものだったよなぁ
──そうだよなぁ、あれは本当に、いいものだったよなぁ、あはははは
──あははははははははははははは
これを耳にした時、Rさんは故郷にはできるだけ帰らないように決めたのだ、という。
Rさんは中学当時、大分県に住んでいた。
小学校の卒業と同時に大分に越してきて、中学高校と通い、大学でまた、別の県へと出ていった。
そんなわけでこれは、大分県以外の、どこかの県の話であるのだが──
この話はしてもいいけどな、とRさんは念を押す。
俺がどこの生まれで、どこの小学校に通ってたかは、絶対に言わないでくれよ。
関わり合いになりたくないんだよ。
あの7人にも、管理人にも、あの女にもさ。
わかるだろ?
山や女のことは一切、調べていないという。
その山で死んだんじゃないなら、女はどういう──と聞くと。
Rさんは口を固く結んで、首をゆっくりと横に振るだけだった。
【完】
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☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
禍話X 第十五夜 より、編集・再構成してお送りしました。
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