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【怖い話】 名前を言うな 【「禍話」リライト113】

 この話に出てくる名前は、すべて仮名である。


 杉井さんのいた小学校では昔、こっくりさんが原因で大きな騒動が起きたという。
 昭和40年代の出来事で、詳細は伝わっていない。
 だが救急車やパトカーが来たくらい大変な出来事だったのは事実らしい。

「そういうことがあったら普通、校則とかで禁止になるんでしょうけど──いや、禁止されてたのかもなぁ。私が知らなかっただけで」

 いずれにせよ、ブームが去って誰もやらなくなれば、記憶も風化していく。教師がいちいち注意することもなくなる。


 時は移り変わり平成。
 杉井さんの友達が、子供向けの怖い本で「エンジェル様」なるモノを見つけた。

「十円玉じゃなくて、みんなでエンピツをにぎってやるヤツなんですよ。五十音表の上をエンピツが動いて、文字の上で止まるっていう」

 当時は『学校の怪談』などが流行っていた時期である。
 放課後の誰もいない教室で、人目を気にしながらやってみた。

 ヤバいねぇ、ドキドキしちゃうね、と言いながらエンピツを握り、
「エンジェル様エンジェル様、おられましたら」
 とやりはじめた。

 エンピツはぴくりとも動かなかった。

「なーんだァ」
「来ないじゃーん」
「初日だと恥ずかしがって来ないのかな」
「なにそのリクツ~」

 などと愚痴りつつランドセルを背負い、杉井さんたちは校舎を出た。
 学校の敷地外に出ようとして、ぴくり、と全員の身体がこわばった。


 校門のところに、見たことのない中年の男が立っていた。

 服は小汚なくて、肌も荒れて無精髭で、髪の毛も脂っぽくベトついている。
 男は門柱の脇で杉井さんたちの方を、怒ったような顔でじいっと見ていた。

(うわっ、こわぁ。フシンシャかな──)

 男を刺激しないようみんなで顔を伏せて、早足に校門を出た。

 男は特に何もしてこなかった。
 ただし背中には、男の刺すような視線を感じた。

 曲がり角をいくつも折れてから、みんなフゥ、と息をついた。

「何あれ、キモい」
「ヘンタイじゃない?」
「ヤダー! 親に言っとこ!」
「ホントだよ。なんかヤバいよ、あのおじさん」

 後方をちらちら振り返りながら言い合って、その日は終わった。


 数日後のことである。
 6時間目のあと、放課後に職員会議がある、との話を聞きつけた。
 一部を除いて部活動も休みか時短になるという。教師は全員参加の会議、ということらしい。
「なんかこういう日ってあんまりないよな!」「遊びに行かない?」とスポーツ系の部活をやっている生徒たちが騒いでいる。

 ということは。
 先生の目を気にすることなく「エンジェル様」をやれる。

 やったね、ナイスタイミング、と杉井さんたちはほくそ笑んだ。


 放課後の教室、誰もいなくなったのを見計らって、杉井さんたちは机をイスで囲み、五十音表とエンピツを出した。

 4人でエンピツを握り、エンジェル様をはじめた。

 ところが今日も、エンピツは動かない。

「なに~? 全然降りてこないんだけどぉ」
「やっぱり子供向けの本のやり方だと、力が足りないのかな」
「そういうもんなの?」
「まぁまぁ、もうちょいやろうよ」

 そんな言葉を交わしていると、
 ばしん、と窓を叩かれた。

 えっ、と目をやる。
 きのう校門のところにいた男が、窓に張りついていた。

 当時の学校は警備もゆるく、部外者の出入りは簡単にできた。
 杉井さんたちのいる教室は一階だから、ここにやってくるのは難しくない。
 けれどこの瞬間まで、杉井さんたちは男の存在に気づかなかった。

 ばしん。ばしん。
 男は窓を手の平で叩きながら、顔をめいっぱい窓に近づけて、杉井さんたちを睨んでいる。

 ばしん、ばしん、と叩くたびに手の汗が窓を汚していく。
 男の鼻の先が窓を撫でると、透明の脂がガラスに伸びた。
 男の口が開いた。

「やーぁめぇろぉ。やーめーろぉっ」

 男は舌足らずな声で言った。

「やぁーめろぉぅてぇ。やぁーめぇーろおよぉ」

 繰り返しながら、ばしん、ばしん、と窓に手を打ちつける。


 最初こそ驚いて恐怖した杉井さんたちだったが、そのうち何故か、妙な気持ちになってきた。

 こいつ、叩いて叫んでるだけだな。
 こっちに入ってこれないんじゃん。

 深い理由もなく、男を「見くびって」しまっていたという。

 数メートル横には外から教室に入れる引き戸があるのに。
 正面玄関や別の入口から回れば侵入して来れるだろうに。
 窓ガラスを叩き割るとか外すとかすればいいのに。

 この男は、そういうことはできないんだな。
 なぁんだ。あはは。怖くないや。

 杉井さんはそう思った。

 エンジェル様をやっていた他の子たちもゆるゆると、
「──なんか、たいしたことないね」
「ビックリしたけど、最初だけだったね」
「っていうか『やめろ』って言えてないよね」
 などと、男をバカにするようなことを言う。

 杉井さんも「そうだよねぇ」と同調しようとしたその時。

 ぐ ぐぐぐ ぐっ


 4人で握っていたエンピツが動いた。

 えっなんで、どうして急に。
 降りてきたの? 今?
 誰も動かしてないよね? 
 えっ、えっ?

 みんなが動揺する中、エンピツは黒い芯の粉を散らせながら、強い動きで勝手に紙の上を走る。
 平仮名の上を辿っていく。
 エンピツは、


 さ い と う じ ろ う


 と示して、元の位置に戻った。

 杉井さんたち4人は無言で顔を見合わせる。

 誰?
 誰の名前?
 知ってる人? 
 いや全然──


「いうなぁっ」
 窓の外の男が声を張り上げる。
「いうなよおっ。ゆうなっ。いうのやめろよぉっ。いうなよおぉっ」


 顔を真っ赤にしてガラスを叩く。
 エンピツが示した名前は、誰も口にしていない。
 ひとりが窓に背を向けていて机は隠れていたから、男には名前どころかエンピツの動きすら判らなかったはずだ。
 じゃあどうして、「言うな」だなんて。

「いうなよぉっ。ぜったいにっ。ぜったいにゆうなよっ。おいっ。それぜったいにいうなよッ」

 男の声が大きくなっていく。
 叩く力も強くなっている気がする。
 このままだと窓が割れるかもしれない。
 もし割れたら、男が入ってきて──


 がらがらがら、と教室の戸か開いた。
「あなたたち。どうしたの」
 老齢の女性が入ってきた。

「あっ、あの、」
 杉井さんは反射的に返事をして、目を窓にやる。
「あの人が叫んでて、窓をずっと叩いてて」

「こら。そういうのは止めなさい」
 女性は言った。
「やっちゃ駄目でしょう。サイトウくん」

 えっ。
 なんでこの人、その名前を。

 いや、そもそも。
 このお婆さんは誰だ。

 先生でもないし事務の人でもないし用務員さんでもない。

 見たことがない。
 全然知らない人だ。


「ジロウくん。サイトウジロウくん。やめなさい。そういうことは。ジロウくん駄目でしょう。サイトウジロウくん」

 女性が名前を連呼しながら窓へと近づく。
 男の顔が真っ青になった。
 あ、うわ、ああ、うわあぁ、と悲鳴を上げながら身を引いて、走って逃げていく。

 女性は杉井さんたちに「大丈夫?」とも言わず、一瞥すらせず、まっすぐに教室を横切って、外へ出る戸をからからと開けた。

 コンクリートで固めた部分に出て、そのまま剥き出しの地べたに下りて、逃げていった男を追いかけていってしまった。


 それで終わりだった。
 杉井さんたちは茫然としたままエンピツと紙を片付け、そのまま帰宅した。
 怖い、とは何故か一度も感じなかった。


 後日、
「昭和の頃のこっくりさん騒動に巻き込まれた子供が、窓を叩いていたあの男だったのでは」
 と友達のひとりが考えを述べたが、真相はわからない。
 親や教師に尋ねようとも思わなかった。

 ただ。
「教室に入ってきて名前を呼んで、男を追いかけていったお婆さん──足元、靴下だけだったんですよね」
 靴下で入ってきて教室を横切り、そのまま外へと出て、男を追って走っていったのだという。

 スリッパでもなく土足でもなく、靴下だけって言うのがなんか、すごくちぐはぐで──

「だから、男はともかく、あのお婆さんはたぶん、この世のものじゃなかったんだろうな、って思うんですよ、私」

 理屈じゃなくてね。
 勘で、そう思うんです。

 杉井さんはそう言って、話を結んだ。





【完】



☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
禍話フロムビヨンド 第9夜
より、編集・再構成してお送りしました。


★禍話についての情報は、リスナーのあるまさんに作っていただき、現在は聞き手の加藤よしきさんに引き継がれた「禍話wiki」をご覧ください。
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