ここ数ヶ月、ずっとぐるぐる渦巻いていた。同時多発的に想像もできないことが沢山起こってゴッホの星月夜の景色が毎日頭の中でうねるように呼び起こされた。 結婚式というのは、普段会えない人たちと顔を合わせる特別なイベントだと思っていたけどお葬式もさほど変わらない機会に思えた。こんな時にしか顔を合わせない親戚が大勢集まって同じ気持ちを共有するなんて皮肉だと思った。それなのに何故か琴線に触れる底知れない安堵を、冷房が効きすぎた葬儀場で何度も抱きしめていた。この気持ちがどこから湧き上がって
5月6日。朝からわたしの心を映すかのような重たい雨模様でとうとうゴールデンウィーク最終日を迎える。今日は例によって移動の1日だ。母に駅まで送ってもらったら切符を買って約2時間ほど汽車に揺られる。電気ではなくディーゼルで走るこのワンマン列車のことを地元では汽車と呼ぶので今日はここでもそう呼ばせてもらおう。わたしがもっと年老いてどんなに技術が進歩してもこの汽車だけはわざわざ切符を買って乗っていたい。白杖をついたお爺さんの手を握ったホーム。TOEICを受けるためにどきどきしながら座
5月5日。今日は実家で一日中過ごせる最後の日である。明日の午前中にはこの家を出る。風がごうごうと鳴る真夜中のリビングで名残惜しく日記を書いているところだ。こどもの日の今日はやはりタイトルは花菖蒲にしておくべきだろうと思い直して編集させてもらった。 5月2日に散歩をしたとき、知らない庭先のプランターで満開になっていた花の正体を突き止めた。写真を撮ったので帰ってじっくり調べようと思ったのにすっかり忘れていたのを思い出し起きてすぐ布団の中で検索をかけた。カンパニュラという花らしい。
5月4日。散歩に行こうという義弟の提案により、母と妹と義弟の4人で近所の川沿いを歩いた。わたしは頭がまだ半分眠っていたが日焼け止めを塗りたくって寝巻きで這うようにのろのろ外に出た。母がヌートリアの大群を目撃したという川縁は昨日の雨のせいで増水していたため、草むらで食事をとる小さい2匹を見つけたきりだった。帰りに石畳の通りに寄って溝で飼育されている鯉を見た。小型犬くらいある大きさの鯉のことをわたしはどうしても美しいと思えない。巨大な鱗とこちらを見透かすような目玉に本能が怯えてし
5月3日。実家の最寄り駅から列車に乗ってわたしの通っていた高校のある街へいく。休日にも関わらずわたしの母校の制服を着て重いスクールバックを肩にかけた生徒が同じ列車に乗った。県北唯一の進学校に休みなどなかったとしみじみ思い出し、心の中でありったけのエールを送った。1両しかない列車がゴールデンウィークの人手で俄かに混み合っていたが、高校3年間乗り尽くした路線なのでわたしは少し我もの顔で空いた席に座る。途中の駅が斜めに傾いていること。その駅を通り過ぎれば田園風景がしばらく続いたかと
5月2日。昨日の肌寒さから一転、すっかり春の陽気だ。今日も特に予定がなく家族が仕事で家を空けている間、留守番がてらほんとうにゆっくり過ごさせてもらった。午後になって散歩に出かけたら思いがけず鉢植えにスズランが咲いているのを見つけて人様の庭先にもかかわらず写真を撮ってたいへん気分よく遠くまで歩いた。 帰省6日目でわたしの長期休暇も折り返しを通過して、また連休前の日々が押し寄せてくると思うと心細い。もちろん仕事がないからというのもあるけれど、わたしはこの気負わない生活を心底気に入
5月1日はフランスでは「ミュゲの日」といって大切な人にスズランの花を贈る日。わたしのいちばん好きな花の日にわたしはとても腹を立てていた。 何もなく1日が過ぎただけなのでここに書き残すほどのこともないけれど、何かあったかと言われればただ約束を反故にされたということである。何となく予想していたことがその通りになっただけで、これまでだって何度もあったことだから、ふたりの間柄で言えば寧ろ慣れていることのはずだった。思い返せば確かにそんなに固い約束ではなかったかもしれないし、「何でもい
4月30日。 長女のわたしは年上につよいあこがれがあり、大学生のときは部活の先輩とよくつるんだりしていた。誰かに相手をしてもらっている、甘やかしてもらっているという受動的な立場でいられる間は少しだけ「お姉さん」であることから解放される気がして気楽だと思っていた。そういう時のかわいい自分のことが好きだった。 近頃会社の後輩が懐いてくれてよく出かけている。あの頃からしたら思いがけない展開だなと思う。その子はわたしより4つも年下でわたしより身長が高いし、わたしのことを時々「かわいい
2月29日。「千と千尋の神隠し」の舞台のdvdを5時間ほど観ていた。ゴールデンウィーク初日に家から実家まで帰るためにかけた時間より長い間、カンパニーの熱気に包まれながら1日を過ごした。 「千と千尋の神隠し」は好きと言う一言では言い表せない人生の一部だ。あの世界の中で起こることと風景がわたしにとっての全て。どの場面にもわたしが生活した跡がある。わたしは死んだら6番目の駅を最寄りに家を建てて暮らす。 2年前惜しくも御園座に足を運ぶことが叶わずライブ配信で舞台をみた。舞台化すると聞
4月28日。前日夜遅くまで出掛けていたからもちろん起きる時間もそれなりに遅くなった。妹が昨日からずっと流し見している「池袋ウエストパーク」の有名な台詞で目が覚めた。平成初期のファッションに身を包む豪華俳優陣の若かりし姿がやけに眩しい。 今日いちばん最初に口にしたのは桜もち。地域の老舗和菓子屋で妹が買ってきてくれた。小ぶりだけど餅米がふっくらしていてつやつやした宝石みたいな、見た目にも幸せが宿ったお菓子がリビングのテーブルでキラキラしている。中には白餡が控えていて、桜の葉の塩
今年のゴールデンウィークは平日に有給休暇を頂いて10日間の長い長いお休みを故郷の田舎で過ごすことにしたので日記を残しておこうと思う。春に花束を作るような日記にできたら自分に100点をあげたい。 記念すべき1日目、4月27日。休みといってもほぼ移動の一日。新幹線とJRを乗り継いで乗り継いで4時間ほど西に行けばわたしの田舎はいつでもそこにある。そろそろ田植えの時期だ。新しい葉っぱを太陽が照らして山の緑がどこか金色を帯び、目に突き刺さるような鮮やかな、エネルギーでいっぱいの明るい
名古屋の底冷えがじわじわ足音を立てる10月初旬、ガールズグループのサバイバルオーディション番組が配信開始になった。仕事終わりの空白を少しだけ埋めるつもりだったのに、気がついたら日々の楽しみとしてわたしの心を掴んだ。 強烈に頑張るおんなのこ達。それはどんなに時間を割いても実らない日々の事柄や仕事に縛られて身動きがとれない退屈すぎる日常を貫く稲妻みたいなものだった。 10代という若さでダンスや歌のスキルだけでなく外見や性格まで人目に晒され点数で評価される世界に、彼女たちは誰かの希
母の知り合いが作ったという即席の縁側で濡れたピンクの鼻を乾かすあなたに、すこし傾いた日差しが当たって金色にひかる背中を撫ぜる午後が永遠に来なくなってしまった日。あなたのいるお家から遠く離れた知らない街で電話で訃報を受けて泣いた。 300キロも離れていると年に何度会えるか数えるほどだったけど、フローリングを歩くつめの音を聞くだけで幸福だった。 コーヒーゼリーみたいに黒くて艶のあった瞳が会うたびだんだん霞んできて、身体を支える足取りもよたよたと重たくなっていた。中身が赤ちゃんのま
ドイツの家の窓から見える景色がほんとうにすきだった。分厚いマットレスみたいな雪を被ったもみの木を眺めながらワッフルを焼いた。言葉は分からなくても君を知りたいと心から思った。結婚したいと言ってくれた9歳の男の子が今年で15歳になる。jaとneinしか話せないわたしをはじめからそこに居たかのように受け入れてくれたひとを思い出す。腫れ物扱いすることも特別扱いすることもなく、でもとても優しく親切にわたしの拙い言葉を生活に溶かしてくれた。いまわたしは外側だけ大人になってしまったせいで言
とにかく本を沢山読む子供だった。 小学生の大半の時間を図書館と音楽室で過ごし、多感な時期がとても長かったように思う。低学年のうちから図書館で蓄えた言葉や知識がいつもいつも頭に溢れて渦を巻いていたので、毎日考えることでいっぱいだったし、他人の気持ちを考える余裕なんかなかった。 給食は人一倍食べるのが遅く、気に入らないとすぐに泣いた。集中すると周りが見えなくなるのは日常茶飯事で団体行動やスポーツは苦手。同級生とうまく馴染めず、自分勝手で気分屋な児童がわたし。 勉強は嫌いじゃなか