「イキガイ」と「意味の無いこと」
新卒で入社した会社では、自分専用の社用ケータイを持たされた。
当時はまだスマホではなく、ガラケー。
これが、やかましいくらいに四六時中鳴り続ける。
土曜も日曜も、夜中も早朝もお構いなしだ。
仕事が医療系だったもので、着信を無視しようもんなら、患者さんの命に係わることもある。大問題なのだ。
ある日、映画館で電源を切り、見終えて電源を入れると、不在着信32件。
げんなりしながら折り返すと、病院側からの怒号。
24時間365日が、目に見えない何かに縛り付けられているかのような感覚、毎日が息苦しかった。
だからという訳じゃないが、無意味なことをするのが好きだった。
兵庫県の遠くの山の中にあるクリニックの帰りには近くの公園で空を見たり、池の魚を眺めながら昼ご飯を食べたりした。
魚にたこさんウインナーをあげたら食べるのかな?とか、
クモの糸に珈琲をかけたらどうなるのかとか、
ある種小学生がやるような興味事から、
友人と喫茶店に行き、窓から見える外の人がこれからどちらの道に曲がるのか予想をしたりした。
今思っても、本当にアタオカの境地、無意味である。w
◇ナニガ、イキガイデスカ?◇
ここ数年
「アナタハ、ナニガ、イキガイデスカ?」
と時代に聞かれているような気がする。
子供たち(ネット新聞曰く、Z世代全般らしいが)は、
タイパ(タイムパフォーマンス)
を意識して、ドラマやYoutubeは1.5倍速で閲覧し、
ネット上には、まとめサイトやまとめ動画が溢れている。
僕ら世代や上の世代には無かった無数のコンテンツが世に溢れて、
限られた時間内で取捨選択しないといけない時代。
そりゃ倍速再生するようになるよなあと理解しながらも、
逆に彼らのイキガイって何なんだろう?という疑問。
そして同時に自分にも突きつけられているような、
「アナタノイキガイハナニ?」
という問い。
この答えは物凄く奥が深くて難しい。
でも向き合わないと、なんか流れのまま生きているだけのような気もする。
今日はそれを考えてみた。
◇無意味なことって、この世にあるのか?◇
スポーツやお笑いは、僕たちの日常に喜びや興奮や驚きや感動や楽しみを与えてくれる。
でも興味が無い、まったく見ない人にとっては無意味で無価値だ。
映画も、食も、仕事も、性も、娯楽も、全てがそう。
で、いきなり結論なのだが、
僕は、一見意味の無いこと「無意味」に思えることを自ら体験し、意味のあることに置き換えることがどうやらイキガイらしい。
例えば今は、ジャガイモを作っている。
目の前のスーパーで売っているジャガイモを、わざわざだ。
でも、この一見無意味な行動に意味を持たせることが好きなのだ。
ジャガイモってこんなけ手間がかかって、こうやって出来て、
ここをもっとこうしたら上手に多く作れたかも!
なんて考えに至れることがイキガイなのだ。
今は、白玉粉を買ってきて(もしくは粉から作って)、求肥(ぎゅうひ)を作ってイチゴ大福を作りたい。
理由は全くもって不明である。
でも猛烈に作りたい、多分明日には作るであろう。
よく考えたら、自分の「イキガイ」は勿論自分自身でしか定義できないのだが、人の数だけ「イキガイ」があって、他人がどうこう言うもんじゃあ無い。
僕にとっては、無意味なことを経験して意味のあることに昇華すること。
これが今の「イキガイ」
みなさんはどんなイキガイをお持ちですか?
◆最後に御礼◆
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ちなみにnoteの仕様上、どなたがいいねしてくれているのか、ホンマにこちらでも分かりません。w
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「イキガイって趣味と一緒で見つけるのむずいよね」という人も、読んだったでという意味で♡いいねだけ押していただけたら、明日の日本も勝ちそうな気がしますw
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