記憶の答え合わせ
はじめに
大昔の記憶というものは、時に自分に都合よく書き換えられていたり、複数のものが混ざり込んでしまっている場合がある。
もちろん、少しの狂いもなく記憶が残っている事や、それが得意な人とも時々出会うが、幼い頃にキョウレツに焼き付けられた記憶だとしても、時にそんな事実はなかったと告げられる、あの瞬間、頭の中に当たり前に存在し続けていた一部が、急にぽっかりと空いたりする。
そんな記憶のいくつかの、答え合わせをしてみたくなった。
今回はここに書ききった上で、その事柄の答え合わせをしてみようと思う。
1.駄菓子屋に行くときは
当時はまだ、おやつと言えば駄菓子屋へ行くのが当たり前だった。
現在の私と言えば、お菓子の引き出しなる場所を確保し、食べたいときはその引き出しを開ければ、買いだめしているものたちが現れる。
ただし、家族ひとりひとりの個人戦であるため、ほぼ子どもたちの戦利品となる訳だが、オトナになっているテイである手前、
くそ。どうしても食べたい。
なにがどうしても食べたい。
というものに関しては、あたかも
「君は今日から調味料だよ」
という佇まいで、鰹節の袋の隣に素知らぬ顔で並べていたりする。
そうすれば、誰にも気づかれる事なく、しばらくは安全なのだ。
だが、当時の私の実家には、今日のようにおやつが決まって存在する場所が無く、(いや、あったのか…?)近所に数軒点在していた、駄菓子屋に行くのがおやつを手に入れる手段であった。
そして、お小遣い制ではなかったので、その時のおやつ代は母からもらう形だったのだが、自営業共働きだった我が家は、私の方が親よりも早く帰宅することが時々あった。
その時の約束ごとは、
サムネイルのような小さくて四角い、まるで宝箱のような開き方をする、えんじ色の貯金箱から【おやつ代を持っていく】ということだ。
1円から100円までの硬貨が無造作に入っているのだが、だいたいは10円以下で、50円や100円が入っている日は、目を輝かせて瞬時に回収する。
そこでの私の記憶は、買う分のお金をそこから持っていく。
なのだが、この決まりからすると、親の見ていないところで、たくさんの小銭が目の前にあり、小学生の私が、"これぐらいの値段にしておこう"ができたということになるのだが、これは甚だ疑問である。
この歳になっても我が子におやつを取られまいと調味料のふりをさせる人間が、「買えるだけ買ったらい!!!」とならなかったのは、どうも違うルールが存在したのではないかという懸念があるのだ。
⇨答え合わせ
この貯金箱から取っていいという事実はあった。そして、母もうる覚えながら、駄菓子を買うのに、そんな山ほどお金を持っていくわけがなかろうと金額指定はしていなかったとのこと。
子どもの加減を信じてみる
ということだそうだ。なるほど。
そして、何よりも衝撃的な事実。
その貯金箱は母が小学校6年生から使っていて、今でも使用中だとのこと!!!
2.ご飯の前の
おやつにちょっと繋がっているような気もするのだが、あの頃の私と言えば、偏食も偏食、ど偏食な子どもだったと思うのである。
母は非常に料理が上手く、あの頃に食べなかったおかずを今全部たいらげたいほどであるが、何せ肉は食べない、好んだもの以外口にできなかったのだ。
母が夕飯を作っている最中に、何かしらつまみ食いをしていた記憶なのだが、
一度決めたら飽きるまでずっと食べていたのが、
【キューリ1本withマヨネーズ】
これはもう、となりのトトロを見てから大ハマりしたのだと思うが、キューリのヘタだけを切ってもらい、たっぷりのマヨネーズを付けてかじりつく。
もう一つは、おやつ代わりに食べていた【ふりかけ】
手のひらにふりかけ一袋を出し切り、舌につけながら食べる。これがカリカリしてめちゃくちゃ美味しいのだが、母がこれをよく許してくれたものだと。
キューリはもはやサラダのワイルドフライングだったとして、ふりかけはどうなんだ。
いや、どうもしない?
ご飯にかけるべきものを、フライングして別々で食べているだけであるから、やはりこれもセーフなのか。
セーフとされていたのか、そもそもこの場面を母がどう見ていたかも含めて確認したい。
⇨答え合わせ
キューリだけは強烈に覚えていた。ふりかけの記憶は正直無いが、やはりどちらもご飯となりうるものなので、特に制限することなど無かったと。そして、追加の事実。
「あんた、海苔もよ。」
(ハッ!今もお腹が空いたらつまんでいる…)
3.蟻四面楚歌
私がまだ低学年だったころ、この日は一番に家に帰り着いてしまった。
常日頃から友達を呼ぶか、自分が遊びに行くのだが、この日は約束がなかったように思う。
いつものように家に入り、リビングの真ん中に座って過ごしていた。
私はいつもと違う、何かおかしな不安に襲われた。それが一体何なのか、瞬時にはわからなかったのだが、ゴロリと横になった時、
無数の蟻たちが行列をなして、カーペットのフチを一周していることに気づいた。
私は正直蟻は苦手では無かったし、生き物が平気なタイプであったが、
家の中で、いえば人のテリトリーの中で、しかも自分が四方を囲まれているということにゾッとしてしまったのである。
よぎるガリバー旅行記の磔シーン。
確かベソをかきながら母親に電話をしたのだが、その後その蟻たちは確か、かわいそうに掃除機の中に吸い込まれていったはずだ。
そんな私が、まさか大人になって息子と蟻を飼い、アリの巣ホイホイを敵視し、蓋が開いていて家の中に蟻が縦横無尽に歩いていても、1匹ずつ連れ戻すようになるとは思いもしなかった。
さて、この蟻に囲まれたあの日、母は覚えているだろうか。
⇨答え合わせ
「まっっっっっったく、記憶にございません。」
(カーペットの配置、色などは私の記憶通りだったが、こんな衝撃的な記憶がにわかにも、1ミリも、残っていなかった。とさ。)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた。
---おわり---
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