出会いは突然に、そして時に
回想してみる
私は現在、関西に住んでいる。
高校を卒業して関西の大学に進学し、そのまま働きに出て、結婚して、子供が産まれて、なんやかんやと今に至る。
今年の春で20年。
あっという間に生まれ故郷で過ごした期間よりも長くなっていることに驚く。
関西に出てきた理由は、そんなに多くはない。
”人がおもしろそうだから”
あとは…いや、もしかしたら、それだけかもしれない。小学校の文集に書いた「関西に行って、国際結婚する」という、不思議な夢の半分は達成できていることになる。
そして、私の想像通り、ここ関西にはいろいろな意味でおもしろさを持っている人たちに出会える機会が多い。
ここでいうおもしろさは、爆笑とは違う、多岐にわたる人間模様だと考えていただきたい。
最近は退職してしばらく経ち、生活範囲がかなり狭いので、(家から一歩も出ない日もあるほどの有様です)めっぽうおもしろ人間に出会える回数が減ったかもしれないが、もう十何年も何十年も前に会っただけの人を鮮明に思い出す事がある。
世故に長け過ぎている小学生女児(初めてのアルバイト参照)、一輪車で帰っていく自動車教習所の教官、育ての親ぐらいのテンションで話しかけてくるおばちゃん、数を上げればキリがないのだが、中でもある時期に出会った、印象的な人たちについて回想したいと思う。
コンビニのバイトにて
初めてのアルバイトは焼肉屋であったが、その後はコンビニで数年間のアルバイトを経験した。
募集はしていなかったのだが、探しているタイミングで、散歩の際に店の前を掃除していたおばさまに、「雇って下さい。」と電話番号を渡していたのだった。
連絡が来たのはそれから2週間後で、たまたま辞めてしまった人がいるから、来れますかとのことだった。
家から近く、フランチャイズの某コンビニで、二世代の家族経営だった。
オーナーはその家の長老であり、魚が大好きで、バックヤードで魚を捌いては刺身にして売っていたし、マネージャー(その奥様)は、その日のおかずを取り分けて、惣菜として出していた。マネージャーは私が電話番号を渡した張本人でもあった。
店長と、そのお嫁さんとそれから小さな子どもたち。店長の妹さんも時々昼間に手伝っているらしかった。
そして、唯一のパートさんは、裏に住んでいるリリーさん(仮名)。
当時、もうすぐ還暦を過ぎるようには全く見えない、Backstreet BoysとPlayStationが大好きな若々しいおばさまで、ここの家族といってもいいぐらいの関係性だった。
地元に根付いたというよりは、むしろそのエリアで愛され、その周辺のコミュニティを支える惣菜屋さんの役割も担っていたかもしれない。
夜23時には閉店してしまう、ある意味で腹を括ったコンビニ。
そこにはあらゆる珍客が訪れる。
私はここに訪れる、自我の爆発したお客様たちとの日々が時々フラッシュバックするのである。
①若干5歳の
そのエリアは学生やお年寄り、若い世代の家族まで幅広い年齢層の人たちが住んでいた。
私がまだこの仕事を初めて間もなかったころ、「ここは常連さんが多いから、初めて会うお客様が来たら、とにかく挨拶しといたらええよ。」とリリーさんに言われていた。
「新しく入ったdonnyです。よろしくお願いします。」
毎日来る人や時々来る人ばかりで、初見さんというのはほぼ皆無に近かった。
ところがある日、あまり見ないお父さんと5歳ぐらいの女の子がやって来た。
どうやら、近くのおじいちゃんおばあちゃんのお家に遊びに来ているらしかった。
当時子どもが苦手だった私も、仕事中の外面を全開にして、初めましての雰囲気をたっぷり含ませ、
「こぉんばんは♪おかいものぉ?」
とレジから少し乗り出して挨拶をした。
すると、お菓子を握りしめた女児がくるりと振り向き、スタスタと勇ましく歩いて来て、レジにどかんと商品を置いた。
私がニコニコと作り笑いをしてレジを通していると
「なぁ…。あんた子ども何人おんの? 」
一瞬、葉巻でもくわえているかの様に見えた気がする程、もうそれはゴットファーザー顔負けの佇まい。
そしてまだ20歳を迎えてない私を相手に
彼氏おんの?でもなく、
子どもおんの?である。
まして、あんたであり、更には、何人おんの?である。
まだまだ肌にもハリがあったはずなのだが、少女の君が子育て只中の世代に見えた女は、そう、10代の女子大生だったのだよ。
そして当たり前なのだが、こんな小さな女の子でも、しっかりくっきり関西弁を話すんだ、と感動したものだ。
②その間、おおよそ
そのおじさんは2〜3日に1度、来るぐらいのペースだったかと思う。
背が大きく、自動ドアの向こうから、頭すれすれで現れる。
何が印象的かと言うと、彼の移動スピードだ。
速い。とにかく速い。そして来る目的はたったひとつ。アイスクリームだ。
彼のルートはほぼ決まっている。とにかくアイスケースへまっしぐら。季節など関係無い。そして、全く同じアイスクリームを【1本】だけ買って帰るのだ。
その間、おおよそ30秒以内。
アイスクリームを物色したのか、ある日、おじさんが出したお札がなぜか濡れていて、受け取ったリリーさんが「オッ」と、よく分からない声が出たこともある。
たしかに濡れているお札はなかなかの手触りである。
私は、コンビニアルバイトを辞めるまで、彼のアイスクリーム1本の会計しかしたことがないが、とにかく彼はいつもレジの終わったアイスの袋をつまみ上げて、幸せそうに帰っていくのだった。
③最強の常連
私が知る「自由」の概念のひとつを確立したのは、間違いなくこの方だったと思う。
御年は還暦間近だったのではなかろうか。保険レディをしておられた記憶があるのだが、その割にはなかなかワイルドな出で立ちで、いつもスタートダッシュを切るかのように、勢いよく来店するおばさまであった。仕事帰りに立ち寄ることが多く、
「いらっしゃいませ、お疲れ様です。」
が彼女との挨拶になった。
私が衝撃を受けたのは、初めて会った時のこと。
リリーさんやマネージャーと話す印象が、もう古くからのお客様だということはよくわかった。
商品棚の間を通りながら、店内の誰かとその日あったことや世間話を、大きな声で話しながら歩いていく。
しばらくすると、
パキャッ!!!
っと、蓋を開けたような音が店内に鳴り響いた。
ん?と思いはしたものの、他のみなさんからは何の反応も感じられなかったので、気にせずにいた。
したらばどっこい、入口のところで手に取り、持ち歩いていたはずの栄養ドリンクをゴクゴク飲みながら、間の通路から登場したのである。
それはもう見事なまでの、”のどごし”を感じられる飲みっぷりであった。
接客業たるもの、お客様を凝視しては失礼だと思いつつ、目が離せなかった。
まさかとは思ったが、彼女はその他の商品とともにレジに空き瓶を添え、至って自然に会計が始まるのを待っている。
ひとまず、、、、レジを打ち始めてみる。パンとタバコとお茶と…。若干のためらいを放つ手で、その、栄養ドリンクの空き瓶を持ち、ゆっくりとマネージャーの方を見ると、うなずきながら、
「大丈夫」
と言った。
一体何が大丈夫なのかはよくわからなかったのだが、このお店がいいのであればいいのだろう。彼女が来店するとパキャッ!!!はその後も当たり前であった。
ただし、彼女はこんなものではない。
マネージャーは毎日いろいろな手作りの惣菜を並べるため、それを楽しみに来る客も多かった。彼女もその一人なのであるが、その日も空き瓶を持って、しっかりと惣菜コーナーをチェックしておられた。
その日もいくつか種類が並んでいて、中にとり皮のから揚げがあった。しばらく物色していた彼女が、
「あら。」
といって、ひとつのパックを持ち上げた。
惣菜のパッキングはひとつひとつ奥でマネージャーが行っているのだが、そのラップから、ひとつとり皮の一部が飛び出しているようだった。
その先端をおばさまが見つめて、動きが止まっている。
"まさか…まさかやろ…それはないやろ?"
私がこう思ったのも束の間、
パァァァァン!!!
鋭角に飛び出たそのとり皮は、彼女の人差し指と親指でつままれ、一瞬の間に華麗に引き抜かれた。
「ラップからぁ、カリカリ、これ飛びれとったらあ、バリボリ、バキガキ。」
…食ってる。
ねぇ!!食っているよ!?リリーさん!マネージャー!
まさかとり皮もその場で仕留められるとまでは思っていなかったはず。
売り場の商品をその場で食らうはすなわち、服屋で試着するのではなく着用するも同じ!!
とにかく、食っている!!!
もちろん彼女はこの後購入するわけだが、これほどの無秩序が許された空間に立ち会ったのは、これまでの人生でとりあえず後にも先にもこの時だけである。
前述した、「自由」の概念のひとつはすなわち、無秩序でもあると確信した瞬間であった。
こうして書き進めると、ほんの少しだけ残っていた記憶が、他の物に引っ張り出されるように、ズルズルとついて出てくることがある。
それが回想しながらnoteを書く上での、楽しみのひとつにもなってきたのは間違いない。ここでは書くことができなかった人々との出会いも、いつか読んでいただけたらなぁ、と思いにふけりながら書き終えようと思う。
読んでいただき、ありがとうございました。
---おわり---