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レポート7
この投稿はフィクションです。予告なしに加筆修正を行います。
90代の女性、C型肝炎・肝硬変および心房細動などの基礎疾患があった。
前医で半年ほど在宅訪問診療を受けていたが、施設入所されることになり、担当であった当診療所で訪問診療を引き継ぐことになった。
難聴はあったものの、受け答えはしっかりされている方だった。
肺炎の既往があり、湿性咳嗽のコントロールを必要としていたが、
基本的には施設内歩行も自立されており、お元気で過ごされていた。
訪問を開始して約1年後の2月に、AFPが20台まで上昇をきたしたが、
USでもCTでも1年前と比べて明らかな腫瘍影を指摘されなかった。
ご家族に説明したところ、当初は専門医への紹介は希望されず、当診療所でのみフォローすることとなった。
4月に再検したAFPは160代まで上昇したが、AFP-L3分画は3.5%と基準値内だった。5月にはAFP900代まで上昇し、当診療所で再検したUS・CTで新たに径4㎝大の腫瘍影突出が認められた。
この時点で専門医への紹介に至ったが、御高齢でもあり、何もできないとご家族は説明を受けられた。
AFPが上昇してから半年が経った8月、右背部痛が出現し、起き上がりに支障をきたすようになった。鎮痛薬を開始したが、それから更に2か月が経った10月、下肢の出血や下腹部の腫瘤などが認められたため、
当診療所に入院。排尿障害による膀胱緊満で、持続導尿を開始した。
他院整形外科で試行してもらったMRIでは上位頸椎から下位腰椎まで広範囲に骨転移を認められ、特に上位胸椎で病変大きく、脊髄圧排が認められ、体幹部知覚障害と下肢麻痺が出現していた。
この状態ではあったが、徐々に低下してきていた食事量が、この時期何とかふたたび摂れるようになったこともあり、2週間の検査・導尿処置・疼痛コントロールののち、ご家族の希望で施設へ一時退院。そして、逢わせたい人に面会に来ていただきながら、ぎりぎりまで過ごしていただけることとなった。
しかし退院後間もなくから、再び摂食量は低下していき、11月中旬には、内服も困難になり、オピオイド製剤も内服から貼付剤に変更した。それでもアイスクリームなど、少しずつ施設やご家族が用意されたものを口にされていた。
11月末にSpO2:85%まで低下有り、入院。その10日後に永眠された。
考察
福岡県内の病院が、2017年までの九州における起因別肝臓癌患者の年次推移統計を発表している。C型肝炎の治療の進歩とともに、原因疾患としては相対的に減少してきているらしい。
施設や自宅で、自分らしく、可能な限り最期まで過ごすことは、この令和の時代にあってもなかなか受け入れられず、困難を感じることが多い。このケースも、最期は診療所への搬送を必要としたが、それでもぎりぎりのところまで施設側の協力を得られることが出来た。