“第三者”の注意—敗北の記憶
猪瀬直樹の女性候補者に対するボディタッチに関して、「やられた本人が嫌がってないからOK」という意見が散見されます。
セクハラ事案ではないのですが、そのことで一つ思い出した嫌な記憶があります。15年以上経過した今でもモヤモヤしていて、自分の中だけで留めておくのもある種限界な気もするので、記録しておきます。
2007年ごろの話です。
京王線での通勤中、終点の新宿駅に向かう車内のことでした。
終点に近いところで乗客の出入りがあって、多少の車内移動があり、僕はある女性が座っている座席の前辺りに立つことになりました。
混雑率は90%くらいでしょうか。ぎゅうぎゅう詰めでもないが、余裕もない、といった感じ。
ふと気づくと、混雑した車内で堂々と脚を組んだ女性の靴の裏が、ランドセルを背負った小学5年生くらいの男の子の太ももの裏あたりにベッタリとついている。
女性は何やら資料らしきものをチェックしているようでしたが、電車が揺れるたびに靴の裏が頻繁に少年の脚に触れ、感触は十分に見えたし、気付いてないとも思えない。
後にも先にも、あんなにも靴の裏をベッタリと他人に押し付ける人を見たことがなく、(足の裏を何度も押し当てられてるのに反応しない少年の鈍感さにも少し呆れましたが…)
それだけでも十分に唖然とする光景でしたが、気を取り直してやんわり注意することにしました。
「あの…足の裏がその子に当たってますよ」とその女性に向かって言いました。
するとその女性は、そんなことはわかってるとでも言いたげな様子で面倒臭そうに脇を向き、その少年に向かって「大丈夫?」とわざとらしく確認しました。
後ろを向いていた少年は急に声をかけられてなんのことかわからないようで、キョトンとしていました。
その女性は「確認は済んだ、もういいでしょ?」といった様子で、何事もなかったかのようにそのまま黙って手元に視線を戻して資料チェックを再開しました。
脚は組んだままで、頻度は多少減ったものの、靴の裏が少年の太ももに当たり続けるという状況に大して変化はありませんでした。
…
僕はあまりのことに何も言えなかったのですね。
女性の対応はあまりに想像の外のことでしたから。
注意した僕に対しては、「本人が抗議してこないのだから問題ない。当事者でないお前に言われる筋合いはない」と言いたかったのでしょう。
少年が靴裏を押し付けられていることに気づいておらず、抗議もしてこない、ということも先読みしていて、あえて僕の目の前で確認してみせた。
第三者の注意を無効にする、シタタカな、計算付くの行動です。
・混雑した車内で脚を組む
・靴の裏を他人に押し付けて平然としている
・靴の裏を押し当ててるのは後ろを向いている子どもである
・気づいていない子どもの”黙認”をいいことに、第三者の注意を一発で無効にする(その術を知っている。馴れている?)
これらに凝縮された悪意と開き直り、利己主義と割り切りのあまりのおぞましさに僕は咄嗟に反応できなかった。
こうしたことを堂々と発案・実行できる人間というのは、いったいどういう人物なのか、新宿駅に着くまでの数分間、マジマジと観察しました。
歳の頃は30代前半。髪は黒くてセミロング。黒っぽい質素な服を着て、普通の会社員風の身なりでした。
チェックしている資料は台本ぽいもので、売れない演劇の演出家か、脚本家なのかな?という印象でした。
髪はバサバサで乱れていて、肌も荒れていて不健康な様子。
一連の露悪的行動には何やら自暴自棄な雰囲気も漂っており、見るからに心が荒んでいるようにも思えた。
何か言ってやろうという気が起こらなかったのは、そのせいもあります。
「現時点で、この人は充分に罰を受けている」という気がしたのです。
あまり状況をわかっていない子を巻き込んで言い争いをしたくなかった、というのもあります。
このことは、今でもある種「鮮やかな敗北の記憶」として僕の脳裏に、あるいは心に刻みつけられている出来事なので、時々ふと思い出して、今ならどうしただろう、と考えます。
「靴の裏を子供に押し当てる光景を俺に見せるな。俺が不快だからやめろ」
一つはこの言い方でしょうか。
または、その子に「靴の裏が押し当てられてるよ」と教えてあげた上で、位置を代わってあげるのが最善だったかな、と思います。
ともかく、「想定外のクズ」に咄嗟に対応できなかった、という要素がもっとも強い。
世の中にはこういう人もいるのだ、という認識をすることが重要かな、と思うので、皆様にもこの経験を周知しておきます。
「そんなこと放っておけばいいじゃないか。その女性が正しい。子どもが何も言わないのだから、妙な正義感を発揮するのはやめろ」という意見があることも、もちろん想定しています。
しかし、それは僕の生き方ではない。
そういう考え方が主流の社会は滅びる、と思っています。
そして、この社会は滅びつつある、とも思っています。