1.9 "元信者"という緩衝領域
統一教会を説明する上で、見逃せないのが、”元信者”という存在です。
ここまで説明してきたように、カルトである統一教会は、組織として基本的に”クローズド”な存在ですから、教団で行われている教化や種々の活動、儀式の内容を外から知ることは、基本的に不可能です。
よって、統一教会内部にまつわる多くの情報は、(本書もそうですが)元信者の見聞きしたことをソースとしてもたらされることになります。
したがって、”元信者”という立場の何たるかをある程度ハッキリさせなければ、統一教会像にかかっているフィルターやバイアスを明確にできず、思考の前提になる事実共有に支障をきたすことになります。
本項目では、統一教会の”元信者”の分類とその傾向を明示し、社会として”元信者”というカテゴリに属する人たちにどのように接するべきか、という方向性を示します。
元信者の分類
1.2 今統一教会・カルト問題を問うことの社会的意味 で述べた内容と重複しますが、改めてまず、”元信者”の人数の規模感を確認します。
概算で50万人はいると思われる統一教会”元信者”。当然さまざまな人がいます。
分類にあたって、大きな視点を2つ以下に提示します。
1)元一世か二世(・三世)(の離教者)か。
2)教祖・教義・教団、それぞれに対して、肯定/否定のどちらか
これまで私は、
1.6 マインド・コントロールとは何か
1.7 統一教会は「マインド・コントロール」を用いているのか
という2つの項目の中で、
一般市民が伝道・教科されて信者となる、いわゆる一世信者にのみフォーカスして説明してきました。
二世信者には、
・両親が教団のマッチングに因って出会って生まれた♠♦
・普通に結婚した両親から生まれてきた
└片方の親だけが信者
└両親が信者(その後「*既成祝福」を受ける)
└両親伝道後、「*既成祝福」を受け、その後生まれた♠
└片方の親だけが信者だが、もう片方を説得して「*既成祝福」の儀式だけは参加してもらい、その後生まれた♠
などの分類があり、♠がついているケースは「*祝福二世」、それ以外は「*信仰二世」という呼び方をして教団内で区別しています。
(教祖による「*祝福」を受けると原罪がなくなり、サタンから神の血統へと「*血統転換」される。その後生まれた子どもには原罪がなく、原罪がない子を「*祝福二世」と呼びます。「*信仰二世」は親が入信したというだけで、原罪ありの状態です。)
マインド・コントロールは、1.6 マインド・コントロールとは何か
で詳しく説明したとおり、対象者のもともとの人格を破壊し、教義に基づく価値観で人格再構成を為す操作ですが、
「*信仰二世」の場合、「もともとの人格」がどの程度成熟していたか、ということがそれぞれ違うということです。
そして、「*祝福二世」の場合は、「もともとの人格」というものが、そもそも厳密には「存在しない」ということになります。
さらに上記の♦がついているケースでは、「教団なくして自分は存在しなかった」という根源的なアイデンティティの問題も抱えることになりますから、さらに特殊です。
しかし、のちに詳述しますが、大きく見ると、それらの出自の違いは、一世信者も含め、離脱した”元信者”が「社会的価値感」と「再構成した現在の自分の有り様」に、どのように折り合いをつけるか、という違いとして現れるだけで、
上記、
2)教祖・教義・教団、それぞれに対して、肯定/否定のどちらか
という表層的な立ち位置の違いに反映される点では、元一世信者も二世元信者も同じではないかと思います。
(元信者の自我の成り立ちや離脱する際の人格の分裂に関しては、第5章 統一教会信者の思考・世界観・人格で詳述します。)
ですので、ネットやメディアで発信している”元信者”を見る際、
1)元一世か二世(・三世)(の離教者)か。
の確認はチラ見で良い。
ただし、注意しておかなければならないのは、主にネットで発信する元信者・二世のなかで、
特に「*祝福二世」の元信者は、一世と違って、伝道や訪問販売、霊感商法などの教団の本格的な活動に参加する前に教団を離れており、教団の反社会性についての十分な認識がないことが多い、という点です。
(この点は主に十代以下の「*祝福二世」現役信者にもいえることです。)
これは、「*信仰二世」の中でもほとんど信仰を持たなかったとか、教会のセミナーや集まりには参加させられたけれど、本格的な活動には至らなかったという人も同様です。
これらの二世は、統一教会という教団のカルト性を訴える時に、「親のヤバさ」という点に発信内容が偏ります。
その結果、一部の理解の浅い識者等から「結局は個々の家庭問題、毒親問題ではないか」と問題を矮小化するような誤解を受けがちになります。
この点は、
1.2 今統一教会・カルト問題を問うことの社会的意味
>宗教二世の問題をより広く社会問題化するには
という項目の中で述べました。
いずれにせよ、”元信者”の発信を見る際には、
一世/二世の出自によらず、
2)教祖・教義・教団、それぞれに対して、肯定/否定のどちらか
にフォーカスして確認することがより重要である、と私は考えます。
その”元信者”は本当に”元”なのだろうか
◆教祖・教義・教団、それぞれに対して、肯定/否定のどちらか
という点は、”元信者”の発信内容に大きな影響を与えます。
場合によっては、”元信者”ではなく、「ほぼ信者じゃないか」という人もいます。
まず、分類を確認しましょう。
それぞれの立ち位置について、考え方と発信の傾向を確認しましょう。
1)教祖✖・教義✖・教団✖
教祖は間違いで、教義もおかしい、教団も変、という立ち位置です。
『マインド・コントロールの恐怖』を著したスティーヴン・ハッサン、私の身内のトミーがこの立場です。
マインド・コントロールを受けていた、ということに気づき、そのことを受け入れ、それゆえに深く傷ついてもいます。
統一教会に対しては、「反社会的なカルト」という位置づけをしており、少なくとも宗教法人解散するべきと考えています。
メディアで発信している小川さゆりさんをはじめとする二世信者もこの立ち位置になります。
統一教会情報に触れる時に、もっとも信頼のおける人たちといってよいと思います。
2)教祖◯・教義◯・教団✖
教団の幹部や末端信者はおかしいが、教祖や教義は正しい、すなわち真理である、と信じています。
教祖や教義がいっていることを否定しきれず、未だマインド・コントロール下にあるといってよいでしょう。
この立ち位置の人がネット上には意外に多いので、注意が必要です。
こういう人たちは、教団に対しては、
・「自分のレベルが低くて活動についていけなかった」というコンプレックスと自罰的な感情
・「あの人達は無茶苦茶なことをしていて、活動意欲を失った自分に対しては冷たかった」といった恨み
という両方の感情を入り交じる形で持っています。教団に対して愛憎半ばする複雑な感情を吐露します。
いずれも、教義については「実によくできている」といい、一般人に対して熱心に教義を説明しようとする傾向があります。
でも述べましたが、統一教会の教義や内部で使われる独特の専門用語を使う危険性に無自覚で、それらの単語がマインド・コントロールのアンカーとして作用していることに気づいていません。
彼らは”元信者”同士のつながりを作ることに熱心で、一般社会、あるいはネット空間の中で閉鎖的な”ムラ”を作り、統一教会用語を駆使して会話することに快感をおぼえます。
教義に関する論争は、彼らの大好物であり、現役信者を巻き込んで一緒に話しあうことにも抵抗はなく、基本的に「本当に*統一原理はよくできているよねぇ」と口々に言い合う。
自身がマインド・コントロールされていた、あるいは現時点でマインド・コントロールされているということに対して非自覚的ですから、
当然、統一教会がマインド・コントロールを用いている、という見解にも否定的であり、統一教会がカルトであることも認めません。
そして、統一教会の教義を「ハードな価値観」と呼ぶなら、そこからの支配が緩くなっているとはいえ、教義から派生する「ソフトな価値観」を堅固に保持していることが多いです。
「ソフトな価値観」とは、家父長制、純潔志向、恋愛否定(恋愛忌避)、反共産主義、一神教志向などです。
なかでも共産主義や社会主義、左翼陣営やマスコミに対する異常なまでに強い敵意は保持したままです。
つまり、私の見立てでは、”ほぼ信者”であり、”シンパ”といって良いポジションです。
教祖の文鮮明のことも、ぞんざいに呼び捨てにするといったことができず、「*お父様」と呼ばないにせよ、何らかの敬称をつけて呼ぶ傾向があります。
人間関係においては、教団のハードな支配は逃れていて、信仰生活を送ってはいないかもしれないが、少なくとも自分を伝道した人(「*霊の親」)とは未だに連絡を取り合っていることがほとんどです。
なにかのきっかけで再び教団に戻ることもありうる、という”再入信予備軍”でもあります。
メディアにも頻繁に”元信者”として登場する金沢大学教授・仲正昌樹などがこの分類に入ります。
仲正昌樹『統一教会と私』は、元信者体験談として最も売れている本の一つですが、この本には注意が必要です。この本に関する批評を参考論考として本項目の最後に附記します。
2)教祖◯・教義◯・教団✖
└教祖◯・総裁✖・教義◯・教団✖
前の分類の”元信者”は、教祖・文鮮明と後継者の妻マザームーン(韓鶴子)を同一視した上で、信仰生活はせず、統一教会という教団のみと距離を置いている、という人たちでした。
一方、現在のマザームーンを総裁とする統一教会のみが間違っている、教祖(文鮮明)も教義も正しい、として、別の分派を立ち上げて信仰生活を送っている”元信者”という人たちが存在します。
メディアにも登場して、現在の統一教会を批判したかつての教団No.2の郭錠煥(カク・ジョンファン)、さらにエリート二世信者の元幹部、櫻井正上がこれにあたります。
彼らは、かつて統一教会の実質的後継者として指名され、のちに廃嫡された教祖・文鮮明の三男、文顕進をリーダーとして頂き、独自のグループを形成しています。
ネット上の統一教会”元信者”を名乗る人で、特に二世の人は、二世信者の精神的支柱であった櫻井正上を慕っていることが多く、このグループに属しているケースがかなりあり、注意が必要です。
郭錠煥にしても、櫻井正上にしても、現在の統一教会の反社会的活動を批判しますが、彼らこそ、1990年代~2000年代の違法活動の陣頭指揮を取っていた人物です。
その責任を棚上げにして、現在の統一教会の活動を批判するのは、いったいどういう理屈に基づくのか、理解が困難なのですが、
要は権力闘争に敗れて追い出された、という視点で見て間違いはないと思われます。
私にいわせれば、「どの口で批判しとんねん。あんたらが一番熱心にやってたことやないか」ということです。
リーダーの文顕進は、かつて統一教会の幹部養成組織である原理研究会の世界会長に任命され、統一教会より政治・経済活動を活発化させようとしつつ、一方で宗教色を薄めようとしたことが父親の教祖・文鮮明の逆鱗に触れて廃嫡された、という人物です。
統一教会の財産権を握っているといわれ、既に80歳になろうかというマザームーンの後継にこの三男が指名され、現在の分派グループごと統一教会(現世界平和統一家庭連合)を引き継ぐのではないか、と私は見ています。
また、三男の文顕進が廃嫡されたあと、宗教指導者として後継者に指定された七男の文亨進が、実母である韓鶴子と喧嘩して袂を分かち、世界平和統一聖殿(サンクチュアリ教会)を作り、統一教会のビジネス部門の後継者として指定された四男の文國進がそこに合流し、一大勢力を形成しています。
サンクチュアリ教会は、統一教会の”領土志向”、”武力志向”をより強めたような過激カルトですが、統一教会の教祖・文鮮明と教義を共有している分派です。
分派という形を取って統一教会(現世界平和統一家庭連合)と対立していますが、これもほとんど”後継団体”のようなものです。
日本では社団法人として登録していますが、宗教法人としては許認可を受けていません。
しかし、アメリカでは2013年に宗教法人として登録されており、日本にも一定数の信者がいます。
ネット上では、「反統一教会(現世界平和統一家庭連合)」を掲げており、統一教会から移った信者も多数います。
これらのことを知らず、うっかり、ネット上の元信者の発信をフォローしていると、三男又は七男が作った分派グループの人の意見を聞き続ける、ということになりかねません。
ほとんど「統一教会現役信者」のようなものですから、本当に注意してください。
3)教祖✖・教義◯・教団✖
教祖である文鮮明が存命中から、「教祖は失敗した」として、分派を立ち上げたグループがいます。
統一教会元信者の鄭明析(チョン・ミョンソク)が創立した「キリスト教福音宣教会」、通称;「摂理」と呼ばれる教団がそれにあたります。
特に大学構内では、80年代から一貫して一定の存在感を放っている教団であり、ネット上にも統一教会から移行した”元信者”が一定数います。
“元信者”としての存在感は薄いのですが、主にinstagramを中心に活動しており、ネットを学生に対する伝道手法が巧みといわれています。
こうした分派の存在が、統一教会の周辺状況を複雑にしており、非・統一教会を名乗っていても、中身は統一教会の亜流です。
もし”元信者”アカウントが統一教会の教祖・文鮮明や教団としての統一教会(現世界平和統一家庭連合)を批判していたとしても、「摂理」の信者である可能性があり、注意する必要があります。
“元信者”の出身組織と心理の変遷
統一教会は、数々の”フロント団体”を持っている、とされています。
実態としては、それぞれの団体は”プロジェクト名”のようなもので、信者はそれぞれ割り当てられた仕事に応じて団体に属する、といった形を取ります。
さまざまな団体がありますが、熱心に新規の信者獲得勧誘活動をしているのは、統一教会(原世界平和統一家庭連合)と原理研究会のみです。原理研究会は、大学のサークルという形を取っている組織で、実質的な幹部養成組織です。
二世信者も、”信仰を鍛えるため”に大学入学と同時に原理研究会の寮に送り込まれることが多く、原理研究会の経済活動と大学生の新規勧誘に力を入れることになります。それ自体が信仰のトレーニング、という位置づけです。
世界平和教授アカデミーなどのプロジェクト団体で大学の教員を直接勧誘することはあるようですが、各地の教会に繋げられることになります。
こちらはほとんど成功例を聞きません。
また、自民党の国会議員や地方議員に統一教会信者らしき人物が複数見受けられますが、これらも議員連合や教会から送り込まれた秘書などを通じて勧誘され、地区の教会に繋げられるようです。
つまり、元信者の出身としては、「教会(内部用語で「*チャーチ」と呼ぶ)」か、原理研かのふた通りがある、ということです。
そして、SNSアカウントなどでは、やはり「元統一教会信者」「元原理研究会」のように、区別して名乗ることが多いようです。
ちなみに、私の身内のトミーは、元原理研究会です。
原理研究会では、大学4年間の間に学業を終え、最終的に信仰レベルの高い信者は、「*献身」といってそのまま原理研究会のスタッフになることが推奨されています。だいたい30代前半くらいまで原理研究会で要職を務めたあと、教会の幹部になっていく、という出世コースが用意されています。
「*献身」しない学生は、そのまま卒業して就職して地区のチャーチに繋がるか、一世信者の場合は、卒業と同時に離れることも少なくありません。
”献身”しない時点で、原理研究会では落ちこぼれと見なされており、組織の活動から疎外され、やがて無視され、剥がれ落ちていくという過程を踏むことが多いようです。
原理研究会では、そうした落ちこぼれの一世信者に対してはほったらかしで、よほど信者個人から強い働きかけをしない限り、教会に繋げるということはありません。
そのため、原理研究会から放り出された一世”元信者”には、前述したような、教団に対する複雑な感情が生まれてきます。「自分のレベルが低くて活動についていけなかった」という思いと、教団運営に対する批判的な思いを両方抱えて出ていくのです。
ある時期は狂信的に教団の会員拡大活動や経済活動に全力を注ぎ、大きな貢献をしながら、”献身”に相当する信仰レベルに到達しなかった、というだけで使い捨てにされる現状がそこにあります。
信仰を失った二世も同様で、家庭内で酷い虐待にあったり、徹底したネグレクトや存在否定をされたり、といった事態に直面することになります。
統一教会の”元信者”は、そのように、教団から疎外される過程で掌を返したような非人間的扱いを受け、深刻な人間不信、組織不信を抱えたまま、また人格が”分解された状態”のまま、社会に放り出されることになるのです。
“元信者”の社会復帰における課題
ここまで見てきたように、元信者にはさまざまな分類があり、出自も辿ってきた過程もさまざまです。
特に、一世信者と二世信者とでは、出自による背景の違いや基本的な人格の発達と構成がかなり違うのですが、前述したとおり、社会との関わりという観点では、どちらも大きな違いはないと私は考えています。
一世信者は、”統一教会に出会う”という一種劇的な体験を持って入信し、その後急激な幻滅に因って、離れていく、というプロセスを辿ります。
多くは統一教会に出会う前から、統一教会の教義(ハードな価値観)に接続する基本的な価値観を生育過程で持っていることがほとんどです。
前述した家父長制、純潔志向、恋愛否定(恋愛忌避)、反共産主義、一神教志向など、統一教会のソフトな価値観と同じ方向性の価値観です。
加えて、もともと学校に馴染めない、現社会に生き辛さを抱えている、社会でも家庭でも人との繋がりが希薄で、孤独を感じがち、といった、現代人には珍しくない「心の空白」を抱えている。
そこに統一教会がすっぽりはまり込む形で組み込まれ、入信するのですが、教団を離れることによって、元の空白状態を(よりハッキリした形で)抱えることになる。
さらに、統合された教義を”引きちぎる”ことによる”心の出血”のような状態もあります。多くが一種の人格崩壊のような経験をすることにより、解離や鬱といった精神症状を抱える。これは長期化する例もあります。
回復したとしても、入信前よりも、人間不信・組織不信・社会不信をさらに強めています。
特に原理研究会の学生は、入信中に教団活動に入れ込みすぎたために、学業がおそろかになり、就職に失敗する例も少なくありません。
原理研究会の元信者は、たいてい、4年間の通常の学生生活に加え、1~4年間の留年、休学などを経て、なんとか自分を立て直すという作業を強いられます。
それでいて統一教会のソフトな価値観を有したままであり、社会からの疎外感も相まって、さらにそれらを先鋭的に強める例も見られます。
極端な男尊女卑、ミソジニー、反左翼、反リベラル…いわゆるネトウヨ的になる人も珍しくない。
また、入信を前後して、もともとあまり濃密でなかった家族との関係が悪化し、さらに疎遠になることも珍しくありません。
つまり、家族の支援をほとんど受けられず、現社会に馴染みにくい価値観を有し、崩壊した人格と病んだ精神を抱えたまま、社会復帰を企図しなければならない。
この傾向は、二世の元信者も同じではないかと思います。
つまり、元信者は、現社会との間に、断絶ともいえるレベルの距離を持っていて、非常に特殊な”孤独”のなかに閉じ込められている、ということです。一世も二世も、それぞれ出自・背景が似ている”元信者”という閉鎖的コミュニティを形成して、その中で馴れあい・慰め合うという営みに浸りがちなのはそのためです。
そこから、何らかの形で繋がっている現役の信者との人間関係から教会に戻っていく人も、少なからずいます。
“元信者”という領域は、社会のなかである種特殊なカテゴリーを形成している、と位置づける必要があります。
社会によるなんらかの支援が必要なのは、いうまでもありません。
“元信者”を包摂する社会の理想の姿
近年統一教会にの実態が詳らかになるにつれ、世間の統一教会に対する風当たりは強くなっています。
統一教会は数々の反社会的活動を長年継続し、1.7 統一教会は「マインド・コントロール」を用いているのか でも述べたとおり、テロ準備に相当する武器も十分すぎる量を保持していることからも、宗教法人解散は必要なことと思います。
オウム真理教の場合、宗教法人解散により、信者数は約1/10以下にまで減りました。統一教会も、宗教法人を解散したとすると、信仰生活を続ける信者が多数残る一方、統一教会の信仰を捨てる人も多数出ると思われます。
その場合、”元信者”も大量に輩出されることが予想されます。
前段で述べたとおり、”元信者”に対する社会的支援は必要なことですが、いったいどのように支援すればよいのか、という課題が出てきます。
もともと社会に馴染みにくい個性・価値観を抱えた”脱社会的傾向”を持つ人が、統一教会に入信することによって、さらにその傾向を強め、場合によっては”脱社会的”から”反社会的”にまで転化される。
そうした一世信者に育てられた二世も、同質の傾向を持っています。
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